市場消滅という地殻変動が20年ほど前に起きたDPE(写真の現像・焼き付け・引き伸ばし)と呼ばれる写真のプリント市場。ピンチの中、DPE店チェーンは、どう対応して生き残ってきたのか。今回紹介するのは写真屋さん45。一時は売上高120億円まで伸ばしたが、その後は赤字決算続き。しかし、写真の印刷技術を周辺分野に展開して復活。売り上げを伸ばしている。

「プラザクリエイト『写真事業の火は絶やさない』」で紹介したプラザクリエイト本社の大島社長が創業者としての本業のこだわりで会社を立て直しているのに対し、後継者の視点で守るべきものは守り、変えるべきところは大胆に変えたのが、45(よんごー)アイズ(東京・文京)社長の大塚逸平だ。
DPE店チェーンという本業に付随して社内で培われた技術・ノウハウを異分野に展開したことで、企業を復活に導いた。
「当初のビジネスからはだいぶ変わっている」
大塚の言葉通り、現在、35億円(17年12月期)の売上高のうち約4割は、小売りや外食などのチェーン店が出店したり、退店したりする際の内外装の工事や、地主との手続き、交渉の助言などを手掛けるサービスが占めている。
45アイズは1984年に、大塚の祖父の逸夫が写真屋さん45(よんじゅうご)という会社を立ち上げたのが始まりだ。DPEチェーンの直営展開で成長。97年に父の健生が継いだ後、2001年12月期には売上高約120億円に達し、03年には店舗数を725店まで展開した。大塚が入社したのは、その頃だ。

ところが、翌年から業績は一気に悪化する。04~08年は毎年客数が激減し、連続して赤字決算。赤字額は累計で20億円まで膨れ上がった。1年で約200店を閉めたときもあった。
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