「研究者の頭脳と時間を違うことに使いすぎ」
ニュートリノ振動でノーベル物理学賞の梶田隆章氏に聞く(最終回)
山口 栄一=京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授
新著『物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて』(日経BP社)で偉大な物理学者たちの足跡をたどった京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授の山口栄一氏(イノベーション理論、物性物理学)が、現代の“賢人”たちと日本の科学やイノベーションの行く末を考える本企画。
前々回、前回に続き、東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章氏との対談の模様を伝える。最終回となる今回は、科学に対する国や市民の視線をテーマに据え、科学立国と言われた日本再興に向けた方策を探った。
(構成は片岡義博=フリー編集者)
定期的なカンフル剤注射
山口:物理学は誰も知らないことを見つけていく学問で、要するに未踏領域に挑戦する学問です。梶田さんがいらっしゃるこの宇宙線研究所、カミオカンデ、スーパーカミオカンデは、いわば「ニュートリノ物理学」という新しい物理学を切り開いてきました。その成果によって、小柴さんと梶田さんがノーベル賞を取られたわけですから、素粒子物理学という分野で日本は誰も認める世界のトップランナーになったといえます。
ただ、物理学全体、あるいは科学全体を俯瞰してみると、博士課程に進む学生の数が減ったり研究予算が削減されたりして、日本の地盤沈下が甚だしいのも事実です。トップを維持していくという観点において、日本はこれからどうしていくべきでしょうか。
梶田隆章(かじた・たかあき)
1959年埼玉県生まれ。東京大学宇宙線研究所長。埼玉大学卒。東京大学大学院博士課程修了。同研究所教授などを経て2008年より現職。1999年朝日賞・仁科記念賞、2010年戸塚洋二賞、2012年日本学士院賞を受賞。2015年ニュートリノ振動の発見によりノーベル物理学賞受賞。(写真:栗原克己)
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梶田:分野に限らず、少なくとも日本のサイエンス、あるいは学術全体のレベルを維持していくことを考えたときに、残念ながら今、全くレベルを保つことができておらず、落ちているといえます。これは明らかに国から国立大学に配分される補助金である運営費交付金の額と連動していると思います。
特に問題なのは「総額は減らすけれども、頑張ったいい子(大学)にはちょっとだけ予算をあげますよ」という制度です。そのために大学の研究者たちがかなりのエネルギーを使ってしまい、そのぶん研究に注ぐ力をそがれています。
山口:例えば「グローバルCOEプログラム」や「リーディング大学院プログラム」、さらには「卓越大学院プログラム」のような5年期限のプログラムですね。補助金の申請書を一生懸命に書いても5年後には期限が切れますから、また一生懸命に書かなければならない。その繰り返しです。ある種のカンフル剤注射を定期的に打たれているような感じでしょうか。
梶田:それは残念ながら、研究そのものではありません。本当に大切な研究をする人間の頭脳と時間を違うことに使いすぎているように感じます。
「ムダを省く」という掛け声
山口:そこには、日本の科学政策の問題点が象徴的に現れているような気がします。
梶田:私が日本の弱点だと思うのは「ムダを省く」という掛け声が大きすぎるということです。教員もただただ忙しそうに働き続けなければならず、研究者が考えを深める時間がないような社会になっている気がしますね。運営費交付金を削って、その分、うまく効率化して研究を進めるという名目で働かされ続けているわけです。
こうした環境では本当に重要な研究ができません。そうした負のスパイラルから抜け出して、余裕を持って研究するという学術社会をつくっていかなければ、日本のサイエンスはダメになる一方だと思います。
山口:文部科学省の再就職あっせん問題で氷山の一角が露呈しましたが、研究をしたこともなく業績もない官僚が大学に教授として天下りする状況がはびこっているのは、国がどんどん大学を管理したがっているということでしょう。
国立研究所も同様です。かつて物性物理学の世界だと電総研(電子技術総合研究所)の研究者たちは世界でトップレベルの研究をしていました。ところが、当時の通産省から制御不能に思われたのか、さまざまな研究機関と統合して産総研(産業技術総合研究所)になり、結局のところそこには世界のトップランナーはいなくなりました。
山口栄一(やまぐち・えいいち)
京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授。1955年福岡市生まれ。専門はイノベーション理論・物性物理学。1977年東京大学理学部物理学科卒業。1979年同大学院理学系研究科物理学専攻修士修了、理学博士(東京大学)。米ノートルダム大学客員研究員、NTT基礎研究所主幹研究員、フランスIMRA Europe招聘研究員、21世紀政策研究所研究主幹、同志社大学大学院教授、英ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローなどを経て、2014年より現職。著書多数。(写真:栗原克己)
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しかし、研究は世界最先端でなければ意味がありません。そのためには未踏分野に挑戦し続けなければ、日本の科学の未来はありません。
梶田:そうですね。研究者はもちろん、やるときはやらなければいけない。ただ24時間、働き続けるのではない。少し余裕を持つことを許してもらうような、そのくらい余裕がある社会に日本がならないとだめです。ムダを省くという掛け声だけでやっていたのでは立ちいかないと思います。
科学者が信頼されなくなった2つの事件
山口:たとえば基礎研究はムダだと官僚も企業も思っているかもしれませんが、ムダではないし、むしろそれこそが本当に大事だということですね。このことは、私が「トランスサイエンス」の問題として考えていることと関わります。
1972年、アメリカの物理学者アルビン・ワインバーグは「科学に問うことはできるけれども、科学が答えられない問題」を「トランスサイエンス」と呼び、これからの社会で問題になると指摘しました。
東電が引き起こした福島の原発事故はその代表例で、実際にワインバーグは「原発において複数の安全装置が同時に働かなくなるような事象は、科学者が答えられないトランスサイエンス問題だ」と予言し、「だから前もって市民も参加して、起きたときの解決策をどうすれば良いかを一緒に考えなくてはならない」と述べました。ところが日本では、当初「原発は絶対に安全だ」と言って議論を封じていた「原子力村」の科学者たちが、この過酷事故が起こった途端、総ざんげを始めた。ついに、日本では科学者全体が市民から信用されないという状況を招きました。
梶田:もちろん原発問題もありますが、もう1つはやはり「STAP細胞」の問題でしょう。恐らく、この2つの件で科学者が信頼を失ってしまったのではないでしょうか。
山口:STAP細胞の当否は実のところよく分からず、10年後、15年後にようやく帰結するような問題かもしれません。梶田さんのように10年間ずっと検証し続ける。そして確かだと思ったら公表するという態度が必要だと思いますね。
梶田:はい。その態度の問題だと、私は思います。
山口:態度ですよね。STAP細胞を理研の宣伝に使おうとするような政治的態度こそが問題の核心だと思います。だから私は梶田さんがニュートリノ振動の証明のため10年間ずっと辛抱したというのは逆にすごいことだなと思います。
梶田:それは仕方ないですよ(笑)。でも10年間で済んだからラッキーでした。太陽ニュートリノは30年以上ですから。
山口:30年以上も。そこをちょっと教えていただけますか?
梶田:太陽の核融合で生成されるニュートリノの観測数が理論の3分の1ぐらいだというのは、1960年代末から問題になっていたんです。いわゆる太陽ニュートリノ問題です。結局、ニュートリノ振動によるものだと明確に分かったのは2001年、2002年です。カナダで行われたプロジェクトが重要な貢献をしました。スーパーカミオカンデやカムランドという日本の研究も大きな貢献をしています。
ニュートリノの可能性
山口:太陽ニュートリノの話が出たついでにお聞きしたいんですけれど、ニュートリノはもちろん地球を突き抜けてしまう恐らく唯一の素粒子なわけですね。
梶田:ダークマター(暗黒物質)もそうかもしれません。
山口:ダークマターもですか。そうすると、例えば北朝鮮の核実験を観測するとか、あるいは原子炉を確認するとかいうこともできそうに思うんですけれど、スーパーカミオカンデでは無理なんでしょうか。
梶田:核実験から出てくるニュートリノは、恐らくそれほど多くないんです。もともとニュートリノを発見したアメリカのフレデリック・ライネスは、最初は核実験によるニュートリノを検出しようとしたのですが実現せず、原子炉によるニュートリノを確認し、1950年代後半にニュートリノの存在を証明しました。
山口:あるいは、ニュートリノを何とか通信に使えないかと考える人たちもいると思います。スイスとフランスの国境にあるCERN(欧州合同原子核研究所)から、イタリアのグラン・サッソ山の研究施設までニュートリノを発射する実験をしたように、地球の裏側からの通信に使える可能性はないのでしょうか。
梶田:それは絶対、経済的にペイしないので成り立たないと思います。
山口:いちいちチェレンコフ光を見なければいけない。
梶田:つまり、観測できるだけのニュートリノを作るために、ものすごく大規模な装置が必要で、観測するほうも大変ですけど、受けるほうも大変です。それならば、少し遅いかもしれないけれども、地球をぐるっと回ったほうが実用的でしょうね。
科学者が市民に語りかける
山口:そうそう、CERN-グラン・サッソ間のニュートリノ通信といえば、2011年に行なわれた実験で「ニュートリノの速さは光速を超えるという結果が出た」と発表されて大騒ぎになりましたね。
梶田:あれは翌年に否定されました。
山口:はい、ちょっとひと安心しました。「光は万物の中で最も高速」としたアインシュタインの相対性理論を覆して新しい物理学を創り直すのは、とんでもなく厄介ですから。
梶田:そうですね。ちょっと人騒がせで、たぶん研究者サイドはそこまでセンセーショナルには発表していなかったと思います。だけどメディア側が飛び付いてしまったんだと私は解釈しています。
山口:やはりメディア側に科学的な知識を有し、丁々発止で科学者と対等に話すことができる力量のある人がいる社会であってほしい気がします。それこそ素粒子に限らず物理学、あるいは物理学に限らず、科学の博士号を持った人がどんどん社会に出ていって、具体的に社会を創り上げる一員になっていってほしい。
梶田:それは本当にそう思いますね。
山口:科学が社会を損なうような「トランスサイエンス」問題が立ち現れたとき、日本は未だにそれを乗り越えるような市民社会を築けていません。東電原発事故の後ですら、科学者と市民とが同じ共鳴場で議論し、根本原因を明らかにするという営みが未だに行なわれていないのです。その不作為は、国や企業の研究軽視と根っこを同一にすると私は思います。
だから市民は、科学者をシビリアン・コントロールするなんて物騒なことを考えずに、むしろ科学者のところに自ら出かけて行って対話する。それと同時に科学者は、社会のさまざまな場に具体的に参加する。そんな社会が到来することを、私は願ってやみません。
実際、梶田さんは、ノーベル賞受賞以後、積極的に市民のところに出かけていき、語りかけておられます。今日は、そんな梶田さんと率直な対話をさせていただいて、あらためて基礎研究の社会的重要さを痛感いたしました。本当にありがとうございました。
(この項終わり)
「ニュートンが万有引力の法則を発見した瞬間」「湯川秀樹が中間子を思い付いた瞬間」――。偉大な物理学者たちによる「創発」は、いかなるプロセスから生まれたのか。著作や論文にも記されていないひらめきの秘密は、「墓」にあった。
物理学者の墓石に刻まれた文字からは、生前の業績だけではなく、遺族や友人たちの思いや、亡くなったときの時代背景などが浮かび上がってくる。自らも物理学者であり、数々のベンチャー企業を創ってきた筆者が、世界を変えた天才たちによる創発の軌跡をたどるとともに、現代のイノベーション論にも言及するスケールの大きな著作。
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