日本製品がずらりと並ぶスーパーマーケット。だが、成功の陰には多くの失敗あり。成果を出せない企業も少なくない。
バンコク中心部にはあきれるほど多くの日本の製品やサービスが氾濫している。
自動車、食品、文具、衣料品、レストランや整体、マッサージ。漢字やひらがな、カタカナが踊る看板やPOPを見ていると、「ここは日本企業にとって成功を約束されたパラダイスでは」と、思えなくもない。
だが、その実態は死屍累々だ。
進出したと思ったら、早々に撤退を決める企業、タイ現地のバイヤーとの商談会をものにできないメーカー、無事、商談がまとまったとしても、売り上げは低空飛行。そんなケースが多いのだ。
「タイの現実を知らない、知ろうとしない、理解できない。失敗する企業にはこういった共通点がありますね。さすがに、妙にプライドばかり高い日本人は減ってきましたが、それでも日本での成功体験に引きずられて、現実に対応できなかったり、リスクを取ろうとしないケースが目立ちます」
流暢な日本語でこう喝破するのは、日本に留学し、在日本タイ王国大使館勤務を経て、タイ進出を図る日系企業をサポートする事業を立ち上げたガンタトーン・ワンナワス氏だ。
日系企業のタイ進出を支援する企業「メディエーター」の代表、ガンタトーン・ワンナワス氏。日本企業の弱点をよく知る人物だ。
JETROや全国商工会連合会、地方銀行からの委託を受け、日本製品の販路開拓や広告宣伝事業を豊富に手掛けてきただけに、ワンナワス氏は日系企業の傾向や特徴、固有の思考回路に精通している。今回は、日系企業の問題点を浮き彫りにするワンナワス氏の指摘に耳を傾けてみたい。
「タイで売れる商品の条件は、価格と商品力とメーカーの体制。この3つです。でも、日本企業の社員の多くは、そもそもタイ人が何バーツで食べているのかの相場さえ知りません」
タイバーツ「10倍の法則」
為替レートでは現在、1バーツは3.3円ぐらい(記事掲載時点)。
しかし、このレートではタイ人の本当の価値感覚は理解できないとワンナワス氏は言う。
「日本の大卒の初任給が約20万円なのに対して、タイは約2万バーツ(約66千円)。日本で1本100円のミネラルウォーターがタイでは10バーツ(約33円)です」
通貨単位ではバーツは円の3.3倍、そして、給与水準が3倍くらい違うことになる。
「つまり、タイ人の金銭感覚を知るには、バーツの数字を3.3倍にするんじゃなくて、10倍にして考えるのがちょうどいい。100バーツ(330円)の商品は、タイ人にとっては1000円ぐらいの価値。500バーツ(1600円)の商品だったら5000円。これを私は『10倍の法則』と呼んでいます」
バンコクの洒落た店でカフェラテを頼むと1杯100バーツはする。「10倍の法則」を当てはめると、これはタイ人にとっては1000円くらいの感覚だ。日本人でも躊躇する値段だろう。
しかも、輸入品の場合はさらに値段が高くなる。
日本の製品をタイに輸出すると、運賃、関税、7%のVAT(付加価値税)に卸や国内の物流業者、小売へのマージンなどがプラスされて、売価は食品の場合でざっと2倍、お酒だったら3倍、雑貨であれば1.5倍に跳ね上がる。
「例えば、日本で約1000円で販売されているCHOYAの梅酒(1.8リットル)をタイに持ってくると約1000バーツになる。これは、タイ人には、日本人にとって1万円くらいの感覚です。どんな超高級酒ですか、というレベルになるんですよ」
この感覚を理解せず、「中身は日本製だし、使えば良さがわかってもらえるはずだし、日本好きのタイ人だったら買ってくれるだろう」と、多くの日本企業は考える。これが失敗のもとだ。
「日本人は近い将来、タイの経済が成長を続け中間所得層が増えていくと考えていますね。もちろんその通りなのですが、私の見立てではGDPが日本並みになるにはおそらくあと50年、100年かかる。つまり、輸入品ではずっと市場が狭いまま。多くの人の利用は見込めません」
日本製カップヌードルは1000円の超高級カップ麺
高級品市場にこだわっていてはニッチなままで終わる、というのがワンナワス氏の見立てだ。マスを獲得するための方法はただ一つ、現地で生産すること。
例えば、輸入品のCHOYAの梅酒が超高級品化してしまう隙をついて、タイを拠点にした日系の食品メーカー、ツバキ・フードサービスは、タイ北部の高山地で取れた梅を使って梅酒を作り、「Kachaうめ酒」として販売。好評を博している。価格は180ミリリットルで120バーツ。1200円ぐらいのお酒であればタイ人も買いやすい。
日清食品の「カップヌードル」は、輸出すると諸税込みで売価は約100バーツに膨れ上がるが、現地生産を果たすことで価格を13バーツに下げることに成功した。タイ人からすれば、1個1000円の高級カップ麺が130円のお手頃品に変身したわけだ。
現地生産による効果は、柚子胡椒を液体化した調味料「ゆずすこ」を製造販売する高橋商店の取り組みからも明らかだ。
「ゆずすこ」の日本での発売開始は2008年。ゆず皮と酢とこしょう(唐辛子)をブレンドした液体調味料は、ステーキやピザ、パスタ、マリネなど応用範囲が広く、独特の風味を演出することから人気が広がり、福岡の土産品として大ブレイク。メディアで紹介される機会が多く、いまでは人気は全国区だ。
同社は、「ゆずすこ」の発売当初から海外展開を積極的に推し進め、タイの前に、米国やフランス、シンガポールに輸出ベースで進出を果たしている。だが、輸出すると1本540円の「YUZUSCO」は、最低でも250バーツで売らなければ商売にならない。2500円の調味料。タイではほぼ絶望的だ。
「ゆずすこ」転じて「YUZUFUL」に
「日本の味を世界の幅広い層に味わってもらうのが海外進出の目的です。でも、輸入品では値段の壁で果たせない。そこで、現地の食品メーカーを探しまわり、ここぞと思う会社に委託して、タイで生産することにしました。タイは人件費が安いし、何より資材が格安。そのメリットを活かせば、多くのタイ人にこの味を届けられると考えました」(代表取締役の高橋努武氏)
材料については、メインのゆずだけは福岡から輸入し、唐辛子や酢はタイで調達。日本と同じ配合で、2013年から生産を開始した。タイでの商品名は「YUZUFUL」。「ゆずをふる」と、「ゆずがたくさん(FULL)」と「役に立つ(USEFUL)」をミックスした造語である。
高橋商店がタイで委託生産している「YUZUFUL」。柚子胡椒の液体調味料「ゆずすこ」と同じ配合で生産。辛くて酸っぱい味はタイ人好み!?
まず飲食店に業務用として提供した後、2015年からは小売りにも進出。スーパーマーケットのチャネルで、小売り価格約90バーツ(65g入り)で販売している。「10倍の法則」を適用すれば1本900円の感覚だが、タイではタバスコも同程度の価格で販売され、普及している。現地生産を果たすことで、高橋商店は安くはないにしても、ちょっと手を伸ばせば届く価格帯を実現できたのだ。
「YUZUFUL」は、現在、フィリピン、カンボジア、香港、オーストラリアにも輸出している。日本からの輸出品と比較的安価なタイ製を使い分ける戦略で、進出国は18カ国にまで広がった。リスクを取って踏み切ったタイでの生産は、高橋商店の海外展開を後押しする原動力といってもいい。
タイで売れるための2つめの条件は、商品力。これは、「タイ人にとっての商品力」であることは言うまでもない。
「例えば、こたつはタイでは売れません。高級な醤油もそうですね。バンコク中心部には日本食レストランがたくさんあるので、タイ人は日本食が大好きなんだと思い、つい上質な醤油も簡単に売れると期待してしまいますが、タイ人が刺し身を食べるときは、わさびが目当て。醤油の風味は正直いってどうでもいい。わさびを食べたいんですよ。これを知らないと失敗します」
前述の「YUZUFUL」は、タイ人には未知のフレーバーだが、酸っぱくて辛い風味はタイ人好み。現に、豆腐や焼き鳥、海苔のお菓子と合わせて実施している試食販売は好評だ。
スーパーや展示会で「YUZUFUL」を試食販売。現地生産で価格を抑えたことで、タイ人の購買意欲が高まった。
「日本人には意外でしたが、特に海苔のお菓子と『YUZUFUL』の組み合わせが受けている。そこで、いま海苔メーカーに『YUZUFUL』フレーバーの商品ができないかと商談を持ちかけています」と高橋氏。自らの足でメーカーを探しまわり、契約にこぎつけ、チャネル開拓を実現させた行動力は健在だ。
タイ人は日本に山のように押しかけているから、タイ人は親日だから、タイ人は日本のモノが好きだからという発想はあまりにも短絡的。「いまタイにないものだから売れないだろう」と排除することなく、タイ人にとっての魅力やメリットを精査するプロセスが欠かせない。
価格政策や商品力に直結するが、事前の情報収集が不十分なのは失敗する企業の共通点だ。タイに視察に訪れても、見るのはバンコク中心部を走るBTS(高架鉄道)で立ち寄れる場所ばかり。これでは、タイの表層しか目に入らない。中心部をちょっと離れるだけで華やかな都会とは対象的な風景が姿を現し、そこにこそタイの一般的な暮らしがある。
「本気の企業って、どのくらいあるのかな」
「BTSで移動しただけでは、バンコクの都会っぷりに騙されて日本に帰ることになる(笑)。当たり前ですが、タイ人に話を聞くことも必須です。以前、こちらで焼肉屋を開きたいとやってきた方は、こちらで日本人としか会ってなかった。それではタイでやっていけません。私は、これまでタイのバイヤーと日本企業を数えられないぐらいマッチングさせてきましたが、バイヤーから内緒でよくこう言われます」
「『誘ってもらったのはありがたいけれど、買いたくなるモノがないよ』『これじゃダメだよ』って。多くの人が、ちょっとタイに来ただけで分かった気になっている。もっと準備をしましょうよ。現場に行って現物を触って現実を知ってほしいです」
粘り強さと行動力に乏しい企業も、成功はおぼつかない。タイ人は一般に一度会っただけの人間をそう簡単には信用しない。熱意を見せて初めて動く。タイ人の会社と手を組んでビジネスをする場合、何度も出向いて、ようやくオーナーは『この日本人は本気だな』と思い始める。
「メールも同じ。日本人はメールを送るとすぐに返信が来るものだと思い込んでますが、タイでは一度では戻ってこないと考えてください。見積もりがほしくてメールをしても返事をなかなかもらえないのが普通です」
何回か催促して電話をして、やっと向こうもこちらの本気モードを察して動き出す。「メールをしたけれど返事が来なかったので、タイでの商売は諦めました」という企業は少なくないが、バイヤーからの連絡をただ待っている時点でアウト。相手に動いてほしかったら粘り強く動く。それが鉄則だ。
ワンナワス氏からはこんな発言も飛び出した。
「現場に行って現物を触ってタイの現実を知ってほしい。それが前提です」とワンナワス氏は強調する。
「タイへの進出に本気の企業って、どれぐらいあるのかな、と時々考えてしまいます。日本の市場が頭打ちの中、10年後、20年後を考えたときにいまやらなければならないことは、日本で作っているものを何の準備もせずにタイに持ってくることじゃない。リスクを取って、時間も手間もかけて、ちゃんと拠点を作ることだと思うんですよ。でも、タイは近いし楽しいし(笑)、仕事を『ついで』としか考えてない会社も少なくないのが現実ですね」
「ついで」が通じるわけがない
つまるところ「社長が自ら動かない企業は成功の確率が低い」とワンナワス氏は言う。
「社長がタイにまったく来ないで、ほとんど権限がない部長課長クラスを送り込んで済ませようとする企業は厳しいですね。年齢は関係ないです。67才で積極的に売り込みに来ている社長さんもいますから。『助成金が出るからとりあえずタイに来ました』とか、自分たちの日本でのやり方のまま、なんとなくタイでも売れればいいなあと思っているようなところも成功の見込みは薄い。そういう会社は、結果が出ないと『ダメか。やっぱりタイでは合わないか。じゃあ国内でいいか』と簡単に諦める(笑)。結局、本気ではないんです」
大企業ならいざしらず、リスクも取らず、社長が本腰を入れない中小企業を優しく受け入れてくれるほど、タイの市場は甘くない。
タイと日本の架け橋になりたいという気持ちが強いだけに、ワンナワス氏の言葉は鋭く、耳に痛く、そして少し哀しい。さて、海外進出を計画する日本企業は彼の指摘をどう聞くのだろうか。
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