参加12カ国の人口は約8億人。TPP(環太平洋経済連携協定)によって世界のGDPの4割弱、人口の1割強を占める巨大な経済圏が誕生する。関税撤廃や農業分野への影響ばかり話題になるが、サービスや投資のルールが明確になることで、不動産・建設分野の受ける恩恵は少なくない。人・モノ・カネの活発な動きが、高質なハコ(建物)の需要を喚起する。
TPP発効後の国際的な事業環境の変化を先取りしようと、企業は動き出している。物流大手の山九はメキシコに現地法人を設立した。メキシコは米国向け自動車産業の集積地だ。日系メーカーの進出が相次いでおり、事業のさらなる拡大が見込めると判断した。
ヤマトホールディングスは東南アジア地域の物流ニーズが飛躍的にアップするとみて、マレーシアの宅配大手と業務提携を結んだ。ファミリーマートはコンビニエンスストアの外資規制の緩和を見据え、マレーシアへの進出を発表。繊維製品染色加工のソトーは関税撤廃をにらんでベトナムの企業と提携し、現地での生産を始めた。
こうした取り組みとは裏腹に、不動産・建設分野の反応は総じて鈍い。TPP大筋合意後に帝国データバンクが実施した「TPPに関する企業の意識調査」では、回答した全国1万547社の9.8%が「検討または検討予定」と答えたのに対し、建設業、不動産業はともに3.6%にとどまった。
世銀予測は日本の輸出23%増
不動産・建設分野への影響を探る前に、TPPについてざっとおさらいしておこう。TPPは自由貿易協定の一種で、一つの経済圏を構築するための取り組みだ。日本、米国、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、マレーシアなど12カ国が参加し、2015年10月の閣僚会合で大筋合意した後、2016年2月に署名した。
協定は、投資、国境を越えるサービスの貿易、政府調達、中小企業、紛争解決など30章で構成される。関税撤廃に注目が集まりがちだが、サービスや投資のルールが明確になることで市場の透明性が増し、国際間のビジネスがしやすくなる効果が大きい。
参加国を合わせたGDP(国内総生産)は28兆ドル、人口は8億人。TPPによって世界のGDPの4割弱、人口の1割強を占める巨大な経済圏が誕生する。日本のおよそ6倍の市場規模だ。しかも連携が各国の成長を促す。世界銀行が発表した2014年を基準とした試算によれば、2030年時点で日本の輸出は23.2%、GDPは2.7%それぞれ押し上げられる。高齢化と人口減少でじり貧の日本にとって、TPPは唯一の光明ともいえる。
「不動産取引の制度変更なし」の根拠
影響を国内と国外に分けてみると、協定の中身が明らかになる前は、国内業務への圧力を心配する声がたびたび聞かれた。不動産分野の不安は、2013年に公益社団法人全国宅地建物取引業協会連合会が政府に提出した意見書に表れている。そこでは、紛争解決手続きを用いた訴訟が起き、日本の法制度や取引慣行が不当と指摘されることを案じた。懸念事項として、契約書の英語化、礼金や更新料の否定、賃料や売買価格の全面公開、仲介手数料の自由化などを挙げている。
国土交通省は2015年12月、「TPPの大筋合意」と題した資料をまとめ、「我が国の不動産取引の制度等がTPPによって変更されることはない」との見解を示した。これを受けて業界団体の一部の人たちは、「国交省が言っているから大丈夫だろう」と緊張を緩めている。
TPP交渉では原則、すべてのサービス分野を自由化の対象としているが、例外的に適用外を設けるネガティブリスト方式を採用した。「変更なし」の主な根拠は、日本が不動産・建設に関係する法律を適用外としたからだ。宅地建物取引業法、不動産特定共同事業法、不動産鑑定評価法、建設業法、建築士法などを適用外とした。土地取引も例外扱いだが、自由化とは逆の規制強化の可能性ありになっている。相手国の条件次第で、日本における土地取引や賃貸借を制限できるという内容だ。
建設市場の開放につながる政府調達では、日本が約束した中身がこれまでのWTO(世界貿易機関)協定の内容と同じ。従ってTPPが発効しても、外国企業に開放する建設工事や設計業務は対象機関も基準額も変更がない。
こうした理由から「国内市場は守れた」と言うのだが、前述の通り、自由化の適用外は業務を規定する法律であって慣行ではない。例えば、宅建業法が定める重要事項説明が廃止になることはないが、TPPで日本への関心が高まり、海外企業の参入によって独自の慣行が見直しを迫られることはあり得る。
国内の倉庫需要が拡大
守りの対象として語られることの多い国内市場にも、成長の芽はある。一つは物流施設だ。農作物の輸入の伸びによって冷凍・冷蔵品が増え、電子商取引のサービスも進化して倉庫の需要が拡大するという筋書きだ。
不動産サービスを提供するCBREは不動産専門誌「BZ空間」春号に、「TPPで物流はどう変わる?」というレポートを載せた。GDP変動率と倉庫着工面積に高い相関があることに着目して、安倍晋三内閣が掲げた「一億総活躍プラン」の目標値から倉庫着工面積を試算。結果は、2020年までの6年間で約6300万m2と出た。ただし、一億総活躍のGDP600兆円の目標は絵に描いた餅との見方が強い。TPPの効果に限れば、GDPは+14兆円という政府試算がある。このあたりを現実的な値とみて試算を当てはめると、約800万m2という需要が浮かび上がる。
もう一つ、国内の建物需要につながりそうな数字が、政府の「総合的なTPP関連政策大綱」に盛り込まれている。「2018年度までに、少なくとも470件の外国企業誘致をめざす」という部分だ。研究開発、エアライン、旅行会社、観光客向けサービスなどの参入を期待している。目標達成を託されたJETRO(日本貿易振興機構)によると、日本で会社登記がなされ、事業所などの拠点設置をもって誘致とみなす。額面通りなら、オフィス需要も膨らむ。
「関税が撤廃されると安い木材が入ってくる」。帝国データバンクのアンケートでは、地方の建設会社から市場開放を憂慮する声が寄せられたが、一方で「資材、機材の選択肢が増えるのでプラス」という意見もあった。
ベトナムでは賃貸や転貸が自由化
国外市場はどうなるだろう。「ベトナム、マレーシアおよびブルネイの政府調達に国際競争入札が新たに義務づけられるなど、ASEAN諸国をはじめとする諸外国のインフラ市場の急速な拡大、我が国企業の参入機会のさらなる拡大が予想される」。国交省が3月にまとめた「インフラシステム海外展開行動計画」はTPPの影響をこう記し、東南アジア地域を「絶対に失えない、負けられない市場」と位置づけた。
中央政府機関のほかに、ベトナムでは34の公立病院、マレーシアでは保健省傘下の公立病院や教育省傘下の公立学校、投資開発庁なども調達の対象だ。他の地域では、チリやペルーで地方政府などの建設の基準額が引き下げられた。米国ではテネシー川流域開発公社のほかに複数の電力公社、地方公益事業公社、オーストラリアでは首都交通公社、カナダでは社会資本庁やPPPカナダといった機関が新たな開放の対象としてリストに載った。
ほかにも、海外でのニーズ拡大を予感させる文言が盛り込まれている。ベトナムでは不動産の賃貸や転貸が自由化される。これによって外資の百貨店などが、建物にテナントを入居させて収益化できるようになる。建築物の清掃も自由化の対象だ。マレーシアでは、建設の一部と事務に関連する機械や設備のリース・レンタルが自由化される。
ただ、TPPの膨大な文書をひもといても、不動産・建設分野への直接的な影響をにおわせる記述はそれほど多くない。未来を知るのに必要なのは連想力や想像力だ。「TPPで流通が加速して外国企業が進出し、生活が豊かになると必ず質の高い建物がほしくなる。特にアジアの新興国では今後、日本式の建物の管理が重要になってくると感じる」。国交省で建設・不動産業の国際展開を担当する越智成基国際連携調整官は、このように語る。
冒頭に紹介したいくつかの企業の取り組みは、不動産・建設分野の仕事のヒントになる。関税撤廃を機に、日本企業だけでなく他国の企業も、TPP加盟の新興国に生産拠点を移したらどうなるか。工場が増えて倉庫が足りなくなり、大量の物流が道路や鉄道などインフラの建設を急がせる。海外からの駐在員が増えれば、安全で快適な住宅やオフィス、商業施設が求められる。それは、投資適格といわれる不動産のストックが増えることでもある。
発効までの道のり
とはいえ、発効までの道のりは平坦ではない。取り決めでは、全参加国が署名から2年以内に議会承認などの手続きを完了するか、6カ国以上が手続きを終えてGDPの合計が85%になれば発効できることになっている。合わせてGDPの8割近くを占める米国と日本の批准は必須だ。
日本は、交渉過程の情報開示をめぐる審議の混乱と熊本地震で先の国会での承認を見送り、次期国会での成立をめざす。となれば「いつ」を左右するのは米国だ。元々、今夏、11月の大統領選後のレームダック期間、新大統領就任後の来年1月以降──の三つのシナリオがあったが、大統領選が混沌としているため、早期の承認は難しくなっている。
もう一つの心配のタネは、国力の強い米国が協定の修正を求める再交渉だ。4月の衆議院TPP特別委員会で安倍首相は「ありえない話だ。仮に求められても応じる考えはまったくない」と否定した。しかし、大統領候補からTPPに反対する声が上がるなかで、「揺り戻しはある」という観測も強くなってきた。
この記事は、日経不動産マーケット情報2016年6月号に掲載された記事を再編集したものです。内容は掲載時点での情報です。
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