その日から早速、運転手の教育を始めました。しかし、一向に状況は変わらない……。

 仕方がないので、24人の家を訪問しました。そうしたら、そこに原因があったんです。

 多くの運転手が、4畳半、6畳、8畳一間に、家族数人と住んでいました。タクシー運転手は昼夜交代制。昼働いて夜休む、または夜働いて昼休みます。

 しかし、昼間は部屋に子供がいて眠れない。夏は、暑いので扉を開けるのですが、雑音で寝られない。うつら、うつらしている内に寝過ごしてしまう。

 1時間寝過ごすと、遅刻して来る。2、3時間寝過ごすと、「ああ、今日は面倒くさいから休もう」となる。

 そうは言っても、タクシーは出来高制が基本です。体調が悪くても寝不足でも、働かないと稼げない。無理して運転する。だから事故を起こす。

 教育以前に、労働者の生活環境に問題があったことに、その時、気が付いたんです。

社員が家を持てるように給料を上げた

 そこで社宅「ミナミホームセンター」を作って、独身者は2階、所帯持ちは1階に全員住まわせました。さらに、64年、厚生年金基金のお金を借りて、2DKのマンションを建てました。部屋は二間以上あり、バス、キッチンも完備。そうやって徐々に生活環境を改善していきました。

 それでも不十分だと思って、69年、社員が家を持てるように、給料を上げる決断をしました。

 タクシーの歴史について書かれた本を紐解きますとね、1935年(昭和10年)頃のタクシー運転手が、サービスが一番良かったらしい。給料も、銀行の支店長やパイロット、商社の部長や課長に匹敵したそうです。タクシー運転手は花形職業だったと書いてあります。

 そこで、昭和10年並みの待遇を再現しようと思ったんです。1969年当時、銀行の支店長の月給は12万円。タクシーの運転手は7万円でした。この差額分、5万円を即座に上げたんです。月給7万円に対して5万円の昇給ですからね。これは、ものすごいことだったんです。当然、「MKタクシーは3カ月しかもたない。必ずつぶれる」と同業者には陰口を叩かれました。

 しかし、実際には、ここからMKは生まれ変わり、成長していきました。

 賃金を上げれば上げるほど、生産性も上げなくてはいけない。労働者の能力を開発しなくては、到底実現できない。そのためには、経営者は苦労、努力せんならん。