経営不振の中の事業承継

 10年に健生から後を継いだ大塚が考えたのは、自社に眠っている技術やノウハウを洗い出し、競合が少ない異分野で勝負すること。そうすれば、価格競争の消耗戦に巻き込まれることなく、利益を着実に確保できると見た。

 大塚の前職は、コンサルタント。その経験が自社の経営戦略を見直す際の合理的かつ冷静な着眼につながったといえる。

大塚は社員に自社の強みを尋ね、それを基にチェーン店の出退店支援サービスを確立した(写真:鈴木愛子)

 では、自社の強みをどう見つけるか。大塚は社員の力を借りた。トップが当たり前と思って見過ごしていたものが、意外に特長だったりするからだ。しかも、自身のアイデアが採用されれば、社員の士気は間違いなく高まる。

 大塚はてらいなく社員からアイデアを募った。社長に就任すると、「これからは他社がまねできないサービスを確立したい。うちの強みをみんなで出し合ってくれ」と各事業部の会議で頼んで回った。

 これは自分で物事を次々に決めていくトップダウン型の経営者にはなかなかできない。「自分は父と違って、何でも自分で意思決定をして事を進めるスーパーマンではない」と大塚は自身を分析。だからこそ、社員の力を最大限に引き出すことに注力した。チェーン店の出退店支援サービスは、ここから生まれた。

 実は、先代の健生は新規事業につながる種をまいていた。

 会社の業績が絶頂から急落する中、「このままDPE事業だけをしていては会社は潰れる」と判断。DPE事業で培った印刷技術に着目し、名刺やチラシ、ポスター看板といった幅広い印刷物を扱える店づくりを進めていた。その覚悟は、01年に社名を写真屋さん45から四五(よんごー)コーポレーションに変え、「写真屋」という言葉を消したことからも分かる。

 その過程で、看板などの大掛かりな商品を扱う場合には施工技術が必要になり、看板制作会社に勤めていた職人を採用。途中からは業務の幅を広げ、店の内外装まで手掛けられる体制を整えた。