1805年創業、くず餅の製造、販売を手掛ける船橋屋。この老舗菓子店に全国の学生が殺到している。2015年、5人の新卒採用枠に、全国から1万6625人の学生がエントリーしたのだ。
なぜ船橋屋は超人気企業になったのか。SNSを積極的に活用するとともに、会社のイメージを大きく刷新したことが主な理由だ。具体的にどんなことをしたのか、詳しく見てみよう。
船橋屋の8代目、渡辺社長(中央)と入社4年目の社員。撮影中も会話が絶えず、社長と若手の距離感は近い(写真/小野さやか)
1805年に創業し、東京、千葉を中心に24店舗でくず餅の製造、販売を手掛ける船橋屋(東京・江東)。売上高17億円(2017年3月期)、従業員数200人の老舗和菓子メーカーの5人の新卒採用枠に、15年、全国から1万6625人の学生がエントリーした。
男性の新卒採用を始めた08年には250人だった応募者数が、なぜ飛躍的に伸びたのか。
超人気企業となった背景には、若手社員が毎日更新したブログの存在があった。
365日の更新
「船橋屋は古くて、若い社員がいない」──。かつて、学生が社員に語った船橋屋の企業イメージだ。あながち嘘ではなかった。
従来、くず餅職人や営業職の男性社員は中途で採用しており、販売職はパート社員が主だった。数人の女性社員を新卒採用していたものの、結婚などを理由に数年で退社することが多かったという。
旧都市銀行での勤務を経て船橋屋に入社し、08年に8代目に就任した渡辺雅司社長は危機意識を持っていた。「男性を含めた新卒採用に力を入れ、若い社員を育てなければ組織は活性化しないし、会社も続かない」。
そこで当時、通販事業と共に採用担当を兼務することになった入社4年目の佐藤恭子氏(現・執行役員企画本部本部長)は、お金をかけずに実施できる対策として09年、大手人材会社が運営する採用サイトでブログを開始した。新卒採用に熱心な会社であることを学生にアピールするためだ。
佐藤氏が最初に手掛けたのは「毎日更新すること」だった。ブログを更新するたびに「NEW」と表示される仕組みになっているため、学生の注目度が高まる。必死でネタを集め、商品情報や社員の紹介、地域や社内のイベントなどを掲載し、3年間土日も休まずに更新を続けた。
会社説明より休日情報
2017年は、3月1日から7月31日までの採用期間中、土日を含め毎日ブログを更新。(8月~11月は月・水・金の3回更新)。新入社員、若手男性社員、パート社員と曜日ごとに担当を決め、仕事内容から家族の紹介、休日の過ごし方まで「何でもあり」の自由な情報発信を続けた。アクセス数は1日平均141人
記事をアップする中で興味深いことが分かった。アクセス解析をすると、学生たちが注目していたのは、会社や商品の説明ではなかったのだ。若手社員の「入社の動機」「日々の仕事」「休日の過ごし方」などだった。
予想外の事実に着目した佐藤氏は、ブログの注目度を高めるため、学生を巻き込む仕掛けを投入した。5人の若手社員が顔写真付きで「仕事のやりがい」を500字で掲載し、5週間にわたり順位を競うコンテストの開催だ。
「仕事のやりがいエピソードコンテスト」と題し、学生には“いいね!”と思った記事にはブログ最後のボタンを押してほしいと呼びかけた。
そうして得票の集計結果を発表し、優勝した社員を表彰。その様子をブログに掲載した。
「投票数が増えるにつれて社員に共感した内容のコメントがたくさん付いた。理想の働き方を考えるきっかけにしてくれたようだ」と佐藤氏は語る。効果を実感し、コンテストは2年連続で実施した。
11年には若手社員の有志を募り、3人の社員が毎日のブログ更新に携わった。すると、佐藤氏が一人で担当していたときよりもアクセス数が上がった。複数の社員がテーマを決めずに書いた等身大のブログは、社員の個性や社内の雰囲気が伝わりやすく、アクセス数が伸びることが分かった。
ブログ効果で、採用応募者数は11年に4749人、15年には1万6625人と急増した。この中から男性社員を含め、毎年4~7人が入社した。
サイトのイメージを一新
15年に応募者数が跳ねた理由はいくつかあると佐藤氏は説明する。その一つはフェイスブックだ。
船橋屋では12年から自社のフェイスブックを活用し、若い顧客層の取り込みを進めてきた。店舗や商品、イベントの情報をこまめにアップし、15年には和菓子メーカーとしてはトップクラスの「2万いいね!」を獲得。
併せて、採用ページの内容も一新した。トップ画面に掲載していたくず餅職人の写真を、男性の若手・中堅社員へと変え、若手が活躍できる企業であることをアピール(下写真)。
採用サイトの写真と事業内容の記述を変更。「ベテラン職人が働く、くず餅の製造・販売業」から「若手社員が活躍する伝統継承・伝統創造業」へとイメージを一新した。左が2008年採用、右が2015年採用
また、事業内容の説明文は「くず餅の製造・販売」から「伝統継承事業・伝統創造事業」に変更し、会社の存在価値と仕事のやりがいを伝える文言に変えた。
等身大の楽しさ伝える
入社1年目の黒宮綾子さんに、船橋屋に入社を希望した理由を尋ねると、こう答えが返ってきた。
「愛知県出身なので、実は一度も船橋屋のくず餅を口にしたことはなかった。しかし食品メーカー数十社のブログを読み比べるうち、入社後の自分の姿が明確にイメージできたのが船橋屋だった」
さらに付け加える。「会社から追われると逃げたくなる。多くの会社がアピール記事を掲載するなか、船橋屋は違った。社員の等身大の姿を紹介したり、就活生へのアドバイスを掲載したりと学生目線の内容に心を打たれた」。
会社の知名度が採用に必須なのではない。学生の立場になって就職活動中の不安をなくし、楽しさを伝えられたこと、しかもブログやフェイスブックを利用して全国に広く伝えたことで、船橋屋は超人気企業となった。
「売るより作れ」を今に
実は渡辺社長には、苦い経験がある。1993年に船橋屋に入社した頃、職人たちが昼間から酒盛りし、仕事中に場外馬券売り場に出かける様子に怒りを抑えられなかった。社員に恨まれながらも次々に辞めさせ、残った社員からも反感を買った。
しかし、今は圧力をかけて人を変える時代ではない。先代から伝わる家訓に「売るより作れ」がある。売り上げを増やすよりも、顧客のためにいい製品作りをしようという意味だ。
「今の時代、『作れ』は「人づくり」を指すのだろう。人づくりの先にこそ、いいくず餅作りがある」(渡辺社長)
ブログは社員任せ
ブログを開始してから渡辺社長は一切、内容に関する指示や事前チェックをしたことはない。社員自身が楽しみながら、自己成長ができる環境だからこそ生まれる言葉があると思っている。
学生との初対面となる会社説明会で渡辺社長が語るのは、会社の話ではなく「内定を取るための3つのポイント」だ。
「話を聞いたら即行動することが大事」など、銀行員時代、人事部でリクルーターを経験し、何千人の学生に会った経験から導き出したものだという。
社会に出ようとしている学生たちが、自分に最も相応しい会社を選んで入社し、仕事はいいものだと感じてほしい。そんな社長の姿が、社員の書くブログへ、そして学生たちへと伝わっている。
(この記事は、「日経トップリーダー」2018年1月号に掲載した記事を再編集したものです)
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