(前回から読む)
前回までの対談を読んだ人は、この伊藤祐靖さんとはいったいどんな人なんだろうと思ったことだろう。元海上自衛官で、1999年3月の能登半島沖不審船事件の際には護衛艦「みょうこう」の航海長として不審船をあと一歩の所まで追い詰め、そこで特殊部隊の必要性を痛感して、自衛隊初となる特殊部隊・特別警備隊の設置に力尽くす。という経歴から想像する以上に、発言に芯がある。その伊藤さんは現在、ビジネスパーソンを対象とした私塾で研修を行ったり、企業で講演をしたりしている。これまでの経験を、企業経営にも活かしてほしいと考えているからだ。そのほかにも、個人的な“身の守り方”についての指南も行っている。
一番強い必要はない、正しく立て
成毛:このご時世、テロから身を守るための方法、トレーニングを知りたいという人もいると思うのですが、どんなことを意識したらいいですか。
伊藤:犯罪組織がテロを起こすときも、不良がカツアゲするときも、ライオンが餌を狙うときも、最初にすることは同じです。サーチングです。誰に狙いを定めるかを考えるのです。成毛さんならどうしますか?
成毛:確実に仕留められる相手を狙います。
伊藤:つまり、一番弱い奴を狙うわけですね。ですから、その場で一番弱くさえなければ、サーチングには引っかかりません。一番強い必要はありません。
成毛:一番強くなくても、せめて下から二番目に強いように見えれば、まずはいいんですね。
伊藤:サーチングによって「あいつだ」となると、次はターゲッティングです。立ち居振る舞いや重心軸の動き、体の傾きなどに注視します。正しく立って、正しく歩いていれば、絶対とは言えませんが、まずターゲッティングされないと思います。
成毛:正しく立つとはどういうことですか。
伊藤祐靖(いとう・すけやす)
1964年生まれ。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」創設に関わる。42歳、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社などのアドバイザーを務める傍ら、私塾を開いて現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている(写真:川島良俊、以下同)
伊藤:くるぶしの上に骨盤が乗り、骨盤の上に頭蓋骨が乗っている状態です。それに対して、猫背は頭蓋骨が体の前に出てしまっている状態です。猫背の人は足を踏ん張って立っているので、ちょっと押してもなかなか動かない。これはつまり、俊敏に動けないということです。一方、正しく立っていれば、どの方向へもすぐに動ける、つまり逃げやすいということです。
成毛:立つ場所に関してはどうですか。
後ろを向け、気にしろ、逃げろ
伊藤:駅のホームで電車を待つとき、みんな線路の側を向いて立っていますが、私はそうしている人の気が知れないです。あんなもの、後ろからぽんと押されたら終わりじゃないですか。
成毛:では、横を向いて立っていた方がいい?
伊藤:線路に背を向けて立っていた方がいい。ラッシュアワーの時なども、みんな後ろを向いて立った方がいいです。
成毛:なかなかシュールな光景ですね。
伊藤:それができないなら、電車が入ってきたときにちらっと後ろを振り向く。そうやって“気にする”ことが大事です。無差別テロに遭わないようにするにはどうしたらいいかと聞かれることがありますが、それを完全に避けるのは難しいと思います。ただ、実行犯は、現在の科学的センサーでは検知できないようななにか、オーラのようなものを発しています。だから、注意深く見ているとそれは分かります。
成毛:そうやって、何か異変に気付いた場合には?
伊藤:早めに気付いた場合には、離脱です。
成毛:まず、逃げる。
伊藤:離脱する時間がないほど間合いを詰められてしまっている場合、距離にして2、3メートル以内の場合は、近接を選びます。相手がナイフや銃を持っている場合、相手から離れていてはダメです。刃物や銃の内側に入るんです。銃の最大の弱点は、銃口より自分の体側に入られたらどうにもならないという点です。刃物も同じです。だからいかにして近接するかが重要なのですが、そこはトレーニングが必要です。
成毛:そうですよね。
伊藤:銃は、数メートルの距離では当たらないですよ。その距離からゴキブリが飛んできたら、みんなのけぞりますよね。ですから、銃を持っている人に近づいていくと、その人はのけぞるんです。そこで冷静に撃てる人間はそうはいません。近づいて、相手の裏側にポジションを取れればベストです。
成毛:ちょっと話のレベルが高すぎますね。
伊藤:刃物の奪い方くらいは知っておいていいと思います。そんなに難しい話じゃないんですよ。
親指を外せ、折りたたみ傘を振れ
成毛:いや、伊藤さんにとってはそうかもしれませんが……。
伊藤:ちょうどここにテレビのリモコンがあるので、成毛さん、これを刃物に見立てて握ってみてください。
成毛:はい。
伊藤:手でものをつかむということは、親指とそれ以外の4本の指で輪を作ることです。ですから、親指さえ外してしまえば、つかめなくなる。刃物を奪えます。親指を外すには、まず、刃物を持っている手の手首をつかみます。手首の動きを止めるためです。
成毛:なるほど。
伊藤:ちょっとリアルな感じで立ちましょうか。こうして手首をつかんだら、逆の手で手前から向こうへ刃物を倒す。すると、親指は耐えられなくなります。はい、こんな具合です。
成毛:あの、痛いんですけど(笑)。でも確かにそうですね。
伊藤:刃物は手でつかんでも大丈夫です。皮膚が刃に追従していれば、切れません。
成毛:そういえば本に書かれていましたが、伊藤さんは、路上で刃物を持って暴れている男を捕まえたことがあるんですってね。
伊藤:たまたま、昼間、街を歩いていたら若い男性が女性をめった刺しにしている現場に通りかかったんです。
成毛:足がすくんで動けなくなるでしょうね、我々一般人の場合は。
伊藤:私のような経歴の持ち主の場合、相手が素手ですと、つばを吐きかけられようが、何発か殴られようが、捕まるのは私の方です。ですが、あのときは相手が刃物を持ってくれていたので、その心配がありませんでした。自分は、通り魔に出会わない人生なのだと思っていたんですが、そんなことはなかったです。
成毛:それは、伊藤さんからそういうものを遠ざけるオーラのようなものが出ているからではないですかねぇ。ところで少し前に、駅のホームでの立ち方の話がありましたが、会議室とか飲食店のようなところで気をつけることはありますか。
伊藤:入り口に対して背中を向けるというのはあり得ないですね。壁を背にするに限ります。あと、これは女性にぜひ知っておいていただきたい。痴漢などにターゲティングされたとき、折りたたみ傘を持っていたらそれをぜひ使ってください。
成毛:武器として使うんですか?
複数の視点から映像的に捉えよ
伊藤:いえ、取り出すときが大事です。よく、時代劇などで、日本刀で敵を斬った後、刀を空振って血を落とすシーンがありますね。あれを血振りというのですが、折りたたみ傘の持ち手を持って、血振りをするように振るのです。すると、勢いよく柄が伸びます。これだけでいいのです。その様子を見た痴漢は、「あ、これは違う」と自分のターゲティングが間違っていたと感じてターゲットを変えるか、退散します。たいていの場合は退散しますね。
成毛:なるほど、そうやって折りたたみ傘を使われたら、ただ者じゃないなと思いますね。それにしても先ほどから説明が上手と言いますか、映像的ですよね。実は本を読んだときも、映像的、動画的だなと感じていたんです。しかも複数の視点を持っていますよね。それは訓練の賜ですか。
伊藤:そうできるように訓練するんです。攻撃の際も、同じ区画に突入するメンバー全員が、同じ映像を共有できていないと意思の疎通ができませんから。誰がどこにいるのか、何をして欲しいのか、何をするのかは、言葉を交わすことなく互いに理解しなくてはなりません。
成毛:ハンドサインは使わないんですか。
伊藤:使いませんね。覚えられませんから(笑)。
構成:片瀬京子
Powered by リゾーム?