スマートフォンやタブレットで商品のバーコードをスキャンすると、その商品の詳細情報を取得できるサービスを立ち上げたPayke(沖縄県・那覇市)。2016年2月23日に開催された、第1回九州・山口ベンチャーアワーズで大賞を勝ち取った。
古田奎輔社長は19歳の時に東京都から沖縄県に移り住み、起業を果たした。立ち上げたばかりの新サービスを世の中に広めるために突き進んでいる古田社長だが、10代は生きる意味を見出せず、苦悩していたという。苦悩から抜け出したきっかけは何だったのか、なぜ起業に至ったのか、「日経トップリーダー」編集部が聞いた。
店頭に並ぶさまざまな商品は、見た目だけではそれがどんな商品なのか判断が付きにくいものも多い。海外の商品ならなおさらだ。古田社長は主に日本を訪れる海外旅行客向けに、それぞれの母国語で商品情報をバーコードで読み取るサービス「Payke(ペイク)」を立ち上げた。

古田社長がこのサービスを考えたきっかけは、沖縄県に移り貿易会社で働いていたときに、商品の具体的な内容を外国人の顧客に説明するのが難しいと感じたからだ。
「例えば、沖縄の有名なお菓子、ちんすこうは1600年代の琉球王朝時代からある、貴族たちに愛されたお菓子です。高級品で、琉球王国から中国の清への手土産として使われていたそうです。このような説明を中国の方にすれば、食べてみたくなるだろう、と考えました。
そこで、バーコードを読み取るとインターネット上からその商品の情報を集めてきて、商品のストーリーや魅力が伝わる仕組みを構築しました」(古田社長)

2015年10月にスタートした「Payke」のサービスを使って、現在7000品目ほどが読み込まれており、月に2000品目ほど提供数を増やし続けているという。起業家として自らの使命を見つけ、事業の発展に向けて突き進む古田社長だが、「沖縄に行くまでの10年間くらいは、ずっとモラトリアムの期間を過ごしていた」という。
高校を1年で中退、生きることがつらかった
東京都東村山市出身の古田社長は、公務員の父と大学の先生だった母のもとで育てられた。母は古田社長が小学校5年生の時に急逝。以降は、父が男手ひとつで育ててくれたという。
「家には母が集めていた、尾崎豊さんのCDがたくさん置いてありました。もちろん尾崎さんは当時すでに亡くなっていて、同世代で知っている人もいなかったのですが、小学生の頃にそのCDを聞き、どんどんのめり込んでいきました」(古田社長)
尾崎豊の歌の歌詞に共感し、生きづらさを感じながらも、仲間たちと楽しく過ごした中学校時代。「まじめな生徒とは言えなかったけれど、勉強自体は嫌いではなく、当時から学ぶことは好きでした。それで、受験して私立の高校に入学したんです」と話す。
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