いまや国内の日本酒好きで知らない人はまずいないであろう大ヒット商品「獺祭」。その生みの親である旭酒造の桜井博志会長の人物像に迫る2回目。今回は、地方発、未上場といった一見、逆境に思える状況こそが「良い酒、おいしい酒」を造る原動力になるという真意を探る。前回の記事は
こちら。(文中敬称略)
さくらい・ひろし
1950年山口県周東町(現岩国市)生まれ。73年松山商科大学(現松山大学)卒業。西宮酒造(現日本盛)を経て、76年旭酒造に入社するも父と対立して退社。84年再度入社し社長に就任。90年頃から、「獺祭」のブランド名で純米大吟醸酒を販売。2000年から海外展開を始め、現在約20カ国で販売中。16年9月会長に就任(写真:森本勝義、以下同)
桜井には、「本社機能を地方に置かない企業に地方経済を救えるものか」という強い自負心がある。酒造りという事業についても、「酒蔵の経営者は地方の名士だから、潰れたら恥ずかしくて夜逃げするしかない」とはっきり口にする。
こうしたプライドから、桜井は、時に国の政策にも、物申してきた。「山田錦をはじめ、酒米用の稲を栽培している田んぼまで減反の対象にするのはおかしい」と主張したのだ。これが農林水産省を動かし、2014年から酒米は条件付きで減反の対象外となった。
地方だから採用に苦労しなかった
「自分は気弱なほうだが、たとえ格好が悪くてもリングには上がる」と話す桜井。こうした姿勢に男気を感じ、ファンになる人は多い。
現在、年間約100億円を売り上げ、パートタイマーを含めて200人を超える社員を雇用している旭酒造は、人口14万人弱の岩国市では、地域経済の重要な担い手だ。リーマン・ショック以降、多くの地方が厳しい状況に置かれている中ではなおさらのことである。
だがこの逆境も、桜井は「近年は、高卒十数人、大卒数人の新卒者を確保できている。地方で人が余っていて、採用に苦労しなかったのは大きかった」と、前向きにとらえている。
飲食業などのイベントプロデュースを手掛けるギリー(東京・文京)代表の渡辺幸裕は、10年近く前から桜井と親交がある。本社完成後に見学に行った際、製造現場で働く若い社員が、「蔵が新しくなって獺祭がますますおいしくなりました」と誇らしげに語ったという。「社員のモチベーションは高い。〝桜井イズム〟が浸透しているなと感じた」と渡辺は見る。
「良い酒、おいしい酒を造る」のが桜井イズム
桜井イズムとは、一言で言えば、「良い酒、おいしい酒」を造るということ。「子供の頃、日本酒業界は活気にあふれていて、自分の家の酒蔵では職人たちがいきいきと働いていた。それを見てから、ずっと酒蔵に愛着を持ち続けてきた」(桜井)からこそ、この考え方から大きくブレないのだ。
そのため、現在の技術水準では機械化しにくい洗米などの作業は、まだ人手に頼っている。標準化を重視しつつも、それが多少でも品質に影響する場合には、品質を優先しているわけだ。
本社を山口県から都心部に移すことは微塵も考えていない
東京都心で飲食店をプロデュースしている丸の内ハウス事務局の玉田泉は、「工場見学に行ったとき、小さなタンクがズラリと並び、多くの社員が働いている光景に感動した。造る量が増えても、『品質重視』の初志を貫徹しているのだなと思った」と話す。
IPOに関心がないのも、やはりおいしい酒造りを重視しているからだ。桜井は、「他人の資本が入るとその意向にも耳を貸す必要が生じ、経営がブレる。酒蔵は長期的な視野で経営していかなければならず、短期的な利益の追求とは相容れない。バブル期には、大企業が酒蔵を買収するケースもあったが、やはりうまくいかなかった」と話し、中小企業ならではの妙味があるという。
偶然にも取材当日に開催された取締役会で、桜井は社長を退任し会長になった。新社長には、副社長を務めてきた息子、一宏が就任。「65歳を超えて体力的にもきつくなってきたし、この年齢で重要な経営判断を下すのには危惧もある。そろそろ社長交代のタイミングかなと思っていた」(桜井)のが理由だという。
自分が元気なうちに社長は息子に任せる
「事業承継は早いほうがいい」と考える桜井は、息子に社長を譲った
バトンタッチに、決して不安がないわけではない。「私も亡父も、それぞれ先代の社長とは決して仲が良くなかった。息子の場合は順調に来ているから、経営者に不可欠な“野生の勘”が身についているかどうか。だから、私が元気なうちに交代するのがいいと考えた」と桜井は話す。
旭酒造の成長に大きな役割を果たしてきた桜井の勘。それは新社長の時代になっても発揮されるだろう。桜井自身、「ほかに趣味もないし、死ぬまで会社の経営に関わる」と言ってはばからない。
事業拡大と日本文化の普及の両面から、旭酒造はさらなる海外展開を求められている。4代目とうまく役割分担ができれば、桜井はますますそちらに心血を注ぐだろう。
(おわり。文:井上俊明、この記事は「日経トップリーダー」2016年11月号の内容を基に再編集しました)
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