最後のお客様に「ありがとうございました」と、いつも通り笑顔で送り出し、後片付けをしたり、ほかの店で使えるテーブルや椅子などを整理したりして、みんなと別れたのは午前2時だったと思います。それから一度ホテルに戻り、午前6時半に私一人で再び店に行って、カウンターと案内板を壊したのです。

自分の気持ちに一区切りついた

 帰りのタクシーの中では、すっきりした気持ちでした。自分なりに一区切りついたのでしょう。それ以降、悔しさを引きずることはありませんでした。2002年に創業者特別顧問に退くまで、当時の私の悔しさを社内外で語ることは、あまりありませんでした。

宗次徳二氏(写真:早川俊昭)

 ただ、会議で幹部の責任感が足りないのではないかと思ったとき、あえてこの出来事とそのとき私が何を感じたかを話すことはありました。会長でしたから、叱ったり、細かく指示したりはしない。ただ、創業者としての思いをくみ取ってほしかったのです。

 壱番屋の経営から離れた翌03年、私は夢を追うスポーツ選手や芸術家たちの支援などをするNPO法人、イエロー・エンジェルを立ち上げました。07年には音楽家が腕を披露する場を提供しようと、私財を投じて名古屋市内に音楽ホールの「宗次ホール」を造り、代表も務めています。

 音楽を気軽に楽しんでもらうために入場料は安くしているので、収支は赤字です。それでも、未来ある音楽家を応援したいという思いで続けています。同じ赤字でも、事業の赤字とは全く意味が違います。

 私は壱番屋の経営に一切の未練や後悔はありません。株もハウス食品グループ本社に売ってしまいました。創業者なのに、なぜこれほど会社への執着がないのかといえば、現役時代にやり切ったからです。毎日午前4時10分に起きて午前5時前には出社し、店から届く最大3万通のアンケートにくまなく目を通す。改善が必要ならすぐ指示し、昼間や夜は時間が許す限り、全国の店を視察する。それを25年ほど続けましたから。

 この話をしていたら、また福島のあの場所に行ってみたくなりましたよ。今、何があるんでしょうかね。

 (この記事は、「日経トップリーダー」2017年11月号に掲載した記事を再編集したものです)