自身が設計したものと寸分違わない形、大きさで今まさに目の前にある。設計までしながら製造されなかったのは、計画中止によるものではなかった。

 「うちが書いた図面を無断で使い、ほかの会社に製造させたのか!」

 怒りがふつふつと湧き上がり、大手メーカーの担当者に詰め寄った。「これは一体どういうことですか。あの話はなしになったのではなかったのですか。なぜ俺が設計した装置がここにあるのか、ちゃんと説明してください!」。

 スズキ機工がこのメーカーと取引を始めたのは2年ほど前。大手だけあって、決して安くはない金額の装置をしばしば発注してくれていた。だから取引がゼロになれば痛手はある。それでも鈴木社長はその場で、この会社とは金輪際、取引をしないと決めた。

「大至急だと言ってやらせておいて、こんな仕打ちをするのか。中小企業だと思ってばかにしている。仕掛かり中の製品も含め、もう取引はやめだ。二度と連絡をしてこないでくれ」。そうたんかを切って、工場を後にした。

 スズキ機工は1971年に鈴木社長の父、道弘氏が創業した会社だ。もともとは18L缶の製造機械の修理・メンテナンスが専門で、後に生産ラインの設計・製作事業を立ち上げた。しかしバブル崩壊以降、製缶機械市場の不振で長い冬の時代に突入する。

 息を吹き返したのは、食品関係の商社に勤務していた鈴木社長が97年に呼び戻されてからだ。前職で世話になった食品会社の社長から仕事が舞い込んだことを機に製造ノウハウを蓄積。徐々に食品メーカー向けの自動機械や検査装置の設計・製作を手掛けるようになり、2002年頃には完全に業態転換を果たした。

忙しいのに、儲からない

 とはいえ、経営は安定しているとは言いがたい状況だった。07年、鈴木社長が父から経営のバトンを受け取ってからも依然として業績は厳しいまま。

 とにかく毎日忙しい。仕事はたくさんある。売り上げもそれなりにある。にもかかわらず、常に収支はトントンか、赤字。「真面目に働いているのに、ちっとも利益が上がらない。誰かにその理由を教えてほしいくらいだった」。

 件の事件が起きたのは、そんな頃だ。捨てぜりふを吐いて大手メーカーの工場を飛び出した鈴木社長だったが、次第に冷静さを取り戻し、なぜこんな結果になったのか、思いを巡らせ始めた。