子供に残すべきはカネより「STEAM教育」だ
鈴木寛(文科省大臣補佐官) × 成毛眞 特別対談(前編)
「STEAM」。蒸気のことでもゲーム販売プラットフォームのことでもない。サイエンス(科学)の「S」、テクノロジー(技術)の「T」、エンジニアリング(工学)の「E」、マセマティックス(数学)の「M」、これで「STEM」。そこにアート(美術)の「A」を加えて、STEAMだ。
米デューク大の研究者キャシー・デビッドソンによれば、「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」。野村総合研究所によれば、「10~20年以内に日本で働く人の仕事の49%は人工知能(AI)やロボットで代替されるようになる」。
AIが人間の能力を超える「シンギュラリティー」の時代、人はAIやロボットを使う側と、使われる側に否応なく選別される。そんな時代に求められる知性を身につけ、創造性を生かして「使う側」として活躍するために必要なのが、STEAMだ。
今回は「すずかん先生」としてお馴染みの東京大学・慶應義塾大学教授の鈴木寛さんとの対談をお届けする。
鈴木寛さんは現在、松野博一文部科学相の大臣補佐官として活躍している。民主党政権時代は文科副大臣を務め、離党後、2015年2月に当時の下村博文文科相の補佐官となって以来、この国の競争力を高めるため、教育改革の最前線を行く。そのすずかん先生に「STEM(STEAM)」にまつわる現状を、文科省の執務室でうかがった。
なお、この対談は『AI時代の人生戦略 「STEAM」が最強の武器である』(SBクリエイティブ刊)に収録されており、日経ビジネスオンラインで一部改訂版を特別公開するものだ。対談を通してSTEAMに興味を持たれた方は、書籍もお読みいただければ幸いである。
人工知能を使うか、使われるか
成毛:日本人の大人にはSTEM教育が足りていなかったというのが私の結論なのですが、では、子供はどうなのか。文部科学大臣補佐官のすずかん先生に、それをうかがいたいと思って今日はやって参りました。
鈴木:今の高校生の大半と中学生以下は2000年以降に生まれており、2100年すぎ、つまり22世紀まで生きる可能性が大いにあります。
鈴木寛(すずき・ひろし)/1964年生まれ。東京大学教授、慶應義塾大学教授。文部科学大臣補佐官、日本サッカー協会理事、社会創発塾塾長、元文部科学副大臣。東京大学法学部卒業後、1986年通商産業省に入省。慶應義塾大学SFC助教授を経て2001年参議院議員初当選。12年間の国会議員在任中、文部科学副大臣を2期務めるなど、教育、医療、スポーツ・文化、科学技術イノベーション、IT政策を中心に活動2012年、自身の原点である「人づくり」「社会づくり」にいっそうまい進するべく、一般社団法人社会創発塾を設立。社会起業家の育成に力を入れながら、2014年2月から、東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策メディア研究科兼総合政策学部教授に同時就任。10月より文部科学省参与、2015年2月文部科学大臣補佐官を務める。日本でいち早く、アクティブ・ラーニングの導入を推進。
成毛:22世紀まで生きる人たちにとっては、AIの「シンギュラリティ」(2045年頃にAIが人類を超す技術的特異点)を迎えるといわれる年は、まだ人生の折り返し地点であったり、もっと手前の地点だったりするわけですね。
鈴木:その頃の大人は、STEMを理解していないとなりません。わかっている人だけがAIを使う側に回り、わかっていない人はAIに使われる側に回ります。このことは、その頃の大人、つまり今の子供たちはよく理解しています。
先日、優秀な生徒が集まっている私立校で、中高生を対象にこれからどういう仕事が残り、どういう仕事がなくなっていくかを話す機会があったのですが、感性のいい子は、自分がこれから生きていく世の中がどんなものであるか、直感的に理解しています。
成毛:それは、優秀な子だからではないですか?
鈴木:そうですね。トップレベルの子供たちのことは心配していませんが、STEM教育の機運を盛り上げ、普及を加速させていくために、全国で200を超える高校を「スーパーサイエンスハイスクール」に指定しています。
また、文部科学副大臣のときに、「科学の甲子園」をはじめました。これは高校の生徒がチーム単位で理科・数学・情報の競技を行う大会で、野球の甲子園同様、各都道府県予選を勝ち抜いた学校が全国大会で競います。2012年に第1回大会を開催後、毎年行っていて、優勝校は「サイエンス・オリンピアド」というアメリカで開かれる大会に参加できます。
高校の科学部人口を野球部・サッカー部と同じに
成毛:これまでにどんな高校が優勝しているのですか?
鈴木:第1回は埼玉県立浦和高校、第2回は愛知県立岡崎高校、第3回は三重県立伊勢高校、第4回は千葉にある渋谷幕張高校、第5回は、愛知県は海陽中等学校です。「国際科学オリンピック」や受験に強い私立校・国立校が独占することになるかとも思っていましたが、実験をとり入れたこととチーム制にしたことで別の結果につながりました。
成毛:とはいえ、進学校ばかりですね。
鈴木:科学の甲子園は、確かにトップを伸ばすことも目指しています。しかし、同時に裾野を広げることも目指しています。
先頃、全国の高校のサッカー部員数が、野球部員数を抜いたんです。どちらも17万人ほどですが、わずかにサッカー部が上回りました。私は通産省の官僚時代、Jリーグの設立にかかわったので、感慨深いものがあります。
スポーツの世界で日本が世界に通用するというと、まず野球です。イチロー選手や田中将大投手はメジャーリーグでも十分に通用していますし、「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)でも日本代表は2回も優勝しています。これを支えているのは、17万人の高校球児、その下にいる中学生の野球選手たちです。
ですから、サッカーでも野球のように世界と肩を並べて戦うには、やはり高校で17万人くらいの競技人口が必要だと考えていました。Jリーグがはじまったのは1993年ですから、その頃からさまざまな手を打って、ようやく17万人になりました。すると、岡崎慎司のような、プレミアリーグのチャンピオンチームでレギュラーになる選手も誕生します。
成毛:高校で17万人がサッカーをするようになったのと時を同じくして、世界のトップ11の一角を日本人が占めるようになったんですね。ピラミッドのボトムが大きくなれば、トップが高くなります。
鈴木:ええ、ですから、高校の科学部人口も17万人にしたいと考えています。
科学の甲子園で活躍すれば大学入学?
成毛:なるほど。今、科学部人口はどれくらいですか?
鈴木:このとり組みをはじめた頃は1万人程度でしたが、今は、5万人くらいになりました。10年以内で17万人に達すると思います。野球やサッカーはほぼ男子生徒で17万人ですが、科学部は女子も入れますし。
成毛:先日、ニワトリの有精卵から中身をとり出し、食品用ラップのなかでヒナを孵化させたことがニュースになっていましたが、あれも女子高生でしたね。
鈴木:そうです、ああいった子を17万人にしたいと思っています。一方で、灘校や筑波大附属駒場高校などは、国際数学オリンピックや国際科学(物理・化学・生物・情報・地学など)オリンピックなどで頑張っていますので、科学の甲子園と国際科学オリンピックが相乗効果になっています。
成毛:アメリカのインテルが主催している「インテル国際学生科学フェア」でも、男子生徒に交じって女子生徒たちが優秀賞を受賞していますが、こちらも世界を目指す側ですね。
ちょっとこの科学フェアの話をしますと、入賞者の中には、ミニサイズの核融合炉をつくったアメリカの高校生までいるんです。それはすごいなと思って調べてみたら、アメリカの高校には、「ガスクロマトグラフィー」など、かなり高額な分析機材などもそろっているんですね。
鈴木:日本でもそうです。文部科学省が指定しているスーパーサイエンスハイスクールには、かなりの設備が整っています。足りないものがあれば大学へ出かけて行って、そこで器材を使わせてもらうこともできます。
先ほど触れた国際大会に出場するような高校は、大学だけでなく理化学研究所でも学べるよう体制を整えています。
成毛:国際大会で入賞すると、たとえばプロ野球でドラフト指名されるようなメリットはあるんでしょうか。
鈴木:今の時点でも、国際科学オリンピックや科学の甲子園などで優秀な成績を収めれば、大阪大学と筑波大学へ進学するルートはできていますし、2015年9月に「国立大学協会」で、今後、全定員の3割はAO(アドミッション・オフィス)入試で受け入れる方針が決まっています。
ですから、国際大会で入賞しなくても、科学の甲子園で活躍したり学会発表をしたりという実績があれば、2020年頃には、少なくとも「RU11」という、研究と教育に力を入れ、世界でもしのぎを削っている11の大学(北海道大学、東北大学、筑波大学、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学)には入りやすくなっているはずです。
高校野球のシステムを科学に応用
成毛:それなら、サイエンスは天才的だけれど、他の教科は今ひとつという子を救うことができますね。ところで、高校野球でどこまで勝ち上がれるかは監督次第というところもありますが、科学の甲子園ではどうですか?
鈴木:科学部の顧問の先生が果たす役割は非常に大きいです。実は高校野球では、夏の甲子園全国大会が終わった後、有力校の監督が集まって研修会を行っています。そこで、指導方法を共有したり、課題を話し合ったりしているんです。
ですから、科学の甲子園でも、最初に顧問の先生たちのために合宿を行いましたし、そこで「皆さんは蔦監督(蔦文也・元徳島県立池田高校監督)や木内監督(木内幸男・元茨城県立取手二高および常総学院高校監督)になるんです。皆さんの教え子が、20年後に科学の世界のイチローになるんです」とたきつけることも忘れませんでした。中学生向けには「科学の甲子園ジュニア」を用意しています。
成毛:しかし、高校野球のシステムというのはよくできている。それをある意味でそのまま持ってくるわけですね。
鈴木:ええ、大いに参考にしています。その先にも行きます。2020年からの新学習指導要領には、「理数探求」という科目が加わります。
成毛:高校に新しい科目ができるんですか。
鈴木:そうです。そして、この科目を履修していればAO入試に出願できるなどという仕組みをつくります。
成毛:その構想は、いつ頃からあったんですか?
鈴木:2009年頃です。
成毛:そうだったんですか。理数探求の教科書が、どんな内容になるかが非常に楽しみですね。この対談を掲載している『教科書を追え! 成毛探偵社』というコラムは、そもそも都立日比谷高校で使われている教科書を買いそろえて、その教科書の版元に話を聞きに行くという企画なのですが、実際に取材してみて驚きました。生物や化学の教科書のレベルが高いんです。生物の教科書には当たり前のように「遺伝子組み換え実験をしてみよう」というページがある。
でも、少し前の教科書で高校時代を送った人はそういうことは教わっていません。この差はかなり大きいのではないでしょうか。すでに、親は子供に「その生物の知識は古い」と言われる時代です。もちろん、教科書に書いてあることをすべて学んだら、という前提の下での話ですが。
大学入試で数学離れ、もったいない
鈴木:学習指導要領は立派だし、それに従ってつくられている教科書も立派です。でも、それで学ばない高校生もいます。大学入試が悪いからです。
そもそも、日本の15歳の科学的リテラシーはとても高いのです。2012年にOECD(経済協力開発機構)が行った「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA)では、日本の科学的リテラシーは、OECD加盟国34か国中で、科学的リテラシーは1位、数学的リテラシーは2位です。この調査の対象年齢は15歳3か月から16歳2か月ですから、ちょうど高校1年生くらいです。
成毛:ということは、先ほどの国際オリンピックに参加するような子に限らず、高校1年生の数学や科学のレベルは高いということですね。
鈴木:その通りです。ところが高校では、大学受験を見据えて、高2の段階で生徒を文系と理系に分けてしまう結果、私立文系コースに入った生徒は、数学と理科の勉強をしなくなります。
成毛:大学入試に出ないから、ですね。少し前に分数の計算ができない大学生がいることが話題になりましたが、その大学生は私立文系の学生が中心でしょう。
鈴木:文系であっても、入試のときに数学があった主に国立大の文系学生と、数学がなかった主に私立文系の学生との間では、正答率に大きな差が生じています。おそらく、狭き門を突破して難関私大文系学部に合格した人のほとんどは、中学校の時は数学ができていたはずです。
通信簿で数学は「5」をもらっていた人が少なくないはずです。そういう生徒が高校へ進学し、2年生になって私立文系を目指したとたんに数学と理科に触れなくなってしまうのは、もったいないと思います。もともとはできる人のはずなんです。
(後編に続く)
Powered by リゾーム?