事業を承継した後、古参幹部の処遇に悩む中小企業の2代目が増えている。この問題の解決に示唆を与える会社がある。ゴルフ場運営の鹿沼カントリー倶楽部だ。かつてグループ500人の社員に対し、56人の役員がいて債務超過だった。

 前編では、経営危機の中、古参幹部の大リストラを行った福島範治社長の決断を紹介したが、後編では、元役員との退職金支払いを巡る訴訟問題、グループ3社の民事再生法の適用申請といった苦悩の数々と、これらの問題を解決して得た教訓「古参幹部との接し方5つの鉄則」を紹介する。

(敬称略)

(前編はこちら

 こうして1年弱の月日を費やしてリストラを進めた上で、満を持して福島範治は1999年に副社長に就任。併せて「5常務制」という新体制を敷いた。5常務制とは、社長である福島の父と副社長の福島を除いて、役員構成を5人の常務だけにするという仕組みだ。

親族と結託し会社を売りに出そうとした役員

 それまでは勤続年数が長いというだけで担当分野が曖昧なまま役員に就いていた人がほとんどだった。これを改め、一人ひとり営業や経理といった担当分野を決め、責任の所在を明確にした。すると、プレッシャーに嫌気が差したのか、常務が次々と依願退社した。 

福島の執務机の後ろにあるキャビネットの上には、社員からもらった誕生日メッセージカードなどが飾られている(写真:菊池一郎、以下同)
福島の執務机の後ろにあるキャビネットの上には、社員からもらった誕生日メッセージカードなどが飾られている(写真:菊池一郎、以下同)

 実はこれが福島と銀行団の狙いでもあった。役員に責任を与え、再建といういばらの道を共に歩む覚悟があるかどうかを改めて問うたのだ。

 そうした中、最後まで抵抗したAという役員がいた。Aは福島の父に長く仕えた古参幹部。当初は福島や銀行団と連携を取りながら、経営再建に尽力してくれたが、次第に考え方がすれ違うようになっていく。ついには鹿沼グループでかつて働いていた福島の親族らと結託し、会社を勝手に売りに出そうと画策までするようになった。事態を打開するには次の一手が必要だった。

会社の歩み
1964年 ゴルフ場「鹿沼カントリー倶楽部」が開業
1971年 福島の父、文雄が株を買い取って、鹿沼カン トリー倶楽部の経営を引き継ぐ
1998年 会社を支えるため福島が入社。古参幹部 約50人を大リストラ
1999年 福島が副社長に就任、社長と副社長以外の 役員構成を常務5人にする
2004年 グループ3社の民事再生法の適用を申請
2007年 再生計画が終了
2008年 福島が3代目トップに就任

 「総務担当を辞めて、ゴルフ会員権の管理に回ってほしい」

 2000年秋、東京本社の会議室で向き合って座ると、福島はAにこう切り出した。事実上、要職から外す配置転換で相手の反応をうかがった。

 福島の気迫が勝ったのか、Aは要求をのんだ。しばらく会社に来たものの、結局退職。しかし、話はそこで終わらなかった。今度は退職金の支払いを巡って訴訟沙汰になる。Aは退職金の満額支払いを要求した。

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