起死回生を図りタイに進出し、快進撃を続ける平岡産業。かつての小さな町工場はグローバルに事業を展開する企業に成長した。

 「このまま日本にいてはつぶれるのを待つだけだ。ここはチャンスに賭けてみるか」

 青梅にある倒産寸前の小さな町工場がタイに進出し、みるみる事業を拡大してインドやメキシコにも拠点を構える売上高67億円の企業へと変貌を遂げた。鮮やかなジャパニーズドリームを実現したのは、金属切削部品加工メーカーの平岡産業だ。

 同社がタイに進出したのは1995年。五代目である社長の平岡泰浩氏は振り返る。

 「弊社は1907年に織物業として創業しました。戦前までは調子がよかったようですが、その後は赤字続き。1972年に金属加工業に転業してからも、後発ですから明るい話はほとんどなかった。よくテレビで町工場の社長が自殺とかいうドラマをやっているでしょう。映像を見ると、うちと同じ機械が置いてあって他人事とは思えない。製造業の底辺であえいでいました。そんなときに取引先の商社から『タイに出てみないか』と声がかかったんです」

 現状のままでは未来がない。海外への進出などまったく頭になかったが、「1週間で答えを出してほしい」という商社のオファーを受けて、先代社長は下見のためにタイに渡り、腹をくくった。

 とはいえ、当時の自己資本比率はわずか14%。資金的な余裕はまったくない。銀行に頭を下げて1億5000万円を融資してもらい、商社も同額を出資して、E&H Precision(Thailand)Co., Ltd.(以下E&Hタイ)を設立。25台の機械をリースし、日本人駐在員4人、現地社員20人で新天地での挑戦が始まった。

タイで先行者利益を得る

 起死回生をかけた選択は見事に当たった。

 いまでこそ金属切削を手がける部品加工業者はタイにひしめきあっているが、当時、E&Hタイの同業者はほぼゼロ。営業をかけなくても注文が飛び込み、タイに進出しているカーステレオメーカーからの受注はE&Hタイが一手に引き受ける形となった。やがて二輪車用のキャブレターの依頼も増えていく。業績は右肩上がりを続けた。

平岡産業の五代目社長。平岡泰浩氏。日々「一所懸命」を社員に説く。

 「先行者利益が大きかった」。平岡氏の実感は、後にインドやメキシコでの事業にも活かされることになる。

 2000年代に入ると大きな転機が訪れた。

 「デンソーの購買担当者から『これからのタイは自動車の時代だ。君の会社も真剣に取り組んだほうがいいよ』と言われたんです。ずっと経営はカーステレオ一本足でしたし、ほかの軸足も必要だと考えていた。チャンスだと思い、そちらに大きく舵を切りました」