タイは厳然たる階級社会だ。
大学に進学するのは、経済的に余裕がある家庭の子どもたち。だからアルバイトをほとんどしない。タイの大学生は、親からもらった小遣いで通学し、お昼を食べ、カフェに立ち寄り、お菓子を買う。オシャレに熱心で、自撮りが大好き。スマホとSNSは絶対不可欠のコミュニケーションツールで、楽しいこと目立つことに目がない。
そんなセレブでハイソな女子大生が、タイに進出した森永製菓のソフトキャンディ「ハイチュウ」のターゲットだ。
学費の高さで有名なアサンプション大学でプロモーションを実施。「ハイチュウ」のメインターゲットであるセレブ女子大生が通う大学だ。
「日本でのメインユーザーはほぼ子どもたちですが、タイではまったく勝手が違う。それがこちらに来てよくわかった。日本ブランドであること、パッケージのデザイン、価格、他のソフトキャンディにはない独特の食感などの要素が総合的に判断されたのか、『ハイチュウ』はプレミアムなイメージを持たれているんですよ」
割高でも売れている理由があるはずだ
こう話すのは、2015年5月に開設した森永製菓のタイ駐在事務所でゼネラルマネジャーをつとめる池田繁治氏だ。
ゼネラルマネジャーの池田繁治氏(左)とマネージャーの三角駿介氏。
森永製菓では「ハイチュウ」をグローバルブランドと位置づけ、米国や中国市場では一定の成果をおさめている。タイでは日本からの輸出品を2000年後半から代理店経由で販売しているが、2013年まではBigCやテスコロータスといった大手量販店チャネルが中心の菓子だった。2013年からは中国製に切り替え、タイのセブン-イレブン全店への導入がスタートしたものの、2015年までの実績でいえば超売れ筋の人気菓子というほどではない。
タイで「ハイチュウ」の売上を引き上げよ。
というミッションを課せられた池田氏は考えた。
12粒で20バーツ(約60円)。ソフトキャンディとしては割高の「ハイチュウ」を買っているのはどんな人たちなのか。いったい誰が食べているのか。
出張ベースではなく、駐在員事務所を構えたからこそ分かる実態に寄り添いたい。販促策を練り、広告宣伝を打つのもまずそこからだと、池田氏はタイの大学、高校、中学、小学校を訪ね、ファミリー層の多いショッピングセンターにも足を運び、タイ人の話を聞いて回った。泥臭いリサーチのスタートだ。
「最初にリサーチしたのは大学です。すると、大学のそばのセブン-イレブンでよく売れていることがわかった。大学生にとってはセブン-イレブンは自分の冷蔵庫みたいなもので、1日に1回は立ち寄っているんですね。中でも、よく買ってくれているのが女子大生。彼女たちは買っても一人では食べずに、教室で『ハイチュウ』を友だちに回して、みんなで食べています」
大学には経済的に余裕がある家庭の子どもが通っている、と一口に言っても、学費がとんでもなく高い超リッチ大学もあれば、比較的リーズナブルな大学もある。その中で、「ハイチュウ」の支持率が高かったのは、月の世帯収入3万5000バーツ(約11万円)以上の家庭で、1日に200バーツ(約600円)以上のお小遣いを親からもらっているような女子大生。これは、タイにおいてはまぎれもないセレブ層だ。同じセレブ学生でも、男子になるとスナック菓子を好み、「ハイチュウ」にはあまり興味を示さない。と、性別による違いも見えてきた。
社会人はどうかといえば、逆に価格にシビアになり、子どものころに慣れ親しんだ安い競合品で満足している女性が少なくない。子どもはボリュームとしては大きいが、「ハイチュウ」は普段に食べる菓子ではなく、土日に家族とショッピングモールに出掛けたときに買ってもらう菓子、と受け止められている。狙うべきターゲットが浮かび上がった。
自分の目で見て、4Pを作り直す
「『ハイチュウ』をちゃんと好きな層が明確に規定できて、既に一定のファンがいる。自分の足で回り、目で見た結果は自信につながりました。そこで、さらに実態に迫ろうと、調査会社を使って、300人に尋ねたところ、150人は『ハイチュウ』を知っていた。いったん食べてもらうと、直近購買率が高いことも判明しました。リピート率も高いんですよ。競合品には決して劣っていない。特に、『ハイチュウ』独自のチューイング性には絶対の評価をいただいていることがわかりました。課題はブランド認知率を上げること。『ハイチュウ』を知ってもらい、とにかく食べてもらうことに優先的に取り組みました」
ブランドを知ってもらおうと、池田氏は製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、プロモーション(Promotion)の4のPを作り直した。
まずは製品だ。2008年から販売している12粒入りのスティック型「ハイチュウ」だけでは、客との接点が少なすぎる。接点を増やすには商品のバリエーションを広げる必要があるが、既存製品とのカニバリズムは避けなければならない。
こうして登場したのが、袋に入ったサワー味の「ハイチュウ」2種類(15バーツ=約45円)と、大袋入りの「ハイチュウ」3種類(35バーツ=約105円)、7粒入りのスティック型「ハイチュウ」3種類(12バーツ=約36円)だ。
タイのセブン-イレブンに必ず設けられている袋菓子コーナー。ブランドの顔をアピールできる貴重な場所だ。
なぜ袋入りを追加するのか。タイのセブン-イレブンには売り場に袋入りの菓子を吊り下げて販売するコーナーが必ずある。このコーナー用製品であれば、従来の12粒入りスティック型とはバッティングしにくいし、酸っぱさが際立つサワー味は、既存品にはないフレーバーだ。カニバリゼーション(共食い)の危険は薄い。
「袋タイプは面を取る意味合いもあります。ぶらさがっていると『ハイチュウ』の顔が目立ちますからね。大袋タイプは大手量販店でもしっかりと売り場を作れる。袋で『ハイチュウ』をアピールする作戦です」
7粒入りの小さな「ハイチュウ」は、競合商品への対策だ。タイのソフトキャンディ市場は、タイローカルの5バーツ(約15円)の「SUGUS」を筆頭に競合品が目白押し。2015年8月には、ガムやキャンディ業界の世界的巨人ペルフェティ・ファン・メレ社から「メントスチュウ」も参戦した。
どう見ても「ハイチュウ」を意識したとしか思えない競合品「メントスチュウ」。食べてみれば味の違いは明白なのだが…。
どう見ても、「ハイチュウ」をパクった…といって悪ければ、強く意識したパッケージデザインの「メントスチュウ」は15バーツ。手をこまねいていれば、「ハイチュウ」のシェアを奪われかねない。
「ハイチュウ」の主要チャネルであるセブン-イレブンも、ソフトキャンディ市場のプレイヤーとして名乗りを上げた。
「リサーチのために、毎日コンビニを回っていますが、6月のある日、キティちゃんをパッケージに採用したセブン-イレブンのPB商品『サワーチュウイキャンディ』が、我々の『ハイチュウ サワー味』のすぐ横に並んでいることに気づきました。価格は10バーツ(約30円)。セブン-イレブンからの事前通知? まったくありません。PBだけではなく、同じ時期には『マイチュウ』という競合品も並んでいました。それだけソフトキャンディは注目されている市場なのでしょうが、見るたびにぞっとしますね。じっとしているとやられるだけです」
こう苦笑いするのは、2016年からタイ駐在事務所に加わったマネージャーの三角駿介氏だ。
双子のように見える「ハイチュウ」と「メントスチュウ」を食べ比べれば、味や食感の違いはわかる。だが、価格が安いければそれで良しとする消費者も多いはず。7粒入りで12バーツのスティック型「ハイチュウ」は、安さに惹かれがちな客を押しとどめる役割を担っているのだ。
いろいろな価格やフレーバー、形態が増え、客が「ハイチュウ」を見かける機会を広げたところで、池田氏は客とのコミュニケーション強化策に着手した。
大学構内でプロモーション?!
「2016年1月から3月にかけて、バンコクの14の大学をコミュニケーションの起点にしました。知ってもらい、食べてもらい、良さをわかってもらった上で、彼女たちが24時間手離さないスマホで広めようという作戦です。具体的には、ハイチュウを積んだハイチュウカーで大学に乗り入れて、構内でサンプリングをし、箱の中に入ると「ハイチュウ」の文字やイラストともに顔が映しだされるフルーツフルフェイスという機械を使ったプロモーションです。コミュニケーションのプラットフォームもなかったので、1月には『ハイチュウ』のFacebookのファンページも立ち上げた。フルーツフルフェイスで撮影した画像を投稿してもらうほか、『ハイチュウ』ユーザーや新規ユーザーとのコミュニケーションを深める場と位置付けています」
大学構内でプロモーションを実施する際には、このハイチュウカーで乗り付ける。「ハイチュウだ!」と駆け寄ってくる大学生も多い。
大学構内で私企業がプロモーションをできるのか。タイにおいては答えはYESだ。
タマサート大学、カセサート大学、アサンプション大学、バンコク大学など有名な私立国立大学から許可を得て、「ハイチュウ」は販促活動を繰り広げた。唯一、タイの東大といわれるチュラロンコン大学だけは大学当局から許可が出なかった。
そこで、池田氏は奇策に出る。
「チュラロンコン大学のすぐ裏にあるサイアムスクエア(若者が多く集まるショッピングモール)を舞台にプロモーションを行いました(笑)。反響はありましたよ。多少大学によって濃淡はありますが、フルーツフルフェイスを紹介した動画は180万回再生されていますし、エンゲイジメントも50万ビューを突破しました」*エンゲイジメント=すべてのポスト、ページでLIKE、シェア、投稿をしてくれた総数
フルーツフルフェイスの機械の中に入ってポーズを取り、友人にスマホで撮影してもらう。「記念写真」に目がないタイ人心理を突いた仕掛けだ。
プロモーションを受けて、売り上げも右肩上がり。セブン-イレブン全店に導入されているスティック型20バーツの3つのフレーバー(ストロベリー、グレープ、コーラー)は欠品ぎりぎりの勢いで売れている。袋タイプも好評だ。
だが、ミッション完了はまだ遠い。バンコク以外の地域でも「ハイチュウ」の認知を上げ、いかに広めていくか、そしてトラディショナルトレードをいかにして攻めるかという課題が手付かずで残っているからだ。
タイの流通は、小さな食料品や市場などのトラディショナルトレードと、コンビニや大手量販店のようなモダントレードに二分される。両者の割合は、バンコクでは3:7だが、地方に行くとトラディショナルトレードの存在感が強くなり、割合は4:6へと変化する。「ハイチュウ」を見たこともなければ、食べたこともない消費者が一気に増え、知名度はがくんと落ちる。
ハイチュウが開く道
トラディショナルトレードの店舗で販売するソフトキャンディは5バーツ以下の商品がメインだ。そこには「ハイチュウ」が入る余地はゼロ。バンコクも中心部こそ、東京と比べても遜色がない大都会っぷりだが、賑やかな場所からちょっと離れると細々と菓子や食品、雑貨も売る地域密着型小型店が根を下ろしている。
「小さな店や学校の売店では、競合品の『SUGUS』などが1個1バーツ(約3円)とか3個2バーツ(約6円)で販売されています。1個1バーツで売れれば、店は50%の利益になる。この世界は安く卸さないと入っていけないんですね。相当体力のいる世界。『ハイチュウ』とは違う手を考えたい」
階級社会のタイでは20バーツのお菓子に手が出ない消費者も多い。バラ売りはそうした層を抑える上で必須の販売形態だ。
トラディショナルトレードにいかに食い込むか。鍵になると思われるのが、森永製菓が2013年にインドネシアのキャンディ会社キノ社と合弁で設立した森永キノインドネシアの工場だ。ここでは、すでにハラル対応の「ハイチュウ」の生産を開始している。
つまり、森永キノインドネシアには、ほどよいチューイング性があり、割れることもなく、気がつくと口の中で溶けて小さくなり、歯にこびりつくこともない不思議な食感の「ハイチュウ」を作る技術はあるということ。インドネシアは人件費を初めコストも安い。「ハイチュウ」というブランド名ではないにしても、タイのトラディショナルトレードを抑えるために、インドネシアで生産されたソフトキャンディが活用される可能性は大いにありそうだ。
「ハイチュウ」がタイのディストリビューションを抑えれば、森永製菓が抱える他の商品力のある菓子やアイスクリームも乗りやすい。セレブ女子大生をメインターゲットに据えながらその実、がっちりと大衆の支持を集めるようになったとき、「ハイチュウ」は初めてタイに根付いた菓子になる。その道は着実に切り開かれているようだ。
Powered by リゾーム?