「写真データの応用範囲を次々に提案することが楽しくて仕方がない」と語る大島(写真:菊池一郎)

 並みの経営者なら、この時点で経営の継続を諦めてもおかしくない。しかし、大島はそんな中でもばん回策を模索し続けた。

 支えになったのは、創業者としての事業へのこだわりだ。市場消滅に立ち向かうには、まずこの「絶対に諦めない」というトップの気概が重要になる。それなくしてすべては前に進まない。

 当時の胸中について、大島はこう述懐する。

 「自分のやりたいこと、守りたいこと、チャレンジしたいことは写真関連事業で、すごく限られる。だから、パレットプラザという店が維持できなくても、全然違う事業をする意識は微塵(みじん)もなかった」

 写真好きが高じて大学を中退してまで、写真撮影サービスにのめり込み、その後、会社を設立してDPEチェーン店を展開してきた大島。「そこまで写真が好きなのか」との問いに、「すべてつながっていてうまく言い表せない」と応じたところに、何としても写真事業の火を絶やさないという創業者の矜持(きょうじ)が見える。

好立地の店という価値

 本業関連にこだわるなら、これまで培った基盤技術やノウハウをどれだけうまく生かせるかが鍵を握る。大島はそこを考え抜いた。

 1つは駅前などの好立地にあるパレットプラザという店の資産の活用。アクセスが良い店が多く、提供する商品やサービスさえ、顧客ニーズにフィットすれば、繁盛店にできると踏んだ。

 「悔しかったけれど、異業種のチェーン店から『店舗を閉鎖するなら売ってほしい』と露骨に言われたこともある。逆にそれほどうちの店にはアドバンテージがあると捉え直した」

 では、その好立地を生かしてDPEに代わる写真事業をどう展開するか。大島が出した答えは携帯電話販売だった。2000年代に入ると、写真はデジカメに加え、カメラ付き携帯電話で撮るのが主流になっていたからだ。