突然、自社の属する業界の市場が縮み、一気に苦境に陥る。これは絵空事ではない。今後、技術革新のスピードが速まれば、市場が急に消滅する事態さえ珍しくなくなる。その地殻変動が20年ほど前、他の業界に先駆けて急激に起きたのが、DPE(写真の現像・焼き付け・引き伸ばし)と呼ばれる写真のプリント市場だ。ピンチの中、DPE店チェーンは、どう対応して生き残ってきたのか。3社の戦略をひもときながら、中小企業が市場激変に立ち向かう方法を探る。まずはプラザクリエイト本社の例から見てみよう。

 プラザクリエイト本社(以下、プラザクリエイト)社長の大島康広といえば、1990年代に巻き起こったベンチャーブームの旗手の1人として脚光を浴びた。DPEショップ「パレットプラザ」の多店化で名を馳せ、96年には店頭(現ジャスダック)市場に株式を上場。わが世の春を謳歌した。

1988年会社設立。店頭のミニラボ機で写真を即日仕上げするDPE店チェーン「パレットプラザ」を直営とFCで展開。99年3月期に売上高約380億円、2000年には全国に1200店を展開した。写真は1200店まで拡大した「パレットプラザ」

 しかし、写真プリント市場の急速な縮小に伴って、その名が表舞台に出ることは極端に減った。ところが今、実際に対面してみると、その人懐っこい笑顔は、かつてのままだった。

 「いや、実を言えば、ここ10年余りのうち、前半は(事業の先行きが見えず)、自分の中でモヤモヤ感がすごかった。でも、そこからは楽しくて仕方がないんです」

 大島は胸の内を率直にこう語る。笑顔の裏には、苦闘の末に自ら導き出した事業の方向性への自信が込められている。

絶頂から一気にピンチ

 振り返れば、ピークからの転落ぶりはまさにつるべ落とし。直営に加え、FC(フランチャイズチェーン)方式で一気に店舗を展開。その結果、99年3月期の売上高は約380億円、翌2000年に店舗数は1200店まで拡大した。

 だが、その約1年後にFC加盟店の募集停止に追い込まれ、しばらくは防戦一方になった。

 「会社的にもうだつの上がらない時期で、自分の前向きな気持ちも抑えつけられてしまう感じ。店舗を1000から900、800、700と減らしていくと、売り上げは下がってもリストラで利益は出る。でも、次の一手が見えなくて、ずっと下を向いていた」。当時の心境を大島はこう吐露する。