世界で戦うのに足りないこと、ノーベル賞天野氏
青色LEDでノーベル物理学賞の天野浩氏に聞く(第2回)
山口 栄一=京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授
イノベーション理論と物性物理学を専門とする京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授の山口栄一氏が、現代の“賢人”たちと日本の科学やイノベーションの行く末を考える本企画。前回に続き、青色LEDでノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学教授の天野浩氏との対談の模様を掲載する。
今回のテーマは、イノベーションの孵卵器ともいえる大学や企業のあり方。天野氏が訪問したことのあるシンガポールとの比較や、同氏が進めている企業との共同研究にも話は及んだ。
(構成は片岡義博=フリー編集者)
第二の恩師は数学の先生
山口:24歳の天野さんが窒化ガリウム結晶創製にたどり着いて2014年にノーベル賞を受賞するまで30年ほどあるわけですけれども、私たちの原点、あるいは一番の支えとなるのは家族だという気がします。天野さんの小学校時代は、どういう少年でしたか?
天野 浩(あまの・ひろし)
名古屋大学未来材料・システム研究所未来エレクトロニクス集積研究センター センター長・教授。1960年静岡県浜松市生まれ。1983年名古屋大学工学部卒業。1988年同大学大学院博士課程単位修得退学。1989年工学博士取得。2002年名城大学理工学部教授。2009年応用物理学会フェロー、2010年名古屋大学大学院工学研究科教授。2014年、青色LEDの研究により、ノーベル物理学賞を受賞。(写真:上野英和)
天野:小学校の低学年の頃は病気ばかりしていて、両親が共働きで家にいないので、近くに住んでいた祖母がずっと世話をしてくれていました。高学年になったら元気になって、サッカーとかソフトボールをやっていましたね。ですけど、中学に入ると暗黒の時代。受験が始まるじゃないですか。どうしてもそれが納得できないんです。高校に入るためだけに何でこんなに面倒臭いことをしなきゃいけないんだと。だから中学のときはアマチュア無線にはまって、短波放送でアメリカのポップスなんかを聴いていました。けれど、(母校の浜松西)高校で数学の先生に出会ってから数学がもう大好きになるんです。
山口:そうすると、天野さんの恩師はもちろん赤﨑勇さんだと思いますけれど、2番目の恩師は……
天野:高校で担任だった数学の伊藤保先生ですね。3年間お世話になったんですけど、高校の時も数学だけは好きでした。『オリジナル』という数研出版の問題集が本当に好きで、2年生の中ごろに積分も全部終わって、月刊『大学への数学』をやっていましたね(笑)。
あこがれのコンピューター研究
山口:学部から大学院に入るときに、実はマイクロプロセッサーを研究したかったと伺いました。
天野:ええ、コンピューターが大好きでしたから。ビル・ゲイツさんとかスティーブ・ジョブズさんが1970年代の中ごろに出てきて、我々が大学で電子工学を学ぶのが、その5年後ぐらいです。
山口:だから自分たちでもコンピューターを作れる時代が到来した。
天野:コンピューターが個人で使える時代がやって来ていましたからね。もう憧れていました。だけど残念ながら、名古屋大学にコンピューターの専門家がいなかった。
山口栄一(やまぐち・えいいち)
京都大学大学院総合生存学館(思修館)教授。1955年福岡市生まれ。専門はイノベーション理論・物性物理学。1977年東京大学理学部物理学科卒業。1979年同大学院理学系研究科物理学専攻修士修了、理学博士(東京大学)。米ノートルダム大学客員研究員、NTT基礎研究所主幹研究員、フランスIMRA Europe招聘研究員、21世紀政策研究所研究主幹、同志社大学大学院教授、英ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローなどを経て、2014年より現職。著書多数。(写真:上野英和)
山口:それも不思議で、日本ではどこの大学にもいなかったですよね。世界初の4ビット・マイクロプロセッサー「4004」や歴史的名作の8ビット・マイクロプロセッサー「8080」の設計者は嶋正利さんなのに、日本の大学では研究していなかった。
天野:アメリカがぐっと出て来ちゃったんですね。
山口:私も大学時代、自分で8080を買ってきてコンピューターを作りました。ところが先生が「そんなおもちゃで遊ぶな、もっと勉強しろ」と言われて、「ああ、これは遊びなんだ」と思いました。
天野:最初はインベーダーゲームとか、それぐらいでしたから。
山口:それでも、1980年代から1990年代までは、日本の半導体物理、あるいは応用物理の花が咲いた頃です。
天野:面白かったですよね。
山口:本当に面白かった。世界を引っ張っていたので、何をしても世界初でした。1990年代初めまでに、トランジスターにしても、LEDや半導体レーザーにしても、日本は世界のトップランナーになりました。ところが、1990年代の終わりごろから凋落が始まってしまいました。
大学は社会貢献を考えて
山口:今の大学、その未来を含めてどう思われますか?
天野:やっぱり社会への貢献をもっともっと考えなきゃいけないと思いますね。財務省の資料を見ると、国の予算はほとんど変わらない中で社会保障費だけがぐんと上がっています。それが保険料で賄えているならいいんですけど、借金の分がだんだん増えてきている。それはまずいと思います。我々ができることは、社会や経済を再活性化してGDPを伸ばすしかありません。
山口:産業をちゃんとつくるしかないですね。
天野:もう我々が矢面に立っているような気持ちで、それも責任を持ってやらないといけないなと、私は強く思うようになりました。
山口:実際の学生さんたちはいかがですか?
天野:幸いにして、うちの大学に来る学生さんはやる気があって、研究も一生懸命やってくれるのですが、心配なこともあります。1つは博士課程に行く学生さんは決して少なくないけれども、ほとんど外国人です。国籍で言うと、中国が一番多くて次に韓国。うちは面白くてギニアから1人、アメリカから1人。日本人は1人しかいないのです。
山口:そういう時代ですか。
天野:大学側も頑張っているけれども、ただ、世界と戦うという目で見ると、もっともっと変化のスピードを上げないといけないですよね。先日訪問した香港やシンガポールの大学はすごくランキングが上がっています。見て分かりますね。スピードがまず速い。どんどん社会の要請に応えて変えていく雰囲気があります。
山口:つまり日本の大学は、「社会のための研究(Research for Society)」ではなく、いまだに「研究のための研究(Research for Research)」の意識から抜けられないでいる。天野さんは大学院に進まれた頃から「社会のための研究に憧れていた」と仰っていましたね。
天野:ええ。それを今回の訪問では感じました。
山口:社会の要請に応える大学にするにはどうすればいいとお考えですか?
天野:難しい点があるのも分かるんです。例えばシンガポールの大学に対する予算規模は、GDP比で言うと日本とは比べものにならないほど高い。日本は残念ながらGDPが抑えられて、まずは社会保障費に出さなければいけないので、科学研究費や高等教育に割くお金は限られています。ただ、私の学生の頃もさほど科学研究費は多くなかったけれども、アイデアはたくさんあって、やろうと思えば自分で組み立てて実験もできました。その気持ちを忘れず、やりたいことを自由にできるシステムにするのが大事だと思います。
山口:変化のスピードも上げなくてはいけない。
天野:シンガポールは競争社会です。だからPI(プリンシパル・インベスティゲーター、研究責任者)になるにも年齢が関係ない。いいアイデアを持っている人は、30歳代からPIになって仕事を進めています。アイデアと力の勝負なので「年寄りにはつらい世界だ」とシンガポールの人が言っていました(笑)。
社会を根底から変える可能性
山口:問題は企業にもあると思います。私が見る限り、今の企業は昔に比べると、リスクに挑戦しなくなりました。
天野:いま企業がリスクに挑戦するのは、難しいでしょうね。
山口:何が企業の変化を妨げているんでしょうか?
天野:仕組みでしょうね。やっぱり定常的に動いているものを変えようと思うと、大企業はなかなか慣性が大きすぎるんじゃないですか。
山口:つまり今、イノベーションがなかなか起きにくい環境に大企業がある。リスクを取らない大企業が日本社会の主役になっていて、イノベーターたるベンチャー企業がほとんど生まれなくなってきています。
天野:うちは幸いにして、窒化物半導体を使ったベンチャーが1つできています。フォトカソード(半導体光陰極)を備えた電子銃です。フォトカソードもいろいろ調べると、窒化物半導体が一番いい。あるいはトヨタ自動車から名古屋大に専任教授として来ていただいていて、パワー半導体で「プリウス」を動かそうと取り組んでいます。近い将来、多分プリウスが動きますよ。
山口:それはすごいですね。天野さんが今手掛けられている窒化ガリウム基板上の窒化ガリウム(GaN on GaN)を用いたパワートランジスターの展開はどうでしょう?
天野:GaN on GaNは、例えばLEDにしても電流を光に変換する効率が落ちることがほとんどなく、最も素晴らしいことは分かっています。しかしやっぱり価格ですね。
山口:窒化ガリウム基板の価格?
天野:ええ。窒化ガリウム基板はどうしても今の技術だと値段が高くなります。文部科学省のプロジェクト(省エネルギー社会の実現に資する次世代半導体研究開発)でやっているのは、それをいかに安く作るか。ターゲットも決まっていて、今6インチで100万円ぐらいする窒化ガリウム基板の価格を2万円にする。それが我々の狙いです。
山口:実現すれば新産業が起きますね。半導体産業で日本は大きく陰りを見せていますけれども、シリコンの跡を継ぐ半導体は窒化ガリウムだと私は思っています。最終的にはGaN on GaNでしょうね。
天野:ありがとうございます。GaN on GaNのパワーデバイスは、社会で電気を使うもの全部に使われます。だから社会システムを根底から変えることもあり得ます。これが産業になれば経済も再活性化して、GDPも伸びますよ。車はもちろん、電車や飛行機にもぜひ載せたいんですよ。JAXA(宇宙航空研究開発機構)がすごく興味を示してくださって、一緒にやり始めています。
山口:それはすごい。
天野:窒化ガリウムは耐放射線性もSiC(シリコンカーバイド)と比べても結構いいので、飛行機、それからロケットにも使えます。
山口:ICを作ってもいいでしょう。もし窒化ガリウムICによって、超高温・超高放射線下でも動くコンピューターができれば、宇宙のみならず原子炉の中でも動かせる。だから天野さんへの期待は、これからどんどん大きくなると思います。
次回に続く
「ニュートンが万有引力の法則を発見した瞬間」「湯川秀樹が中間子を思い付いた瞬間」――。偉大な物理学者たちによる「創発」は、いかなるプロセスから生まれたのか。著作や論文にも記されていないひらめきの秘密は、「墓」にあった。
物理学者の墓石に刻まれた文字からは、生前の業績だけではなく、遺族や友人たちの思いや、亡くなったときの時代背景などが浮かび上がってくる。自らも物理学者であり、数々のベンチャー企業を創ってきた筆者が、世界を変えた天才たちによる創発の軌跡をたどるとともに、現代のイノベーション論にも言及するスケールの大きな著作。
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