山口:だから自分たちでもコンピューターを作れる時代が到来した。
天野:コンピューターが個人で使える時代がやって来ていましたからね。もう憧れていました。だけど残念ながら、名古屋大学にコンピューターの専門家がいなかった。

山口:それも不思議で、日本ではどこの大学にもいなかったですよね。世界初の4ビット・マイクロプロセッサー「4004」や歴史的名作の8ビット・マイクロプロセッサー「8080」の設計者は嶋正利さんなのに、日本の大学では研究していなかった。
天野:アメリカがぐっと出て来ちゃったんですね。
山口:私も大学時代、自分で8080を買ってきてコンピューターを作りました。ところが先生が「そんなおもちゃで遊ぶな、もっと勉強しろ」と言われて、「ああ、これは遊びなんだ」と思いました。
天野:最初はインベーダーゲームとか、それぐらいでしたから。
山口:それでも、1980年代から1990年代までは、日本の半導体物理、あるいは応用物理の花が咲いた頃です。
天野:面白かったですよね。
山口:本当に面白かった。世界を引っ張っていたので、何をしても世界初でした。1990年代初めまでに、トランジスターにしても、LEDや半導体レーザーにしても、日本は世界のトップランナーになりました。ところが、1990年代の終わりごろから凋落が始まってしまいました。
大学は社会貢献を考えて
山口:今の大学、その未来を含めてどう思われますか?
天野:やっぱり社会への貢献をもっともっと考えなきゃいけないと思いますね。財務省の資料を見ると、国の予算はほとんど変わらない中で社会保障費だけがぐんと上がっています。それが保険料で賄えているならいいんですけど、借金の分がだんだん増えてきている。それはまずいと思います。我々ができることは、社会や経済を再活性化してGDPを伸ばすしかありません。
山口:産業をちゃんとつくるしかないですね。
天野:もう我々が矢面に立っているような気持ちで、それも責任を持ってやらないといけないなと、私は強く思うようになりました。
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