ただ、浜島の頑張りを知っていたので、私は2カ月後、岐阜で大型店をオープンした際、彼に再び店長を任せました。捲土重来を期していたのでしょう。開店直後から期待を上回る実績を上げてくれました。

 5号店を閉めた苦い経験から、私は店数を追うのではなく、お客様や大家さんをはじめ、ココイチに関係する皆様に迷惑を掛けないために失敗しない、つまり、閉店しない店づくりをすると決めたのです。

 そのはずだったのに、福島森合店で同じ失敗をした。会長に退いていたとか、当時400店近くも展開していたら失敗する店があっても仕方がないとか、いくらでも言い訳はできます。でも、閉店の責任はやっぱりトップである私にあったんですよ。だから、その責任の重さ、そしてお客様や関係者の皆様への申し訳なさと最後に向き合うため、店に行くことにしたのです。

 店を壊すためのハンマーとくぎ抜きは、ホームセンターで買いました。ハンマーとくぎ抜きが長くてね。3000円くらいした大きな黒いバッグに入れても、先がはみ出してしまうんです。仕方がないから、先端部をタオルでぐるぐる巻きにして隠しました。むき出しの状態で新幹線に乗ったら、間違いなく危険物を持ち込んだ不審者と間違われますから。

 当日は夕方5時に名古屋駅を東海道新幹線で出発し、東京駅で東北新幹線に乗り換えて福島駅に向かいました。着いたのは午後9時頃。もう15年前の話なのに、当時自分が取った行動は克明に覚えています。それだけ自分にとって強烈な出来事だった。

突き刺さるタクシー運転手の言葉

 ビジネスホテルで荷物を下ろして、午後11時半頃にタクシーで福島森合店に行きました。店は午前0時で閉まります。最後のお客様を送り出すためでした。

 「県道沿いのカレー屋さん、分かりますか。あそこまでお願いします」と私が言ったとき、タクシーの運転手さんから掛けられた言葉が忘れられなくてね。

 「かしこまりました。あそこは、これまで何軒も店が変わっているんだけど、カレー屋さんになってからは、ずっと続いて頑張っていますよね」

 その店が今日で終わりなんですとは、とても言えなかった。「地域の皆様の信頼を裏切ってしまった」という思いが、改めてこみあげてきました。

 店に着くと、まばらでしたがお客様はいらっしゃいました。接客を始めようとすると、いつもよりスタッフの数が多い気がする。理由を聞くと、何と宮城県名取市にある壱番屋の宮城営業所に勤めていたパートさん2人が、わざわざ車で閉店業務の手伝いに駆けつけてくれていたのです。お菓子の差し入れを持ってね。「私たち、この店のパートさんと知り合って友だちになったものですから」と話していました。この2人のほかにも、本来シフトでない店のパートさん3人も自主的に手伝いに来てくれました。