突然の申し出に戸惑ったが、最終的に帰郷して鹿沼グループに入ることを福島は決意する。困っている父を助けたいと思ったからだ。婚約者とその親に人生設計が変わったことを伝えるのは勇気が要ったが、幸い理解を示してくれたので、そのまま結婚した。

56人いた古参幹部を大リストラ

 鹿沼グループにおける福島の最初の肩書は経営企画室課長。銀行団と共に再建策を練る役割だ。現状を把握するため、まず会社の組織体制や経営数字を確認する必要がある。早速チェックを始めたが、そこで仰天した。「厳しい状況は分かっていたが、想像をはるかに超える実態だった。率直に言って組織の体をなしていなかった」(福島)。

 バブル期の事業多角化の名残で子会社の数は約20にまで増加。しかも、能力にあまり関係なく、長く勤めた人が1社につき、多ければ7人役員に就いている。これだけならまだしも、福島の父は情にほだされて親族を引き入れ、役員に据えていた。名前だけ貸して報酬を受け取っていない親族もいれば、中には、会社に顔を出さないのに、報酬だけ得ている親族もいた。「グループで合計すると当時の社員数約500人に対し、56人の役員がいて、その半数以上が60歳を超えた古参幹部だった」という。

 銀行団も当然、このいびつな構造を問題視し、福島が入社したときには既に策を講じていた。福島の父に決断を迫り、60歳の役員定年制を機関決定させていたのだ。しかし、それが実行されていなかった。福島に任された最初の大役は、制度の徹底運用だった。これは古参幹部の大リストラの断行を意味する。

 年上に退職を迫るのは気が引けるものだが、福島は意を決して着手した。そうしなれば、債務超過の会社が倒れることは確実だったからだ。古参幹部と1人ずつ応接室で向き合い、会社が厳しい状況を包み隠さず伝えながら、一定の退職金を支払う代わりに「制度の決まり事だから守ってほしい」と諄々と説得した。

クラブハウスの奥にある応接室。ここで福島は多くの古参幹部にリストラを言い渡した

 もちろん、60歳超でも残ってもらいたい人には個人面談でその旨を告げた。役員としての仕事を十分していて、「辞められてしまうと顧客や取引先に与える影響が大きく、経営再建に支障を来す恐れがある」と福島らと銀行団が認めた幹部は、残すことにした。