メーンバンクから融資の一括返済を求められ、木村は泣く泣く全部の事業を整理し、返済に充てた。
それでも、木村はくじけなかった。手元に残った200万円で97年、築地に海鮮丼の店「喜よ(きよ)寿司」を開く。45歳の再出発だった。
持ち前の発想力とガッツで、再び事業を軌道に乗せた木村に、築地場外で店を開くチャンスが訪れる。現在の本店の土地を持つ地主から声をかけられたのだ。
当時はデフレが進行し、寿司といえば回転寿司。築地はお客を奪われ、かつての活気を失っていた。業務筋の買い出しが終わる昼前には閑散としてしまう。そこで木村が考えたのが、話題性十分の現在のスタイルだった。
それから15年、はた目からは急成長に思えるが、木村本人としてはスローペースで店を増やしてきたという。旧知の間柄である星文雄(三井住友銀行顧問)は木村をこう評する。
「豪放磊落(ごうほうらいらく)な部分もあるが、本当は実に緻密。むやみに事業を拡大しようとは考えていない。特に出店にはとても慎重だ。ただ、やるとなったら一気呵成(かせい)に進む。自衛隊仕込みなのか、その機動力はすごい」
職人を自前で育成

店数を増やすには、職人も必要だ。木村は優秀な人材を確保するため、寿司職人を2年間かけて育成する「喜代村塾」を2006年に開講。3カ月間、座学や実習で技術を身に付け、残り1年9カ月は店に入って実地で経験を積ませる。年間約50人の喜代村塾出身者が社員としてすしざんまいに加わるという。人手不足の今、この塾の存在価値は大きい。
「生徒1人につき、天然物をまるまる1匹与えて、さばかせる。相当な材料費だ。大抵の調理学校は数人のグループで1匹なのに」。有名調理師学校で指導した経験がある講師は、喜代村塾の教育の濃さを明かす。
「入塾2日目から包丁を握り、魚に触らせてもらった。すしざんまいの中でもとりわけ忙しい本店での実地研修はいい勉強になった」。喜代村塾出身で入社8年目の35歳、現在は新橋SL広場前店(東京・港)で副店長を務める林康太郎は、自身の修業時代をこう振り返る。
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