大宅壮一文庫の雑誌収蔵庫の一部。「我が国唯一の雑誌図書館として社会に寄与した実績」で第30回菊池寛賞を受賞。(写真・山根一眞)
若い世代が知らない「トトカルチョ」の変遷
toto 楽しく予想して、最高5億円。
これは、Jリーグのサッカー試合の結果を予想する「適法」の「くじ」のキャッチフレーズで、「toto」は「トトカルチョ」の短縮形だ。この賭博の胴元は、独立行政法人日本スポーツ振興センター(お騒がせ続きの文部科学省の所管)。
トトカルチョ〔名〕({イタリア}totocalcio )
プロサッカー試合の勝敗を予想して行なう賭博。1922年イギリスに始まり、イタリア、スウェーデンなどで公認されている。転じて、一般に、物事の勝敗などを予想して行なう賭け事にもいう。(『日本国語大辞典』小学館)
「トトカルチョ」は、いくつかの国語辞典や現代用語の事典でも、ヨーロッパ由来の公認の賭博であるという説明しかない。だが、オールド世代は、「トトカルチョ」がヤクザなどの資金稼ぎの闇商売=賭博を意味していたことを覚えている。違法行為を指す言葉が、適法行為を意味する言葉になったのである。
かつて「違法行為」とされたのは、もったいぶった言い方をすれば、それが健全な市民生活を脅かす危険があり、かつ暴力団などの資金源を断つためだった。
このように、時代を物語る言葉は、時代によって変質、あるいは意図的に改変されることがあり、ある社会現象をきちんと見据えてとられるためには、「今」と「過去のケース」を比較検討する必要がある。
だが、「違法」トトカルチョの時代について調べようとしても、ネット検索では古い情報はまず見つからない。かつ、こういう下世話な事象は新聞記事検索でもなかなか出てこない。一方、過去に発行された雑誌記事にはそれがある可能性が大きい。といって膨大な量の過去の雑誌の中から目指す記事を探し出すのはきわめて難しい。しかし、望む雑誌記事が検索できるスゴイ方法があるのだ。
地上2階と地階(2層)のいたるところに収納されている78万冊の蔵書。書籍3万冊は埼玉県の越生分館に所蔵。閲覧予約は可能だ。(写真・山根一眞)
甲子園選抜高校野球 やはり当る「トトカルチョ」
(週刊新潮・1981年04月09日)
名門校のトトカルチョで騒いだのは誰だ!?
湘南高校・野球トトカルチョ
(週刊プレイボーイ・1988年11月22日)
朝日新聞販売店グループが「高校野球トトカルチョ」を開帳 参加人数80名超 br>夏の甲子園"主催社"が犯した賭博行為を示す『投票用紙』『オッズ表』を入手
(FLASH・2002年09月10日)
この3件の「違法」トトカルチョとおぼしき「犯罪」を報じた雑誌記事を自宅にいながらパソコンで探し出せたのは、大宅壮一(おおやそういち)文庫のホームページにある雑誌記事索引検索(Web OYA-Bunko)のおかげだった。
『文藝春秋』の創刊号(1923年・大正12年)以降の棚。幕末か以降の雑誌の創刊号だけでも約7000冊あり、明治、大正時代の『創刊号コレクション』を販売したがすべて売り切れたが、閲覧は可能だ。(写真・山根一眞)
大宅壮一文庫の特徴は人物検索にあり芸能誌の記事請求はとても多い。人物記事の人気ランキング1位は松田聖子、2位は僅差で小沢一郎(政治家)、3位は長島茂雄だった(2015年2月調査)。(写真・山根一眞)
収蔵している明治時代から現在まで、約1万種類の雑誌、およそ78万冊から作成したこのデータベースの記事索引はじつに520万件にのぼる。しかも、検索しヒットした記事全文を読みたければ、図書館と同じようにそのコピーを請求、会員になると自宅や職場までファックスで送ってもらうこともできるのだ。もちろん、Googleのようにタダではなく、有償だが。
雑誌記事を検索し全文を読みたい場合は複写サービスを依頼。ファックス送信にも対応しているが、その作業も楽ではない。全雑誌をスキャンしPDFデータとする案もあるがコストは莫大となり、また著作権の問題もあるため実現の可能性は遠い。(写真・山根一眞)
ネットのウソとカッパライの情報
国立国会図書館も雑誌は収蔵しているが学術雑誌が中心で、大衆週刊誌などの数は少ない。その理由としてこんな断り書きをしている。
すべての雑誌記事に遡及的な検索手段の必要があるとは思われないし、国立国会図書館が所蔵する雑誌すべての索引を作るには膨大な時間と人手を要する。そこで今日の『雑誌記事索引』は、冊子体の時代には学術研究目的の検索を想定していたことを継承しつつ、国立国会図書館の役割である立法調査・図書館協力・一般の調査研究利用に資することを目的として採録誌を選定している。
国立国会図書館の雑誌検索で「トトカルチョ」について検索したが、大宅壮一文庫のようには出てこなかった。下世話な、しかし大衆、世相にもっとも近い話題、テーマは大宅壮一文庫にまかせろ、だ。
世田谷区八幡山にある本館の閲覧室(開館時間は10:00~18:00、日・祝日は休館)。入館料は500円(一般、65歳以上は250円。閲覧数は15冊までだが会員になれば150冊)。1Fの端末で記事を探し複写請求したり2Fの閲覧室で読む。(写真・山根一眞)
これはスチール製の移動式書架だが移動式が未導入の書架も多い。新人スタッフが、どこに請求された雑誌があるかがすぐわかるまでには2~3か月の習熟が必要。(写真・山根一眞)
ネット検索ではGoogle検索が定番だが、やはりこういう雑誌記事検索はまったく不可能だ。
また、「Google」検索で出てくる記事では、執筆者が誰なのか明かさない匿名記事が少なくない。私は、長年にわたりジャーナリズムで仕事をしてきたが、匿名で記事を書いたことはない。自分で取材をし、考え、書いた記事に責任を持つのは当然だからだが、そういう広く公開する記事に不可欠なルールはネットでは定着していない。
また、ネット情報は匿名でも公開できるため、ウソ(フェイク)情報、他のサイトからのカッパライ(コピペによる無断引用)も多く混じっているが、閲覧数さえ多ければ検索のトップに表示されるのがGoogleに代表される検索エンジンのビジネスなのだから胸が痛む。野球チームのオーナーでもあるDeNAが、ウソ情報、他のサイトからのカッパライ情報満載の医学・健康記事サイト「WELQ」を運営しアクセス数を稼いでいた企業姿勢は、ウェブでは氷山の一角だろう。
そういうネット時代だからこそ、雑誌図書館、大宅壮一文庫の約78万冊の執筆者(社)が明確な雑誌記事、520万件の記事索引価値はきわめて大きいのだ。
しかし、その大宅壮一文庫が今、存亡の危機に直面している。
46年目の大宅文庫
「公益財団法人・大宅壮一文庫」は、マスコミ関係者以外ではあまり知られていないのではないか。私たちは「大宅文庫」と呼んできたが、「その文庫、岩波文庫のようなものですか?」と質問する人もいたくらいだが、大宅壮一文庫は、日本唯一、最大の雑誌図書館なのである。
大宅壮一文庫は、故・大宅壮一(1900~1970)の雑誌蔵書が出発点だ。
戦後のマスコミ界で活躍した秀逸な社会評論家であった大宅壮一は、あらゆる社会現象の本質を鋭く適格な「造語」で看破する才能とエネルギーをもっていた。「クチコミ」「恐妻家」「一億総白痴化」、いずれも大宅壮一の造語だ。1970年代に初めてアマゾンを訪ねた時、日本人移住者が苦労した現地を「緑の地獄」と表現したのが大宅壮一だと知った。こういう才能と影響力をもった評論家は、その後、登場していない。
大宅壮一は1967年に「大宅マスコミ塾」を開塾、数多くの優れた雑誌ジャーナリストを育てたことも特筆される(私はその一世代あとだったので、残念ながら教えを受けられなかったが)。
大宅壮一と、晩年まで大宅壮一文庫の理事長をつとめ100歳で亡くなった妻の昌さん(1906~2007)。(写真・大宅壮一文庫)。かつての書斎に今も並ぶ著作。(写真・山根一眞)
最近、大宅壮一の三女で評論家の大宅映子さん(大宅壮一文庫理事長)が、『大宅壮一のことば 「一億総白痴化」を予言した男』(KADOKAWA刊)という本を出版した。大宅壮一が残した代表的な評論が再録されており、社会に対する鋭い指摘の数々が、今の時代でも通用することに驚かされる。
2代目の理事長、大宅映子さん。近刊の『大宅壮一のことば』は「怪物評論家の傑作コラム」というキャッチフレーズにふさわしい内容だ。(写真・山根一眞)
そういう大宅壮一の評論活動を支えたのが、あきれるほどどん欲に収集し、目を通し続けた雑誌であり、その書庫だった。およそ20万冊(大半が雑誌)におよぶその書庫が、没後1年目の1971年に一般公開され発足したのが、大宅壮一文庫なのである。
公共図書館でも雑誌が閲覧できる例は少なくない。退職後、自由な時間を図書館で過ごす世代が増えており、雑誌は人気なのだという。だが雑誌は、単行本と異なり、一定期間が過ぎると廃棄処分されることが多い。大宅壮一文庫がなければ、雑誌の文化は後世に伝えられなくなるおそれも大きい。
こうして今年、46年目を迎えた大宅壮一文庫だが、約78万冊の雑誌の管理、そして520万件の記事索引データベースの更新作業には、とてつもない労力とコストがかかっている。事務局の鴨志田浩さんによれば、最新刊の『週刊文春』が届けば、およそ65件(2017年6月の平均)の記事索引をデータベースに入力しなければならないが、その入力は記事の意図を読みとるスキルの高いスタッフの人手によっており、年間の索引作成件数はじつに10万件以上にのぼる。
「Web OYA-bunko」のための索引入力作業。たまたま『日経TRENDY』(日経BP)の「2017年前半のヒット商品」記事の入力中だった。30年後、50年後に今の時代の消費性向を知る貴重な資料となるだろう。(写真・山根一眞)
北朝鮮拉致記事の作業
論文や記事のデジタルデータベース化では、索引作りもコンピュータによる自動化が進んでいるが、大宅壮一文庫はそれでは役立つ雑誌記事インデクスとはならないと考えている。
たとえば、「Web OYA-Bunko」で「北朝鮮 拉致」を記事検索すると、「検索結果は3,689件です」と出る。その検索結果で最も古い記事のトップ3は以下だ。
事件『蒸発』した婚約者同士 確たる手がかりもなく、3カ月経過
福井県小浜市で起きた地村保志さんと浜本富貴恵さんの"蒸発"事件
(週刊新潮・1978年11月02日)
新聞閲覧室 海岸で消えた男女の行方
南日本新聞,鹿児島県の海岸のキャンプ場で行方不明になって半年が経過した市川修一さんと増元るみ子さん
(週刊新潮・1979年03月01日)
This Week 某国情報機関が介在か? アベック3組蒸発事件
地村保志さんと浜本富貴恵さん、新潟柏崎市のKさんとUさん、市川修一さんと増元るみ子さん
(週刊文春・1980年01月17日)
この3本の記事タイトルには、「北朝鮮」や「拉致」という言葉が含まれていないが、大宅壮一文庫のオンラインの記事検索では「北朝鮮 拉致」でヒットするのだ。鴨志田さんによれば、これらの記事には、当初は「行方不明」「失踪」といった索引のみがつけられていたが、2004年5月、小泉純一郎総理大臣(当時)が北朝鮮に拉致を認めさせ5人の拉致被害者を帰国させた段階で、過去の拉致被害関連の記事を探し出し、すべてに「北朝鮮の日本人拉致問題」という索引を加える修正をしたからなのだそうだ。
もっともその作業は、「これまで経験したインデクスの加筆作業では、この北朝鮮拉致被害が一番大変だった」という。
私自身、これらの記事が掲載された1980年代初頭、秋田県の海岸沿いを取材中、拉致被害と思われる行方不明事件が起こっていることをあちこちで聞いた。「北朝鮮工作員が隠したと思われるゴムボードなどが発見されたことも」という証言もあった。また、日本の公安当局が「不明国の工作員による拉致に注意」といった趣旨のチラシを各戸に配付もしていた。それは当時、国が北朝鮮による拉致を認識していたからではないかと思う。当時の記事には「北朝鮮」「拉致」という言葉はないもの、行方不明の状況や証言は書かれていたのだ。これらの記事は、この問題のその後の国の対応が十分だったのかどうかを検証する手立てになるかもしれない。大宅壮一文庫、おそるべしだ。
単に記事タイトルだけを入力するのではなく、丹念に記事に目を通し検索しやすい索引を加えていく。この地道な「人力」が大宅壮一文庫の宝だ。(写真・山根一眞)
若いジャーナリストを育ててくれた
雑誌のインタビューでホンネを語っていたにもかかわらず、後年、本人が、その、かつての発言を否定しようとも、雑誌には「語った」記録がしっかりと残っていて、大宅壮一文庫ならそれがすぐに見つかるのだ。
美女接近
「ときどき中国人だったり、日本人だったりするんです」
エスノ・フェースが妖しい魅力の'88クラリオン・ガール
(謝蓮舫・週刊宝石。1987年09月18日)
蓮舫ハ北京大學留學中 5回
エリート中国人の"自分探し"は続く
中国の働く女性たち
(蓮舫・コスモポリタン、1996年09月)
などはその一例か。
こういう作業を、大宅壮一文庫は、今も年間、寄贈される1万数千冊の雑誌で続けているのである、20年後、30年後に記事が思いもかけない資料性を見せてくれるかもしれないことを想定して。
1971年の発足以降、大宅壮一文庫の利用者の大半は、マスコミ関係者だ。
1970年代は雑誌の黄金時代で、『週刊文春』(1959年)、『週刊新潮』(1956年)、『週刊現代』(1959年)、『週刊ポスト』(1969年)など出版社系週刊誌が大きく台頭、一誌で発行部数100万部を数えることもあった。それらを支えるフリー記者たちにとって、過去の雑誌記事を閲覧できる大宅文庫はなくてはならない存在だった。私が40年前に現在の地に引越したのも、大宅壮一文庫が近いためだった。
大宅壮一文庫(世田谷本館)。私たちが通っていた20代の頃は増築前だったが、必ず仲間のフリージャーナリストと顔を合わせるため、大宅壮一文庫は情報交換の場として欠かせないサロンだった。新宿駅から20分、京王線の八幡山駅で下車し徒歩8分だ。(写真・大宅壮一文庫)
求める記事は、東京・世田谷区八幡山の大宅壮一文庫を訪ね、図書館にあるようなカードを引き出しては探していた。その分類は図書館の日本十進分類とは大きく異なり、「人物」と「件名」の2つのジャンルがあり、「件名」は時代を見事に映す分類項目で整理されている。「政治」「経済」はあるが、「探険・移民」「犯罪・事件」「右翼」「左翼」「奇人変人」「賭博」「おんな」など33項目に分類されたカードは、どれを見ても楽しかった(現在のデータベースもそれを継承)。
もっとも、時間がない時にはカードを探す時間が惜しかった。せめて検索カードの「小項目リスト」だけでも手元にあればと望み、私は、いずれもまだ20代だった仲間のフリージャーナリストたちに呼びかけ、大宅壮一文庫に何日も通い、カードの小項目を書き出し、『大宅文庫カタログ』という小冊子を自費出版した。それは、私たちにとっては大宅壮一文庫の最初の「索引冊子」となり、大宅壮一文庫利用に欠かせないものとなった。
その後、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』(明治時代~1995年)が出版され、1988年~2008年までの索引はCD-ROMとして刊行され、利便性は大きく進化。そして、ネット上で記事検索が簡単にできるようになったのは、何ともありがたい。大宅壮一文庫の記事検索は、公共図書館や大学図書館で利用できるケースも増えた。
クラウドファンディングで一息つけるか?
しかしこの数年、利用者数の減少が目立ち始めた。調べものをGoogleなどのネット検索で済ませることが増えたからだろう。
大宅壮一文庫の利用者は年間8600~8700人。その3分の1が来館者で、3分の2はデータベース利用者だ。法人会員や教育機関、公立図書館、個人会員などの会費や利用料金でデータベースの年間運用費(約2000万円)はなんとか賄えてはいるようだが、財布の事情は厳しさを増している。出版の低迷、テレビやラジオ番組の制作費の大幅削減、公立図書館や大学の経費削減などの影響で事業収入の漸減が進んでおり、年間赤字が4000万円に陥ったこともある。施設の老朽化への対応も大きな課題だが、今年はデータベースのバージョンアップに7000万円が必要だという。
また、人件費削減のため最盛期には60人いた職員が現在は34人とギリギリの体制になったが、現在のスタッフはよくぞ逃げ出さないで支えてくれているなと思う。「皆、本や雑誌が好きで、大宅壮一文庫を愛しているからこそ続けている」という話には頭が下がった。だが、先日、久々に大宅壮一文庫をくまなく見せてもらい、現況を詳しく聞き、このままではもたないと血の気が引く思いだった。
このままでは大宅壮一文庫は潰れてしまう…。
利用者から記事請求があるとスタッフは狭い階段を小走りに上り下りし、狭い書架に雑誌を探す。その木製階段のステップ部分の縁が大きくすり減ってることに気づいた(写真下)。私の仕事を支えてくれたスタッフの皆さんの労力の大きさを物語る。(写真・山根一眞)
最近交代した事務局長、冨田明生さんのもと、大宅壮一文庫のさまざまな生き残り策が動き始めている。(写真・山根一眞)
もっとも朗報はあった。
大宅壮一文庫の利用を広げ寄付を幅広くつのるため、インターネット上でのクラウドファンディングサービス、「Ready for(レディフォー)」に、
大宅壮一文庫を存続させたい。日本で最初に誕生した雑誌の図書館
と、登録したところ、わずか3日間で目標金額(500万円)が集まったのだ。新聞などが報じてくれたおかげでもある。
この「Ready for」は若い女性経営者が始めたネットビジネスで、3000円から寄付ができるシステムだ。そのウェブによれば、「総支援額42億円以上、実績件数6500件以上」で、現在、「支援金額の多いプロジェクト」だけでも3497件という「日本最大のクラウドファンディングサービス」だ(手数料が支援金額の17%というのはちょっとなぁと思うが)。インターネットによって財政難に追い詰められている大宅壮一文庫が、インターネットに助けられるというのは皮肉な話ではあるが。
それにしても3000万円近い支援を受けている他のプロジェクトもあるだけに、大宅壮一文庫の500万円という目標額はずいぶんと控えめだ。そういうところが大宅壮一文庫らしいのだが、6月28日午後11時半現在、目標額を上回る751万5000円(669人)が寄せられていて感激した。→最新情報はこちら
もっとも寄付の受付期限はあと2日、6月30日までなのだ。まずい。些少だが私もあわてて寄付したが、大宅壮一文庫が今後、健全な運営を続けられるよい方策はないものか考えあぐねている、健全なジャーナリズムのために。
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