内心は不満でも社長決定に従う

 それからしばらくたった後、会社で直美から「福島森合店はもう撤退するから」と伝えられました。正直に言うと、私は納得できませんでした。「何かできることがあるはず」と考えていたからです。でも、私はもう社長ではありません。自らの意思で既に会長に退いている。今の経営陣が出した結論なら、それを覆すことはしない。そう決めていたので、妻に従いました。

1978年に開業した「カレーハウス CoCo壱番屋」1号店

 会長に退いたのに、社長以下の経営陣に平気で口を出し、社内に不満が渦巻く企業がよくありますよね。そうしたゴタゴタは絶対に避けたかった。だから、私は反対しませんでした。

 ただ、自分の内側から膨れ上がってくる悔しさだけはどうにも抑えようがなかった。だから、すぐにこう誓いました。「営業最終日の閉店間際に店に行き、最後のお客様を自らの手で送り出そう。そして、自らの手で真っ先に店を壊そう」と。

 壊す場所をカウンターにしたのは、椅子やテーブルと違って再利用できず、閉店後に破棄するものだったからです。しかも、カウンターは店の象徴。そこで接客し、カレーが提供されてお客様が食べる場所でした。だから、壊すならカウンターしかないと思った。

 冷静になってから振り返ると、閉店した原因の一つは、人材・教育不足だったと思います。株式公開すれば株主から成長を求められる。注意しているつもりでしたが、やはり出店スピードに対し、それを管理・運営する人材の育成が追いつかなかったのでしょう。

 閉店という過ちを犯したのは、これが2度目でした。1度目は忘れもしない1981年。今の愛知県一宮市に出した5号店「尾西起店」でした。オープンしてわずか半年で撤退に追い込まれました。

オープン後半年で撤退に追い込まれた尾西起店。エプロン姿の男性が宗次氏で、その左隣の男性が現社長の浜島俊哉氏

 完全に私の立地選択ミスです。店の後ろは川で、橋を渡ってまで来店するお客様は期待できない。住宅街でお昼を外で食べる人もあまりいない。もともと近隣に紡績工場があったのですが、既にすたれていて、勤め人が立ち寄る需要もあまり見込めなかったのです。

 実は、そのときの店長が現在、直美の後任として壱番屋社長を務めている浜島俊哉です。浜島の当時の努力は目を見張るものでした。店を立て直そうと、2階に泊まり込んで接客指導や店の掃除などを自ら先頭に立って手掛けていたのです。もちろん、私も店を訪れては一緒に厨房に入ったり、接客したりしましたが、立地の悪さにはあらがえませんでした。