「間違いの原因を知りたくて」がノーベル賞に
ニュートリノ振動でノーベル物理学賞の梶田隆章氏に聞く(第1回)
山口 栄一=京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授
新著『物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて』(日経BP社)で偉大な物理学者たちの足跡をたどった京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授の山口栄一氏(イノベーション理論、物性物理学)が、現代の“賢人”たちと日本の科学やイノベーションの行く末を考える本企画。天野浩氏、根岸英一氏に続く対談相手は、ニュートリノ振動の発見によって2015年のノーベル物理学賞を受賞した東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章氏である。
梶田氏のチームは岐阜県飛騨市の旧神岡鉱山地下にある観測装置「スーパーカミオカンデ」を使って、質量がゼロと思われていた素粒子ニュートリノに質量があることを発見した。宇宙の成り立ちを説明する「標準理論」に綻びがあることを実験によって示したその成果は、世界に衝撃を与えた。
ニュートリノの研究で日本は世界の最先端を走り続けている。しかし宇宙の謎に迫る研究が私たちの日々の暮らしに直接、役に立つわけではない。ここには科学や基礎研究の意義という本質的なテーマが横たわっている。
千葉県柏市にある東大宇宙線研究所で行われた対談の話題は、物理学の常識を覆した発見のプロセスから研究現場の現状、国の科学政策にまで及んだ。その模様を3回にわたり伝える。
(構成は片岡義博=フリー編集者)
予想値と測定値が合わない
山口:偶然ですけれども、私は梶田さんの恩師の小柴昌俊さんと戸塚洋二さんに大変お世話になりました。大学院の修士2年のとき、就職相談室長だった小柴さんに推薦状を書いていただき、当時の電電公社(日本電信電話公社、現NTT)の電気通信研究所に入りました。また、戸塚さんとはJST(科学技術振興機構)の審議会委員として毎月お会いしていました。お二人の後継者である梶田さんにお話を伺えることを大変光栄に思っています。
梶田:私はお二人ほど偉くはありませんが(笑)。
山口:とんでもありません。確かに、小柴さんと戸塚さんが築かれたカミオカンデとスーパーカミオカンデがそれを可能にしましたが、梶田さんこそがまさに誰も知らないことを世界で初めて見つけたわけですから。
1981年、梶田さんが小柴さんの研究室に入るのは、カミオカンデが1983年に稼働開始する前の激動の時代ですね。博士論文の題名は「反ニュートリノと中間子への核子崩壊の探索」。陽子が崩壊するかどうか、つまり小柴さんの当初のライフワークです。
梶田隆章(かじた・たかあき)
1959年埼玉県生まれ。東京大学宇宙線研究所長。埼玉大学卒。東京大学大学院博士課程修了。同研究所教授などを経て2008年より現職。1999年朝日賞・仁科記念賞、2010年戸塚洋二賞、2012年日本学士院賞を受賞。2015年ニュートリノ振動の発見によりノーベル物理学賞受賞。(写真:栗原克己)
梶田:はい。そもそものカミオカンデの目的です。
山口:ということは博士号を取った1986年ごろは、ニュートリノの神秘性にはまだ関心がなく、陽子に寿命があるかどうかが最大の関心事だった。
梶田:そうです。陽子の崩壊という大変重要なテーマを博士論文でやらせていただけるのは非常にありがたかったです。
山口:そもそもカミオカンデが岐阜県神岡鉱山の地下1000mに造られたのは、宇宙から降り注ぐさまざまな宇宙線を遮蔽するためでした。宇宙からのノイズをなくして、3000トンの水を構成する陽子が崩壊するときに出てくる光(チェレンコフ光)を1000本の光電子増倍管で検出しようとする破天荒な構想です。
ところが宇宙線の中で、ニュートリノだけは地球をも貫きます。だから、陽子が崩壊するかどうかを検出するに当たって、宇宙からのニュートリノが水の分子とぶつかる際に発生するチェレンコフ光はノイズ以外の何物でもない。でも、梶田さんはあえてノイズの方に着目された。陽子に焦点を当てた博士論文の研究から、ニュートリノに焦点を当てるように研究テーマを転換するまでに、どんなプロセスがあったのでしょうか。
梶田:陽子崩壊から出るチェレンコフ光を観測するためには、ノイズとなるニュートリノから出るチェレンコフ光との区別を精密にする必要があります。そのためにコンピューターのFortranプログラムを自分で書き、それを改良していったのです。チェレンコフ光のリングが、電子によるものかミューオン(ミュー粒子)によるものかを識別するものでした。ところが、そのプログラムをカミオカンデのデータで試してみると、予想される値と実際の実験データが合わない。
山口栄一(やまぐち・えいいち)
京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授。1955年福岡市生まれ。専門はイノベーション理論・物性物理学。1977年東京大学理学部物理学科卒業。1979年同大学院理学系研究科物理学専攻修士修了、理学博士(東京大学)。米ノートルダム大学客員研究員、NTT基礎研究所主幹研究員、フランスIMRA Europe招聘研究員、21世紀政策研究所研究主幹、同志社大学大学院教授、英ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローなどを経て、2014年より現職。著書多数。(写真:栗原克己)
山口:それは、原子核と反応して飛び出すものによって3種に分けられる「電子ニュートリノ」「ミューニュートリノ」「タウニュートリノ」のうち、ミューオンが飛び出るミューニュートリノと、電子が飛び出る電子ニュートリノがそれぞれカウントできるということですね。
梶田:そうです。カウントしてみると全然予想値と違って、ミューニュートリノの数は予想の60%ほどでした。最初は明らかに私のプログラムのバグだと思いました。だから誰にも言わず、ある程度検証した上で戸塚先生に相談し、小柴先生にはさらに調べてから報告しました。
山口:それぞれの反応はどうでした?
梶田:お二方とも非常にポジティブな反応でしたね。何かが起こっているのかもしれない、とかなり好意的でした。
知のフロンティアを切り拓く
山口:ミューニュートリノの数が予想値より少ないということは、飛行中にそれが減ったということになります。もし「標準理論」が教えるように、ニュートリノが質量を持たないとすると、光速度で飛行しますから、アインシュタインの相対性理論によって地球で観測したニュートリノの時間は止まってしまう。ニュートリノの時間が止まるということは、ニュートリノの種類は変化できないことを意味します。
ところが梶田さんは、ミューニュートリノの数が減ったことを見つけました。これは、ニュートリノが質量を持っていて飛行中に別な種類のニュートリノになった、という可能性があるわけです。ニュートリノ振動、つまりそれぞれのニュートリノの数が時間とともに振動するということは、ニュートリノが質量を持たないという物理学の常識(パラダイム)を壊すことを意味します。
梶田:もちろん、可能性の1つとしてはすぐに考えつきますが、他の可能性が排除できません。私自身、たとえニュートリノ振動が起こったとしても、ミューニュートリノの減り方はわずかなはずだという先入観を持っていたので、60%というのは「いや、全然違う。これはおかしい」と。当時はその極端な少なさが何をもってしても予想できない。これは何かしら重要なことだと直感して、直前まで続けていた陽子崩壊の研究をすべてやめて、そちらに集中しました。
山口:その「おかしさ」の解明に、徹底的にこだわったわけですね。そのときの心の動きを想像すると、あるパラダイムに従って山を登っていくけれども、あるところで絶壁から飛び降りなければいけない。つまり誰も知らないこと、見ていないことに突き進まなければいけないでしょう。学界の常識に反してニュートリノ振動の可能性を示す論文を発表されたのは1988年ですが、世界の科学者が予想してないことを言い出すのは勇気がいると思います。そういう感覚はありましたか。
梶田:あると言えばありました。確かにそれを人に言うとなると、相当勇気がいりましたね。
山口:自分が世界の誰も知らないことを見つけたという内なる喜びは感じられましたか。
梶田:喜びというのか、ワクワク感というのか。当時のことを思い出してみると、コンピューターの出した結果がおかしいのかもしれない。では次に何をやったかというと、コンピューターの出した結果に対して、「このニュートリノ反応はミューニュートリノ」「こちらは電子ニュートリノ」といちいち自分の目で確かめてみました。間違いの原因を自分の目で知りたいと思ったのです。自分のプログラムにバグがなさそうだということはすぐに分かり、もっと奥が深いかもしれない、根本的におかしなことが起きている。これは放ってはおけない、ちゃんとやらなきゃいけないなという思いがありました。
山口:ちゃんとやらなければいけない、というのは科学者としての使命みたいなものでしょうか。
梶田:そうですが、当時考えたことは、間違えてはいけないということでした。私が大間違いをすると、小柴先生や戸塚先生が築いてきた信頼を失ってしまう。実験グループ全体の信頼も失ってしまいます。
山口:科学者として大発見をしたいというお気持ちではなく。
梶田:もともとは陽子崩壊を探すという実験をしていたわけです。ところが、焦点を当てていなかったニュートリノに“おかしな”ことがあると分かった。これはあまりにもサイエンスとして重要なことなので、どうにかして自分が何らかの形で貢献したい、貢献できればな、という思いがありました。
山口:貢献したいという思い。知のフロンティアを少しでも切り拓くところに科学者として無限の喜びを感じるということですね。
ニュートリノ質量よりも驚いたのは…
山口:いろいろな可能性の中で「ニュートリノ振動は間違いのない現象だ。よってニュートリノに質量があることは間違いない」という確固たる判断に行き着いたのは、いつでしょうか。
梶田:明確に行き着いたのは最初の論文発表から10年後の1998年です。データ解析をしていたカミオカンデは残念ながらニュートリノ反応の数が足りず、結局、約20倍の速さでデータが集められるスーパーカミオカンデを待つ必要がありました。
山口:でもニュートリノ振動が起きると勇気を持って言うためには、前述のように物理学の標準理論に盾突かねばなりませんね。アインシュタインの相対性理論によれば、光速ならばニュートリノは変化しません。ニュートリノが質量を持つから、光速よりも少し遅く飛び、振動が起こる可能性がある。「それでも質量は存在する」と言うのは勇気がいると思うのですよ。
梶田:私たちが本当に驚いたのはニュートリノ質量よりも、「混合角が大きい」ということでした。つまりニュートリノ振動でミューニュートリノからタウニュートリノに変わる可能性は理論的にはあるけれど、それはほんの少しだとみんな思っていた。それがある距離走ったところで全部、タウニュートリノになっているようだ。ここがたぶん世の中の人たちが、ニュートリノ振動を受け入れるのに10年かかった1つの要因だと思います。
山口:ミューから全部タウになるという理論はあるのですか。
梶田:当時は考えられていなかったと思います。クォークの物理をそのまま当てはめると、わずかにしか変わらないだろうと予想していたので、みんなニュートリノ振動ではないと思っていました。
山口:ニュートリノに全く違う物理が働いているということですね。今はもうだいたい承認されているのでしょうか。
梶田:はい。なぜか分からないけれど、ニュートリノと、クォークに働く物理は相当違うということは受け入れられています。
山口:ただ、ニュートリノは質量が異常なほど小さいですよね。これは何か素粒子の体系性からはみ出しているという感じがします。
梶田:おっしゃる通りです。ニュートリノの質量は、一番重いニュートリノでも、ニュートリノ以外で一番軽い電子に比べてだいたい1000万分の1になる。すると質量をつくる全く新しいメカニズムが必要であることは物理学界では完全に合意されていることだと思います。
山口:この異常なほど小さい質量こそが、宇宙の起源を解くカギになるのですね。138億年前に宇宙がビッグバンで誕生して、このときは物質(マター)と反物質(アンチマター)は同じ数でなければおかしい。ところがそれがどんどんくっつき、対消滅していってエネルギーに変わり、最終的に物質だけがほんの少し多く残った。だからこそ物質で作られた私たちがこうして今、ここに存在しているわけです。つまり物質の方がほんの少し反物質より多かった。
梶田:その通りです。まさしく物質と反物質の数がなぜ違うのかは大きな謎です。その謎を解くカギがニュートリノにあるのではないかと考えています。
次回に続く
「ニュートンが万有引力の法則を発見した瞬間」「湯川秀樹が中間子を思い付いた瞬間」――。偉大な物理学者たちによる「創発」は、いかなるプロセスから生まれたのか。著作や論文にも記されていないひらめきの秘密は、「墓」にあった。
物理学者の墓石に刻まれた文字からは、生前の業績だけではなく、遺族や友人たちの思いや、亡くなったときの時代背景などが浮かび上がってくる。自らも物理学者であり、数々のベンチャー企業を創ってきた筆者が、世界を変えた天才たちによる創発の軌跡をたどるとともに、現代のイノベーション論にも言及するスケールの大きな著作。
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