少子高齢化社会はさまざまな産業に影を落とす。住宅、保険、教育、ブライダル。玩具やプラモデル業界に与えるダメージも強烈だ。
子どもが減れば売り上げは容赦なく落ちていく。大人の愛好家が多いプラモデルのマーケットも盤石ではない。年を取り老眼が進めばプラモデル作りにつきものの細かな作業がきつくなり、プラモデル離れが進むからだ。ミニ四駆、ラジコン(RC)カー、プラモデルなど5000点以上のホビーアイテムのラインナップを誇るタミヤ(旧社名は田宮模型)が海外に積極的に進出している理由はそこにある。
北米、南米、ヨーロッパ。世界各地にタミヤの販売網が張り巡らされている中、タイの市場開拓を担ってきたのが1992年に設立されたサイアムタミヤだ。それ以前、タイでは大手流通のセントラルグループが代理店としてタミヤ製品の販売を行ってきたが、低空飛行に終わっていた。
東南アジアのハブにあたるタイのマーケットをなんとか活性化したい。そう考えたタミヤが白羽の矢を立てたのが、アメリカでタミヤの代理店に勤めた後に別の会社に転職し、タイに赴任していた鈴木健司氏だ。
バンコクの人気ショッピングモール、ファッションアイランドで定期的に開催されているタミヤのイベント。年齢層が幅広い。
NHKの番組で見出される
きっかけは、タイで働く鈴木氏を取り上げたNHKの番組だった。たまたま番組を目にしたタミヤの社長が鈴木氏に連絡を取り「タイでタミヤ製品を売ってほしい」とオファーを出し、これを受ける形でタミヤの正規代理販売・輸入業を営むサイアムタミヤが設立された。
「経験も何もなく、まったくのゼロからのスタートだったため、どうせやるならタミヤの名前をもらえないかと申し出てみたんですよ。幸い快諾してもらい、サイアムタミヤの社名にすることができました」
こう話すのは現代表をつとめる鈴木格氏だ。格氏は父親の健司氏がタイに駐在していた1989年から2年ほどタイに語学留学で滞在し、いったんは帰国したものの、サイアムタミヤが設立されるタイミングで再度タイに戻り経営に参画した。
日本と違い、タイ人の多くは子ども時代にプラモデルやRCカーに触れる体験をしていない。作ったこともなければ見たこともない。そんな子どもが珍しくない国でいかにしてタミヤ製品を拡販していくべきか。
親子2人は市場開拓の切り札として小型の動力が付いたミニ四駆に狙いを定めた。
格氏は振り返る。
「当時、日本では『コロコロコミック』で連載されていたマンガ『ダッシュ!四駆郎』が大変な人気を集め、ミニ四駆がよく売れていました。タイでは日本のマンガの影響力が非常に高い。日本で流行ったものはタイでも必ず売れるはずだと考えたんです」
しかし、ただミニ四駆を売り場に並べるだけでは成功は望めない。それは、サイアムタミヤ以前の時代の失敗からも明らかだ。プラモデル文化がないタイでは、商品を見て手に取れるだけではなく、動力のついたミニ四駆の楽しさ・面白さを体感できる場が欠かせない。
そこでサイアムタミヤはバンコク中心部のショッピングモールやジャスコ(当時)の軒先を借り、週替りでミニ四駆大会を開催した。
ミニ四駆の特設サーキット。自作の車を走らせ性能を競う貴重な場をファンに提供している。
イベントが大当たりして大ヒット、しかし……
参加費用は無料。豊富に揃ったボディやシャーシ、グレードアップパーツなどを使って各自が思い思いに組み立てたミニ四駆を走らせ、いかに早くコースアウトせずにゴールできるかを競う場だ。コースで一度に走れるミニ四駆は3台~5台。優勝者が決まるまでレースを行い、勝者にはトロフィーやタミヤ製品を贈呈する試みにバンコクの子どもたちは夢中になる。
ミニ四駆の価格は198バーツ。安くはないが手に入らない価格でもない。改造し性能をあげていく楽しさはタイでも受け入れられ、気がつけばミニ四駆ブームがタイを席巻していた。
熱狂は数字となって現れた。売り上げは急増。爆発的な大ヒットといってよかった。
だが、ブームが牽引した人気はもろかった。
「人気が高かったのも2年程度。熱狂的だったミニ四駆ブームも気がつけば収束し、売り上げも大幅にダウンして、ピーク時の半分程度にまで落ちこんでしまいました」(鈴木格氏)
定着する前にあっけなくブームが去ったミニ四駆を再び伸ばすのは至難の業だと判断し、サイアムタミヤは生き残りをかけ、RCカーの強化へと舵を切った。1台198バーツのミニ四駆と違って、RCカーの価格は1万バーツ以上。当時のタイの初任給が8000~1万バーツであることを考えればおいそれと手に入る商品ではなかったが、ミニ四駆同様、レース型のイベントに力を入れることでファンを着実に増やす戦略を打ち出したのだ。
「あるラジコンサーキットに商品を置いてもらい、RCカーを走らせるイベントを開きました。単価が高いので当初、ファンは一部の層に限定されていましたが、少しずつ増えて、力のある子も育ってきた。2000年にはタミヤのRCカーを使っていたタイの少年が、RCカーの世界選手権でチャンピオンになったほどです。とはいえミニ四駆のようなブームが起きることはありませんでしたが(笑)」
RCカー用の屋根付き専用サーキットで開催されるレース「TTC」。多彩なタイプのRCカーが速さを競う。
地道にRCカーの啓蒙活動を進めていた1998年。再び、ミニ四駆ブームが訪れた。予期せぬブームを巻き起こしたのは、またしても日本発のマンガとアニメだ。「コロコロコミック」に連載された「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」をアニメ化した番組はタイでも人気に火が付き、大ヒット。再びミニ四駆の売り上げを押し上げた。
ブームの波に翻弄されるのはもうやめよう
しかし、このブームも短命に終わる。2004年頃には日本で起きた第3次ミニ四駆ブームがタイにも波及し、一時的に売り上げが増えたが、やはりそれも長くは続かなかった。
ブームが起きては伸び、去れば大幅に下がる。ここでサイアムタミヤは大きく方向転換を図る。
「外的なブームに左右される悪循環にピリオドを打ちたいと考え、売れても売れなくてもイベントを開くことにしました。実はそれまでは、売れゆきがダウンすると『経費が厳しいから』といって、すぐにイベントを減らしたり、やめたりしていたんですね。しかし、それでは本当の人気にはつながらない。たとえ店に集まってくるのが2、3人であっても、とにかくイベントをやり続けることが重要だと判断しました。幸い、父からは『好きにやれ』と経営を全面的に委ねられたので、思い切ることができました」
この時期、鈴木氏はもう一つ思い切った決断をしている。百貨店からの撤退だ。
セントラルやモールグループなど、サイアムタミヤはタイ国内の大手百貨店に10カ所の売り場を構えていたが、そのすべてからさっぱりと手を引いた。
撤退した理由は効率の悪さ。そして、客にとっての選択肢の少なさだ。
「売り場があるといっても、広いスペースをもらっているわけではないので、お客様が商品を選べなかったんですね。ミニ四駆もRCカーも自分好みの1台を作り上げることができるカスタマイズ性の高さが魅力なのに、それが発揮できなかった。万引き防止など商品管理の問題にも頭を抱えていたし、送り込む販売員のコストもかさんでいました。その割には売り上げは決して多くない。将来を考えれば、一時的に数字が下がっても撤退をするのが正解だと判断しました」
この判断は予想以上の成果を挙げた。販売がダウンしたのは最初の数カ月だけ。ラジコンショップなど他の小売店への卸が増え、数字はすぐに上昇基調に転じた。百貨店で扱っていない商品になったからこそ専門店での扱いが伸びたのだ。
自力で回る生態系を確立
シーコンスクエア、ファッションアイランドといった大型ショッピングモールに特設したサーキットで毎月のように開催しているミニ四駆の大型イベントの効果も大きい。若い世代が休日を過ごす場所であるショッピングモールに出現したサーキットは、新規ファンの開拓とリピーター増に貢献した。
もうミニ四駆の売れ行きに大きな凸凹はない。毎年コンスタントに売れ続けている。
レースに出場できるRCカーは最低でも1万5000バーツ(約5万1000円)。ファンは一部層に限られるがそれでも着実に増加中だ。
「タイには屋根付きで広いRCカーのサーキットがいくつもあるので、RCカーのイベントも年に5回は開いています。毎年2月に開催するレースには世界各国からトップ選手たちが参加していますし、モーターショーの会場にもイベントスペースを設けていますよ。いまでは年に11回開かれているアジア大会のうち4回がタイでの開催です」
ブームの有無や大小にかかわらず、自分が作ったミニ四駆やRCカーの性能を試し、他人にも見てもらえる機会が定期的にあることで、ファンのモチベーションは上がり、「自分もあの場に参加したい」と意欲を燃やす新規客を生む。世界トップレベルの戦いを目にすれば、より高いレベルを目指そうとするヘビーユーザーが増える。ブームに翻弄され続けてきたサイアムタミヤが選んだ道はシンプルではあるが、自社製品の魅力を伝えるにはもっとも効果的かつ持続的な方法だ。
田宮俊作氏のサイン会に列を成すまでに
2018年10月には、バンコク郊外に位置するショッピングモール・シアランシットに、従来の店舗とは異なる「タミヤプラモデルファクトリー」を出店した。
アジア最大級のRCカーのイベントTITCはバンコクで開催されている。優勝者にトロフィーを授与しているのがサイアムタミヤ代表の鈴木格氏。
「それまで2つの直営店を出していましたが、1つは本社の下にある店舗で、もうひとつは日本人が多いタニヤ地区にある店。目的買いのお客様が多く、2店とも決して人通りが多いとはいえない場所にあります。対して、今度の新店はタイ人のファミリー客が大挙して来店する商業施設の中。売り場内にはサーキットも設けました。売れゆきは好調ですね。どの商品もよく売れている。バンコク市内にこのシアランシットのような店をあと1店は開く計画です」
シアランシット店のオープニングには、日本からタミヤ本社会長兼社長・田宮俊作氏が訪れた。「田宮氏来店」の告知にたくさんのファンがかけつけ、店舗ではサイン会まで開かれている。「タミヤ」の熱烈なファンが増え、ブランドがタイに浸透してきた証拠だろう。
新店のオープンには「Mr.タミヤ」ことタミヤ会長兼社長の田宮俊作氏が来店。ファンが駆けつけサイン会は大いに盛り上がった。
プラモデル文化も育ちつつある。現在、サイアムタミヤの売り上げはミニ四駆が40%、RCカーが20%、プラモデルが20%。プラモデルの売上高がRCカーに追いついてきた。
「年々、着実に増えてきました。人気が高いのは戦闘機で、日本と同じですね。毎年11月にプラモデルコンテストを開いていますが、こちらの応募数も伸びています。もともとタイ人は手先が器用で細かい作業が得意。今後に期待できますね(笑)」
年に1回開催されているホビーモデルコンテストの応募作品。人気が高いのは戦闘機や戦車部門だ。
ホビーモデルコンテストの授賞式。回を重ねるごとに応募作品が増え、レベルもアップしている。
プラモデル文化がなかったタイでプラモデルのファンが着実に増え、売上高もRCカーに並ぶまでに成長した。
女性ファン、親子二代のファンも増えてきた。家族で来店し、1日の大半をタミヤの店で過ごすというケースも珍しくない。幅広い層でファンが育ってきているのは、タイ人の所得が上がり、レジャーや趣味にお金をかけるようになったから、だけではない。目先の数字にとらわれず、堪えて堪えてイベントを続けてきたからだ。
「走らせてこそのミニ四駆でありRCカーですから」と鈴木氏。製品の魅力を伝える場を作る、販路を絞る、効率を考える。これらを堪え性のある経営で「走らせてきた」サイアムタミヤはタミヤのグローバル戦略の頼もしいパートナーだ。
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