日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。
(前編はこちら)
悶絶の代謝地図と解かれない謎と
シン・ゴジラ攻撃のヒントを得る代謝マップらしきものを見て、「おお!」と身をのり出した。40年くらい前に初めて見て大感動した細胞の代謝マップを思い起こさせたからだった(分厚い大判サイズの代謝地図帳をどこかの研究所で見て後でやっと入手した)。
そのマップとは、大腸菌がどのようにエネルギー源(栄養)を取り入れて酵素などの働きで生命維持に欠かせない物質を作っているかについての気絶するような生化学反応の経路を、立体的に描いたとんでもなく複雑で美しい図なのだ。生命体で行われている化学反応がこれほど複雑であること、それを解き明かしてきた研究者の努力に敬服したのだ。
代謝マップの一例。これは医薬品メーカー、ロシュ社が1965年に初版を出して以降、改訂を続けてきた「大腸菌の生化学代謝地図」。(出典:Biochemical Pathways、編纂者・Gerhard Michal博士)。
生命科学の進歩を受けて更新し続けている最新マップも次々に公開されており、日本では京都大学のKEGG(京都大学生命システム情報統合データベース)が知られている。
『シン・ゴジラ』に出てくる代謝地図らしきものはその「生化学代謝地図」とはまったく違うが、その複雑さや美しさのイメージはとても似ているので、参考にしたのかもしれない。『シン・ゴジラ』で使われた小道具のそのマップを詳しく見たいなと思うが、映画では、そのマップに動物である(であろう)ゴジラの体内で、原子力をエネルギー源として利用している仕組み、代謝系が描かれている、という「設定」のようだ。
しかし映画では、動物学者がその一番肝心な部分の、「嘘」なりの「謎解き」を最後までしてくれなかった。
ゴジラはありえない動物(生命体?)ゆえ、映画という虚構表現では原子力がエネルギー源であってももちろんOKだが、虚構は虚構なりに「虚の説明」があった方がよかった。いや、製作チームも同じことを考え、虚構なりの説明を組み立てていたのではないかと思うが、上映時間の制限から編集時にそのシーンをカットした可能性もある。
「熱」ではなく「電子」に
映画を観て帰宅後、そこが一番知りたかった「嘘話」なので、私なりにその空隙を埋めてみようと思い立った。
まず、原子力でエネルギーを得るとは、どういうことか?
簡単に言えば、核燃料に核分裂を起こすと、とてつもない熱が出る。その熱で蒸気を作る。原子力発電所では、その蒸気でタービンを回し、タービンに直結した発電機を回して電力を得る。
核融合炉の開発も始まっているが、「核反応→熱→蒸気→発電機→電力」というエネルギー変換は同じだ。
柏崎刈羽原子力発電所の展示室で撮影。左・原子力プラントの全体図、右・原子炉の展示模型。シン・ゴジラが体内にこんなエネルギー発生装置を持っていた、というのは虚構として説明がつかないだろう。(写真・山根一眞・2009年)
原子力潜水艦では、原子炉で発生した熱で作り出した蒸気力で直接スクリューを回し推進力にしたり、蒸気力で発電機を回しバッテリーを充電、それによってモーターを動かしスクリューを回転させている。
原子力をエネルギー源とする方法は、今の科学技術ではこのように「熱利用」が基本だ。
しかし、シン・ゴジラが、そんな核反応による高熱発生機構を体内に持っているというのは「嘘」とはいえ無理がある。シン・ゴジラは、その核反応による熱を冷ますためにある程度の運動の後に海中に入らなければならないという設定のようだが、とすればシン・ゴジラは体内に原子力プラントと同じ設備を内蔵していることになってしまう。このあたりは辛い設定だ。
では、シン・ゴジラが動物であるという前提で、核をエネルギー源とする代謝系は、どうすれば実現可能だろうか。あれこれ考えたのだが、あの巨大な「代謝マップ」がちらついていいアイデアが出ず、眠れなくなった(人迷惑な映画だこと)。
ひとつの可能性として思い浮かんだのは、生命体は電子を巧み利用している点だった。
神経系が情報伝達に電気信号を使っていることは知られているが、ニューロン(脳細胞)のON、OFFの接点であるシナプスでは、電気信号を化学物質に変換し、化学物質を向かいあう接点に飛ばし、受けとった接点側がその化学物質を電気信号に変えて、次の経路に情報を伝えている。
つまり、電気エネルギーと化学エネルギーは相互に変換されている。
そこで、シン・ゴジラは、その電気と化学物質の相互変換能力を著しく増大させているという前提をまず考える。
続いて核分裂か核融合だが、その反応では熱がエネルギーとして出るが、何からの信じがたい、つまり大嘘の設定として、シン・ゴジラは核分裂や核融合で発するとてつもないエネルギーを、「熱」ではなく直接「電気エネルギー」として取り出すことが可能な機能を持つようになった、とする。あり得ないことだが、それらしい嘘かな、と。
「シン・ゴジラは、核エネルギーを直接電気に変換し、その電気を利用して突然変異で作り出したとてつもない生体化学物質で不死身の体を実現しているようです」と、科学者がまことしやかに説明したら面白かったのでは。
人類文明の光明と次なる戦いと
シン・ゴジラはその核燃料を海底に投棄処分された核廃棄物から得たということのようだが、果たしてエネルギーを使い尽くしたカスである核廃棄物をエネルギー源とすることは可能だろうか、という課題もある。
原子力発電所の核燃料は「ウランペレット」と呼ばれる指先に載るほどの小さく焼き固めた粒が最小単位。それを縦に並べて燃料棒としているが、その使用済み燃料が大量に海底に投棄されたわけではないだろう(使用済み燃料は再処理によって新たな燃料にできるので)。
これと同じサイズ・形の原子炉の燃料、ウランペレット1個が一般家庭8~9ヶ月分(2500kWh)のエネルギーを産み出す。燃料棒にはこれを約350個詰めて密封。柏崎刈羽発電所6号機ではその燃料棒を正方形に束ねた燃料集合体872本が原子炉に入っている(出力135.6万kW=発電量は日本第4位の黒四ダムの発電量の4倍)。(写真と手・山根一眞)
そこで、次なる「嘘」としては、シン・ゴジラは核廃棄物を大量に摂取し、ごく微量に残っていた核物質を消化吸収し濃縮、新たな核燃料を作る原子燃料サイクルを行う代謝系をも持っている、としてはどうか。
つまり、シン・ゴジラの体内には、六ヶ所村の原子燃料サイクル施設の超ミニサイズ機能がある、のだ、と。(うーん、まったくあり得ない嘘だが観客をまま納得させることは可能かな?)。
六ヶ所村の原子燃料サイクル施設。原子炉の燃料であるウラン235からエネルギーを取り出し終えた後にまだ残っているウラン238と、一部が変化したプルトニウムを再処理し、再度原子炉の原料とするのが目的。(写真:AP/アフロ)
ということが明らかにされたあと、頭のよさそうな官僚が、
「ということは、シン・ゴジラのそのメカニズムがわかれば、原子力のまったく新しい利用技術が得られるということじゃないですか。これは人類文明の光明です。あ、攻撃時間が迫っている、ダメだ!攻撃を中止!!」
と叫ぶが、時すでに遅し、シン・ゴジラは総攻撃によって粉砕されてしまった……(という結末もあり得た?)。
幸い、映画『シン・ゴジラ』でのシン・ゴジラは、凍結した状態で東京駅に直立したままで終わっているので、『続・シン・ゴジラ』ではその技術を得て次世代のエネルギーを独占しようと某国が攻撃を仕掛けてくる戦いになる……、なんて、ね。
「オメガ計画」と『春と修羅』と
『シン・ゴジラ』には、さりげなく何かを伝えようとしている意味不明のシーンがところどころにちりばめられており、それがこの映画の話題作りに貢献しているのは「監督、お上手ね」だ。
ちなみに、件の博士は放射能を解消する研究をしていたという話が「空想設定」として出てくるが、あれはよろしくなかった。それは空想でも虚構でもなく「分離核変換」(かつては「消滅処理」と呼んだが)という技術として確立しているからだ。日本はそれを「オメガ計画」(OMEGA=Option Making of Extra Gain from Actinides and fission products)として具体的なプラントの計画図も描かれ実現に向けて取り組んだこともあったが、予算がつかず計画は「消滅」してしまった。
2002年にその研究の推進役だった研究者、向山武彦さん(当時・中性子科学研究センター長)と対談を行い拙著に掲載しているだけに、そういう技術が観客に「ありえない虚構だ」と思い込ませているのはよろしくないです。
ゴジラが、「分離核変換」能力を持ったことにすれば、不法廃棄放射性廃棄物を餌にしたストーリーが、もっと面白くできたと思う。
高レベルの放射性廃棄物には放射能を20万年も出し続けるものがあるが、その廃棄物を燃料にし核分裂させれば、エネルギーを取り出しながら半減期を1~10年に短縮できるというのが「OMEGA計画」。拙著『
メタルカラー烈伝・温暖化クライシス』(2006年、小学館刊)に収載した対談で向山さんは、コストはかかるが、「この技術を導入しても原子力発電のコスト上昇は5%以内で済む」と語っている。写真左下は、ノーベル賞受賞者の小柴昌俊さん。(写真・山根一眞)
何かを伝えようとしている意味不明のシーンで、もうひとつ気になったのが、博士が遺した宮澤賢治の詩集『春と修羅』だ。
『春と修羅』は1922年(大正11年)、賢治の生存中に出版された唯一の作品だ。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
という「序」が私はとりわけ好きで暗記している。
1967年10月の誕生日、20歳を迎えた日、私はぶしつけにも熱く傾倒していた宮澤賢治の生家(岩手県花巻市)をいきなり訪ねたのだが、御令弟の宮澤清六さんがあたたかく迎えて下さった。そして賢治の最期の日のことなど多くの賢治の人生を伺い、また、賢治のたくさんの生原稿を見せていただいた。その一つが、『春と修羅』だったのだ。また、清六さんにプレゼントされた清六さんのサイン入りの『賢治詩集』は、天皇皇后陛下から手渡しでプレゼントされた数冊の本とともに書棚に燦然と輝くお宝なのに、ゴジラ映画に『春と修羅』が出てきちゃったとは……。
1967年、花巻市の宮澤賢治の生家で『春と修羅』の生原稿の一部を手にとり写真に撮ることができた。48年前のことゆえ、性能の悪いフィルムカメラでの暗い室内での接写で画質はひどいが私にとっては貴重な一枚だ。(写真・山根一眞)
このシン・ゴジラでの『春と修羅』の意味も書きたいが、賢治ファンは多く、議論を始めると炎上しちゃいそうなのでやめておくが、困った投げかけをしてくれましたねぇ。
八岐大蛇の教訓と止まらぬ妄想と
最後に、話題にのぼっている大きな謎かけが、凍結されたシン・ゴジラの尾に人間のようなものが透けてみえているらしい、というシーンだ(スクリーンが大きすぎて私は気づかなかった)。
「暴れまくる怪獣、その退治、そして尾に何かがある」というモチーフは、八岐大蛇(やまたのおろち)神話を思わせる。山陰地方に伝わるこの神話はスサノオノミコト(須佐之男命)が、暴れまくる頭と尾が8つある怪獣を倒す物語だが、その怪獣の「尾」から出て来たのが、後に三種の神器のひとつとなる「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」なのである。
『日本書記』や『古事記』に記されたこの神話をたどって山陰地方を調べ歩いたことがあるが、専門家から、これは日本最初の公害事件だという意見を聞いた。大陸から渡来した帰化人がもたらしたとされる技術である鑪(たたら)製鉄では、大量の木炭を必要としたため森林は大量伐採によって荒廃した。それによって下流の農村はしばしば鉄砲水や洪水被害に悩まされた。下流の人々は、見上げる山に光る紅い光を頭が8つある大蛇の眼だと信じていたが、それは鑪製鉄の精錬の火だった。また、精錬によって出る鉱毒による水の汚染も下流の人々を苦しめた。
出雲地方を中心に八岐大蛇伝説は山陰各地に広く神楽として残っているが、その各地を調べたところ鑪製鉄の流れをくむ鉄つくり(ベンガラ=酸化鉄)も重なっていることに気づいた。(出典:訳・チェンバレン、画・小林永濯『日本昔噺第九号 八頭ノ大蛇(英語版)) 』1886年、長谷川武次郎刊)
八岐大蛇とは工業化が産み出した「怪物=環境破壊=公害」であり、斃れた八岐大蛇の尾から大刀が出てきたのは、まさに鑪製鉄の象徴なのだという(今も優れた名刀には鑪製鉄による玉鋼が欠かせない)。これは一つの説ではあるが、実際に出雲地方の古代の鑪製鉄の遺跡を訪ねて、化石化した松の巨木の切株が多く残っていることを知り、この説はホントだろうなという思いを抱いた。
八岐大蛇は工業化によってもたらされた巨大災害で、象徴がその代償として得た鉄鋼製品というストーリーをシン・ゴジラになぞらえると、尾に原子力災害をもたらした、いや、そのエネルギーを享受してきたものの象徴として「人」を描き込んだと、読み解くこともできる(庵野監督がそこまで考えていたとしたら、やはり天才でしょう、もっとも庵野監督はこの『シン・ゴジラ』で疲れ果てたのか、もうゴジラ映画は作らないと発言しているそうだが)。
『シン・ゴジラ』が、子供向け映画としてではなく大人向けの映画として面白いのは、観客にこういう「みだらな妄想」を次から次へともたらしてくれるからなのだ、というのが私の感想です。
読者の皆様へ:あなたの「読み」を教えてください
映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?
その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。
その挑発的な情報の怒涛をどう「読む」か――。日経ビジネスオンラインでは、人気連載陣のほか、財界、政界、学術界、文芸界など各界のキーマンの「読み」をお届けするキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を開始しました。
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(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)
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