タクシー業界大手のエムケイ創業者で、近畿産業信用組合(大阪市)の会長も務めた青木定雄氏が8日、88歳で死去した。1993年に全国で初めて運賃引き下げの認可を取得し、規制緩和の旗手とされた人物だ。
 月刊誌「日経トップリーダー」では青木定雄氏の人となりや経営手腕について、多くの記事を掲載してきた。
 青木氏の訃報を受け、2005年に掲載した記事を再掲載する。
 「労務管理が近代的じゃなくてはあかん。非近代的な労務管理では、企業は成長せえへん」――。無断欠勤、遅刻、早退が当たり前、挨拶もしない運転手たち。「おはようございます」と挨拶ができるようになるまで10年掛かったという青木氏が、この状況を打破する際に経験した人材教育の苦労を肉声で語る。

 「青木さんはいいなあ。そんなに儲かって、有名になって」

 みなさん、羨ましがりますけれどね、エムケイを率いてきた約40年、私にしてみたら苦痛の連続でした。もう一回やれと言われても、二度とできません。

 「なんで、俺はこんなに苦労せなあかんのか?」

青木定雄(あおき・さだお)氏
1928年6月、韓国生まれ。77歳。60年にミナミタクシーを設立。63年に、桂タクシーの経営権を譲受。77年、両社を合併、頭文字を取って、エムケイに社名変更、同社会長に就任。95年、グループ会長を引退。2002年から近畿産業信用組合会長を務める。2017年6月8日死去。(写真:福島正造)

 何度、挫折しそうになったか分かりません。
 中でも、特に苦労したのが“教育"です。すべての企業にとって、一番大切な資産は社員です。特にこれからは、人で商売していく時代。無から有を生み出すのが社員です。その教育こそがすべてなんです。

 しかし、一口に教育と言っても、それはもう、大変なことでした。
「出社したら、まず『おはようございます』と挨拶しましょう」
 例えば、これだけで10年掛かったんですよ。想像できますか?