マインドフルネスで心を整える
米シリコンバレー・リポート5 今この瞬間に集中すれば不安や恐れから開放される
世界のICT(情報通信技術)をリードする米シリコンバレー。そこからAI(人工知能)革命という新たなうねりが起きつつある今、日本の中小・ベンチャー企業は、どう受け止め、どう対応すればいいのか。それを探るため、日本の中堅・中小企業経営者らが7月23日~27日、スタンフォード大学の専門家や現地で働く日本人社員などのもとを訪れた。主催は、シリコンバレーに拠点を構える日系企業で、米・スタートアップ企業と日本の中小企業の協業を支援する、ブリリアント・ホープ。日経トップリーダーと日経BP総研 中堅・中小ラボが企画・協力をした。ここではそこで語られた米シリコンバレーの最新動向を複数回にわたって紹介する。3回目は、スタンフォード大学心理学者のスティーヴン・マーフィ重松氏が、学生や卒業生の間で大きな支持を集める心のあり方「マインドフルネス」をグループワークで経営者に伝えた様子をリポートする。
皆さん、はじめまして。私は、ここスタンフォード大学で「マインドフルネス」という心のあり方を学生に教えている心理学者です。東京で米国人の父と日本人の母の間に生まれた私は、1歳のときに家族で米国に移住しました。そして、ハーバード大学で臨床心理学の博士号を取得して教鞭を取った後、日本に戻って東京大学でも12年教えました。その後、16年ほど前からスタンフォード大学に移って現職に就いています。
日米のいわゆる超一流大学を渡り歩いてきましたが、どの大学も「いい教育」、言い換えれば、心をベースにした教育があまりできていないと私は感じています。知識はたくさん教えますが。そうすると、何が起きるのか。心を病む学生が現れ始めるのです。
スティーヴン・マーフィ重松氏(写真左端)
東京都生まれ、米国育ち。ハーバード大学で臨床心理学の博士号取得後、東京大学留学生センター、同大学院教育学研究科助教授などを経て、現職。マインドフルネスの概念をベースに、生きる力やグローバルスキルを高める専門家として、教育・医療・ビジネスなどの分野で国際的に活動中。著書に『スタンフォード大学マインドフルネス教室』(講談社、2016 年)『From Mindfulness to Heartfulness: Transforming Self and Society with Compassion 』(Berrett-Koehler, 2018) などがある
「スタンフォード・ダック・シンドローム」はその典型例です。これは少なからぬスタンフォード大学の学生が陥る症状を示した造語。100人中、5人ほどしか合格できない狭き門を潜り抜けて入学したスタンフォード大学の学生は、余裕があって優雅に過ごしているように見えます。しかし、迷いや葛藤、自分はどうあるべきかについて心の中で不安を抱えている人が多い。これがちょうど水面を優雅に泳ぐカモが、実は水面下で激しく足で水をかいている様子に似ているので、ダックと名付けられました。
実際、全米の学生を対象にしたある調査でも、約8割の人が心の教育を望んでいるという結果が出ています。こうしたことから、心の教育を大学に根付かせて学生を救いたいと私は考えて、マインドフルネスを教えるようになったのです。
今この瞬間に集中する心のあり方
では、マインドフルネスとは何か。日本語に訳すと「念」になります。過去でも未来でもなく、今、この瞬間を生きていることに集中する心のあり方と、集中するまでのプロセス全般を指します。最初は少しイメージしづらいかもしれないので、マインドフルネスを体験できる簡単な練習をしてみましょう(中小企業経営者に干しブドウが配られる)。
今配った干しブドウを手のひらに載せてよく見てください。大きさや色、表面の形状など。次に鼻を近づけて香りをかいでみてください。どんな香りがしますか。次に指の間に挟んで感触を確かめてみてください。どんな印象を持つでしょうか。今度は口の中に入れて舌の上で感触を味わってみてください。いかがでしょうか。
では、この干しブドウがこの場所に届くまでの過程を少し想像してみてください。土に種が植えられて日光と水を得ながら、ブドウの木が育ちました。ブドウの実がなって収穫され、干される。さらに、箱詰めして出荷され、スーパーの店頭に並ぶ。それを私が買いに行って配った結果、今皆さんの口の中にある。そんなことを考えながら、噛んで食べてみてください。これを「レーズン・エクササイズ」もしくは食べ物をじっくり味わう「マインドフルネス・イーティング」と言います。少し感想を発表してください(中小企業経営者が一人ずつ感想を述べる)。
「いつも何気なく食べているが、ストーリーを聞いて、食べるのがもったいなく感じた」
「一粒が大きく感じた」
「食べた時に味というより温かさのようなものを感じた」
「いつもよりたくさん噛んだ」
「干しブドウができる過程を考えてもいなかった。ずっと口に含んでいたくなった」……。
普段考えないことをじっくり考えながら干しブドウ一つ食べることができた今の状態が、マインドフルネスです。私たちは普段、マインドフルでないことが多い。例えば朝、犬の散歩をしているときでも、今日しなければならない仕事の内容を考えたり、将来への不安を感じたりして、その瞬間に集中できていない。目の前の散歩に純粋に集中している犬のほうが、恐らくよっぽどマインドフルです。過去や未来はいったん横において、今この瞬間に集中する。そうすれば不安や恐れから解放されます。
マインドフルネスと瞑想は同じ意味と捉えている人がいます。両者は密接に関わり合っていますが、それぞれは異なります。瞑想はマインドフルになるための道(方法)の一つに過ぎません。
あなたは一体何者なのか
ではここで、マインドフルネスの入門となる、もう一つの練習をしてみましょう。2人1組になってください。そして、片方の人が相手に「Who are you?」と尋ねてください。そうしたら、聞かれた側は、「私は~です」と答えてください。今度は聞かれた側が「Who are you?」と投げ掛けてください。そして、最初に質問した側がそれに答える。この質問だけをひたすら交互に繰り返してください。質問への答えは日本語で問題ありません。イメージとしてはこうです。
中小企業経営者が約10分間、ひたすら互いにWho are you?と尋ね合った
Aさん:Who are you?
Bさん:私は北海道出身です。
Bさん:Who are you?
Aさん:私はスタンフォード大学の教師です。
Aさん:Who are you?
Bさん:私はカリフォルニアの青い空が大好きな人間です……。
では、皆さんで取り組んでみてください(10分程度、2人一組で実践)。
いかがだったでしょうか。今感じていることを皆さんで共有してみてください。
「相手の人柄をよく知ることができる。昔と今の自分が違うと改めて感じた」
「自分のことを振り返るのが久しぶりで、いい機会になった」
「話せば話すほどお互いに似ている部分があって、身近に感じた」
「相手との共通項を探して自分を振り返っている印象があった」……。
実は、この練習を通じて、今までにない自分に対する見方を発見してほしかったのです。Who are you?と問い掛けられると、はじめのうちは自分の職業や家族構成、幼い頃から両親をはじめ周囲の人から言われた自分の性格(活発、騒がしいなど)などを答える人が多い。ところが、繰り返し問い掛けられて答えているうちに、「あれ? 今まで思い込んでいた自分の性格と本当の自分の性格は違うのではないか」など新たな発見をする場合がある。具体的には子供の頃に感じていた喜びをふっと思い出すとか。反対に「実は自分は意外に臆病だ」のマイナスの部分に気が付くこともある。そうすると、ものの見方や考え方が変わる可能性がある。それを期待したのです。
西洋では、自らが抱える悩みや不安や心の傷などを忘れたり、克服したりするために「(能動的に)自分を変える」という発想になりがち。一方、東洋的発想のマインドフルネスの場合、自分を変える必要はありません。自分の弱さも含め、まずありのままを受け止める。その上で新しいものを生み出していこうとします。どちらが良い悪いということではなく、バランスが大切だと思います。
自分にとって困難な状況を受け入れて次に進もうとする姿勢を示す象徴的な日本語が、「仕方がない」です。従来、この言葉は諦めを示すものとして、否定的に捉えられていました。しかし最近では、あるがままの現実を受け入れて次に向かおうとする入り口として、日本人はこの言葉を使っていると私は感じています。
では、次に瞑想の体験をしてみましょう。「Guided Meditations」(慈悲の瞑想)を今日は紹介します。まず背筋を伸ばして座ってください(経営者が居住まいを正して実践する)。
まず呼吸に集中してください。息を吸ったり吐いたりするのを感じてください。次にゆっくりと鼻から息を吸って、ゆっくりと口から吐いてください。これを何度か繰り返してみてください。それでは普通の呼吸に戻してください。ハートの辺りに意識を集中してください。できれば片方もしくは両方の手をハートの上に載せてください。
今から私が述べる言葉を心の中で反すうしてみてください。「私が健康でありますように」「私が幸せでありますように」「私の心が平和でありますように」「私が愛されますように」。
慈悲の瞑想を実践する様子。次第に穏やかな表情になっていく
次に自分のことを大切にしてくれている人や愛してくれている人のことを思い浮かべてみてください。その人が隣にいるとイメージしてください。その人に向かってこう言ってみてください。「健康でありますように」「幸せでありますように」「心が平和でありますように」「愛されますように」。ハートの辺りにもう一度注意を向け、温かさを感じてください。
次にあなたの周りにいる人で今、つらい思いや大変な思いをしている人、病気の人などを思い浮かべてください。その人たちに心の中でこう言ってください。「健康でありますように」「幸せでありますように」「心が穏やかでありますように」「愛されますように」。もう一度ハートに注意を向けて、ハートの温かさを感じてください。
それでは自分自身に再度注意を向け、自身にこう話し掛けてください。「私は健康です」「私は幸せです」「私の心は平和です」「私は愛されています」。その上で、もう一度ハートの周りの温かさを感じてください。最後にもう一度、自分の呼吸に集中してください。空気が入る感じ、出ていく感じを味わってください。それでは、ゆっくり目を開けてください。
科学的根拠によって普及したマインドフルネス
マインドフルネスは米国で今、とても人気があります。ストレス軽減や集中力向上などに効果があると科学的な根拠が示されるようになってきたことで、見直されるようになりました。皆さんに今、実践していただいた慈悲の瞑想も精神面でプラスの効果をもたらすとされています。
それでは、スタンフォード大学の敷地内に約5億円を投じて4年ほど前に完成した瞑想専用の施設「Windhover」に移動して、今の慈悲の瞑想にもう一度取り組んでみましょう。施設内は携帯電話や私語は禁止です。入り口の横に座布団があるので、それを持って施設内の床やベンチに座布団を敷いて座り、瞑想してみてください(経営者が施設に移動し、瞑想を実践)。
スタンフォード大学敷地内にある瞑想専門施設「Windhover」。夏休み中だったが、瞑想している学生もいた
(瞑想の施設から元の教室に戻る)今、瞑想に取り組んでもらいましたが、私は単に大学で瞑想法を教えたいわけではありません。最大の目的は、マインドフルなリーダーを育てること。そのために努力しています。どんな会社や組織でも、こうした目的を持つことが非常に大切になります。
人生の目的には大きく分けて2種類あると私は考えています。1つは自分にないものを持つ他者に共感し、その他者とつながること。2つ目は他者の人生に貢献すること。会社に属していても、こうした目的を持って働くことが重要になります。
目的を持って社員が働いている会社には3つのメリットがあります。1つは仕事に対する満足感を与えられること。2つ目は生産性の向上。そして最後が定着率向上です。米国企業は雇用の流動性が高いので、どれだけ有能な社員を会社にとどめておくかが大切になっているのです。
多くの人は自分の人生の目的を知らない
アルベルト・アインシュタインは人生の目的を自覚する難しさについて、次のように語っています「奇妙なのは私たち大勢の人間だ! その誰もがこの世でつかの間の時を過ごし、その目的については、時には感じ取ったと考えるが、知る者はいない」(Albert Einstein『The World as I see it』)と。
自分が取り組んでいると生き生きすること、わくわくすることをしっかりと理解する。その気付きを体得することが大切です。マインドフルの気持ちでいると、「本当の自分」が分かる時が来る。そこで、自分がリーダーとして何をするべきかを自覚したとき、リーダー自身の人生に目的が生まれ、大きく成長します。
では、最後の体験学習に移ります。模造紙とペンを配るので、大きく半月を描いてください。半月の見えている部分(光が当たっている部分)に自分が取り組んでいると生き生きすることを書き込んでください。一方、半月の見えない部分(影の部分)に、自分の心の傷や弱い部分、人に見せたくない部分を記入してください。その上で、その弱い部分を光の当たるほうに持ってくるとしたら、どのような取り組みができるかを書き出してみてください。言葉でも絵でも構いません。
私の例を挙げましょう。スタンフォードの学生に心の教育をするのに15人くらいがちょうどいい。一人ひとりをじっくり把握できるから。これが半月の光の部分。一方、自分は何百人もの前で話すと緊張する。これが影の部分です。 でも、本音では一人でも多くの学生に教えたい。では実現するにはどうするか。よく考えてみれば、講演会の時には千人もの前で話すこともある 。そのときにできるのだから、大学でもできるはず。そう考えて実行する。こんな具合です。
(経営者が10分で模造紙に自由に書き始める)。それでは代表的なものを一つずつ発表してください。
人生の目的を探すための体験学習に取り組む中小企業経営者たち
「他人と競争するのが苦手。その短所を明るい部分に持ってくるとしたら、自分が積極的にアイデアを出して、他人と違うことをやる。それで生き残りたい」
「私はいつも自信がなくて、臆病で、依存心が強いし、人に嫌われたくない。でも、本当になりたいのは強いリーダー。ぶれない軸を持って行動するリーダーになりたい。だから、小さいことでも率先垂範することから始めたい」……。
若い頃悲観的でも年を取るほど楽観的に
この体験学習をすると、どうしても自分自身のことを振り返ってしまいます。私の専門は臨床心理学。臨床心理学の基礎を作り上げたジークムント・フロイトは「人間の性格は3歳までに決まる」と述べています。この部分だけを切り取ると、その後の人格形成には手の施しようがないというネガティブな考え方になってしまいます。私も若いときは、そう悲観的に考えていた部分がありました。しかし、マインドフルネスを知った今は、あるがままの自分を受け入れれば、人間は大きく成長できると確信しています。ですから、今は楽観的です。実際に私自身、年は取りましたが、若い頃よりも大きなことにチャレンジできるようになりました。
今日も皆さんにうまく自分の考えを伝えられるか最初は不安でした。しかし、4時間たった今、皆さんの一体感のある雰囲気を感じることができ、ある程度理解してもらえたのではないかとほっとしています。自分なりの方法でこれからも教えていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
(構成:久保俊介、編集:日経トップリーダー)
シリコンバレーの最新動向を知る視察研修を実施しています
スティーヴン・マーフィ重松氏の体験学習などに参加できる、シリコンバレー視察研修を実施しています。現地に拠点を構える日系企業で、米・スタートアップ企業と日本の中小企業の協業を支援する、ブリリアント・ホープが主催。日経トップリーダーと日経BP総研 中堅・中小ラボが企画・協力しています。対象者は、中堅・中小企業経営者向けの通年セミナー「日経トップリーダー大学」を受講した経営者およびその関係者です。来年も開催を予定しています。「日経トップリーダー大学」やシリコンバレー研修の詳しい内容についての質問はこちらのお問い合わせフォームからお願いします。
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