ノーベル賞天野氏、「もっと研究に集中したい」
青色LEDでノーベル物理学賞の天野浩氏に聞く(最終回)
山口 栄一=京都大学大学院 総合生存学館(思修館)教授
イノベーション理論と物性物理学を専門とする京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授の山口栄一氏が、現代の“賢人”たちと日本の科学やイノベーションの行く末を考える本企画。前々回、前回に続き、青色LEDでノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学教授の天野浩氏との対談の模様を掲載する。
最終回のテーマは日本の科学政策。リサーチ・アドミニストレーターの役割や市民のコミットといった観点から、科学と社会をつなぐための提言に進む。
(構成は片岡義博=フリー編集者)
社会を変える技術はあるけれど
山口:大きなテーマで話しにくいかもしれませんが、日本の科学政策をどう見ておられますか?
天野 浩(あまの・ひろし)
名古屋大学未来材料・システム研究所未来エレクトロニクス集積研究センター センター長・教授。1960年静岡県浜松市生まれ。1983年名古屋大学工学部卒業。1988年同大学大学院博士課程単位修得退学。1989年工学博士取得。2002年名城大学理工学部教授。2009年応用物理学会フェロー、2010年名古屋大学大学院工学研究科教授。2014年、青色LEDの研究により、ノーベル物理学賞を受賞。(写真:上野英和)
天野:そうですね。国の「SIP」(戦略的イノベーション創造プログラム)とか「ImPACT」(革新的研究開発推進プログラム)を見ていると、「今の時代、もうちょっと見方を変えなきゃいけないんじゃない?」と感じるところはなきにしもあらずですね*。
* SIPとImPACTは、内閣府の「総合科学技術・イノベーション会議」が始めた、産業や社会の在り方を変えるための研究開発を目指す新事業。
山口: 今の延長上に目標を置いているということですか?
天野:そうですね。昔から言われていることにこだわりすぎているような気はします。
山口:つまりブレークスルーではない、と。
天野:そのブレークスルーにしても、例えば量子力学を用いたさまざまな基盤技術を見わたしてみると、2000年代はよかったかもしれませんが、「今もそうなの?」とは感じますね。「今の延長ではなく、もっとハイスピードに世の中を変えられる基盤技術は別にあるんじゃないの?」と感じることがあります。
山口:例えば、どういうものが。
天野:例えばパワートランジスターに全部置き換えたら、消費電力のロスが何十分の一かになるでしょう。
山口:それによる省エネの総量は原発数基分になりますよね。
天野:ええ。そういう形にした方が現在の再活性化も早いんじゃないかなと感じます。
山口:確かに。大企業におもねっているという側面があるかもしれません。
天野:そうですね。大企業が昔から上げている看板が、いまだに上がっているような感じがしないでもない。
AIはどこまで人間の代わりができるか
山口:これまでイノベーションの話を伺ってきました。科学が社会を良くするという面がイノベーションだとすると、逆に負の面というか、科学が社会を損なったり、あるいは科学者が答えられなかったりする問題が今いろいろ出てきていますよね。福島の原発事故はその象徴的な例です。
天野:原発の失敗は、まずトラブルが起きたときの対処方法ができていなかった。それから放射性廃棄物に対しても、自国で処理ができずにフランスに任せていました。まず自分でできるようにしてから動かすべきだったと福島の事故を見て感じますね。
山口:しかも、こういうリスクがあるということは、全く国民に知らされていませんでした。
天野:そうですね。「完全に安全です、安全係数をものすごく上げています」ということだけが市民に知らされていました。
山口:私たちいわゆる物理学者ですら、原子力にコミットできない。
天野:できなかったですね。「安心です」と書いてあるから、その後、思考が停止してしまって。
山口栄一(やまぐち・えいいち)
京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授。1955年福岡市生まれ。専門はイノベーション理論・物性物理学。1977年東京大学理学部物理学科卒業。1979年同大学院理学系研究科物理学専攻修士修了、理学博士(東京大学)。米ノートルダム大学客員研究員、NTT基礎研究所主幹研究員、フランスIMRA Europe招聘研究員、21世紀政策研究所研究主幹、同志社大学大学院教授、英ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローなどを経て、2014年より現職。著書多数。(写真:上野英和)
山口:このように「科学が社会を損なうかもしれない」という議論に対して、私たち科学者はどう考えていけばいいんでしょう。例えば今なら人工知能(AI)です。世の中を変える技術に対して、昔は期待が大きかったけれども、今は不安が出てきている感じがします。
天野:確かにAIも心配されている方は多いですね。ただ、私はAIについては全く心配していません。まずコンピューターはデータがなければ、ただの箱です。機械学習という素晴らしい解析手法ができただけのことで、あれは実験計画法にちょっと毛が生えた程度ですね(笑)。
山口:そういうことですよね。
天野:だから昔から考えていることが少しずつ現実化してきたということです。AIによって職業がなくなると、特に若い子たちが心配しているんですよ。でも私は、「全然心配することはないよ、AIができたらそれを利用して、もっと新しい商売を考えればいいんだよ」と言っています。
山口:なるほど。でもAIがどんどん進化して、それこそ研究のように人間しかできないと思っていたことはどうなるでしょうか?
天野:研究もAI(笑)。
山口:研究はやっぱり人間しかできないと思いますか?
天野:うーん、難しいですね。
山口:というか、いわば創造と発見をAIができるかどうか。
天野:AIができること、というか、ビッグデータを解析してできることは、もうそれに任せてしまえばいいと思うんですよ。人間はそれでもできないことを考えればいいんじゃないですかね。
若い人が活躍できる社会に
山口:話を未来に向けると、これまで科学を職業科学者しかやってこなかった。いわゆるサイエンティストとは、よく考えると科学者というよりも職業科学者ですね。そうではなくて、これからは市民が科学者になる時代だと私は思っているんです。
天野:それはすごく大事ですよね。気付きは誰にもたらされるか分からないですから。我々のような職業研究者が気付く場合もあるでしょうし、一般市民が「これはおかしいんじゃないか」と気付く場合もある。例えば海外に行くといろいろなことに気付きますものね。そういった経験を持っている方の意見をどんどん集約し、あるいはその人が中心になってできる仕組みをつくれば、もっとアクティビティーが上がると思います。
シンガポールや香港では若い人がすごく活躍しています。年寄りでも若い人でも、年齢に関係なく面白いアイデアのある人がどんどん活躍できる社会にしていかないといけません。
山口:そうすると、硬直した制度設計というか仕組みを劇的に変えていかなければいけませんね。シンガポールのように若い人たちも活躍できる日本のやり方があるかどうか。
天野:難しいですね。日本は教育・科学文化の予算が少ないと言いましたけど、それでもシンガポールと比べると日本は大国です。内需もしっかりしているし、余裕もある。ただ、科学を再生するためには、それをやることに意味があるということを国民の皆さんに分かっていただかないといけないですよね。
科学と社会をつなぐ人材を
山口:一般の市民がいかに科学に対してコミットするかということですね。市民が科学の方に加わっていくのは、なかなかハードルが高いという声もあります。
天野:確かにそうなんですね。そういう点では、市民らが自主的に運営するサイエンスコミュニティーなどに参加する研究者らが、科学の素晴らしいところ、危ないところをきちんと皆さんに伝える活動も大事です。
山口:そこに研究者のジレンマもあって、今は研究以外のことにもいろいろ時間を取られるので、そのバランスがけっこう悩ましい。
天野:「おれはもっと研究に集中したいんだ!」(笑)。そういう点では、本当に研究に集中したい人と、社会と連携する活動やマネジメントをする人が必要です。山中伸弥さんは、京都大学iPS細胞研究所でリサーチ・アドミニストレーター(URA:University Research Administrator)を採用されて、研究・開発のマネジメントを実際にやってもらうようにしました。でもこうした事例はまだまだ少ないですね。
山口:そうですね。ただ、URAを創設した文科省は今、URAに対しては少し消極的になり始めていると聞きます。
天野:それはそうなんです。ただ、名古屋大は幸いにして、しっかり活動ができるような形にしてくださっていて、URAもリサーチのマネジメントをやってくれています。社会との連携にも力を注いでいます。
山口:天野さんも、ノーベル賞を取られた後の忙しさは100倍、1000倍になったと思いますけれど、社会連携、特に一般市民向けの講演がとても多くなったんじゃないですか。
天野:いっぱいアレンジしてくださって、高校生とか、若い人たちと話す機会は増えています。そんなふうに市民が科学にコミットして、応援してくれる、あるいは市民自身でやる。そういう形になっていくと、日本は面白い国になると思いますよ。
山口:面白い国になりますよね。それって、ある意味で天野先生の生涯のテーマですね。それこそ大学の時から、「研究のための研究」ではなくて、「社会のための研究」をやりたいんだと仰っていたわけですから。
天野:そう、大学の教員になろうなんて思ったこともなかったし、好きだからこれまで続けさせていただいたんですから。
山口:青色LEDの実現という「社会のための研究」が、なぜノーベル物理学賞に値するのかと揶揄する人もいるようです。しかしそのような人には、人間の知的営みに対する大事な視点が抜け落ちています。それは、「誰もできないと思っていることをできるようにする」というパラダイム破壊こそが、科学に革命をもたらし、人類を新しい次元に引き上げる、ということです。
青色LEDには、「この世の誰もできないと思っていた窒化ガリウム結晶の創製」、「理論物理学者ですらできないと思っていたp型窒化ガリウムの実現」、そして「不可能と思われていた窒化ガリウムと窒化インジウムの混晶の創製」という3つのパラダイム破壊が必要でした。その最初の2つのパラダイム破壊を成し遂げた天野さんの業績は、紛れもなくノーベル物理学賞に値します。その意味で、24歳の業績でノーベル賞を受賞した天野さんは、途絶えようとしている日本のイノベーションにくっきりと光明を与えてくれました。
これからも窒化ガリウムのパワートランジスターを実現させ、それを社会に広めて、原発事故で苦しんできた多くの日本人に希望を与えてほしいと心から思います。ありがとうございました。
(この項終わり、次回から「根岸カップリング」でノーベル化学賞を受賞した米パデュー大学H.C.ブラウン特別教授の根岸英一氏)
「ニュートンが万有引力の法則を発見した瞬間」「湯川秀樹が中間子を思い付いた瞬間」――。偉大な物理学者たちによる「創発」は、いかなるプロセスから生まれたのか。著作や論文にも記されていないひらめきの秘密は、「墓」にあった。
物理学者の墓石に刻まれた文字からは、生前の業績だけではなく、遺族や友人たちの思いや、亡くなったときの時代背景などが浮かび上がってくる。自らも物理学者であり、数々のベンチャー企業を創ってきた筆者が、世界を変えた天才たちによる創発の軌跡をたどるとともに、現代のイノベーション論にも言及するスケールの大きな著作。
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