ホンダの新型軽バン「N-VAN」。フロントにエンジンを積んだレイアウトと、助手席側のセンターピラーをなくした構造が特徴。グレードは最もベーシックな「G」
いきなり私事で恐縮なのだが、筆者がこれまでに運転した中で最も楽しかったクルマの一つに、大学生のころアルバイト先で乗っていたスバル(当時は富士重工業)の軽バン「サンバーバン」がある。乗っていたのは、当時でも珍しくなりつつあった排気量0.36Lの2サイクルエンジンを搭載したモデルで、もちろん手動変速機(MT)だ。2サイクルエンジンは悲しいくらい低速トルクがなく、とにかく1速でめいっぱい引っ張ってから2速にシフトアップし、まためいっぱい引っ張って、というのを信号待ちのたびに繰り返す。ないパワーを振り絞って走るのは楽しかった。
いま最もホンダらしい
その軽バン市場に登場した風雲児が、ホンダが7月に発売した新型軽バン「N-VAN」だ。従来のホンダの軽バン「アクティバン」の、事実上の後継モデルになる。実は筆者は当初、このN-VANをホンダの大ヒットモデルでこのコラムの第94回でも取り上げた「N-BOX」の商用車版だと思っていた。というのも、N-VANの発売に先立ち、ダイハツ工業が背高ワゴンの「ウェイク」の商用車版「ハイゼットキャディー」を発売していたからだ。ホンダには失礼なのだけれど、ダイハツの企画の二番煎じかと思っていた。
ところが、発表会場で開発者の方に詳しく話を聞き、筆者の認識がまったくの誤りだったことが分かった。確かにN-BOXベースではあるのだが、別物といっていいくらいに大幅に変更されていたからだ。それどころか、N-VANはいまのホンダのラインアップの中で、最もホンダらしいクルマなんじゃないか、と思うくらい感心してしまった。
じゃあホンダらしさって何だ、ということになるのだが、それは「技術的な新しさ」というのももちろんあるのだけれど、筆者がよりホンダらしいと感じるのは「発想の新しさ」である。最初は常識とは違うように見えて「これで大丈夫なのか?」と思ってしまうのだが、よくよく説明を聞いてみると「ふむふむ」と納得し、最後は「大したものだ」と感心してしまう。
その例には枚挙に暇がないのだが、古くは「ホンダ1300」の強制空冷エンジンだったり、日本車にFF(フロントエンジン・フロントドライブ)2ボックス小型車の原型を持ち込んだ初代「シビック」だったり、その思想をより洗練された形で上級車にも持ち込んだ初代「アコード」、低い車高の中に広い室内というパッケージングを実現した3代目シビックの3ドア車、普通はエンジンと変速機の間に置くクラッチを変速機と駆動輪の間に置いてしまったホンダ独自の無段変速機(CVT)「ホンダマルチマチック」、フロアトンネルの部分に燃料電池を配置して低い車高を実現した燃料電池車(FCV)「FCXクラリティ」…。数えていくときりがない。
では、N-VANはその系譜にどんな新しさを加えたのか。最大の特徴は、エンジンは床下に置く、という軽バンの車両レイアウトの常識を破り、FFレイアウトを採用したことだ。そしてもう一つは、耐久性や信頼性が重視されるために商用車では嫌われるセンターピラーレスの車体構造を助手席側に採用したことである。
駆動輪に荷重をかける
FFレイアウトやセンターピラーレスの設計は、N-VANが初めてというわけではもちろんなく、その意味でのオリジナリティはない。しかし、これらを商用車に採用するというのはこれまでの軽バンの設計では考えられなかった。
これまでの軽バンではほとんどの場合、運転席の下や荷室の下にエンジンを配置して後輪を駆動するレイアウトを採用していた。ダイハツやスズキは運転席の下、ホンダの従来のアクティバンが荷室の下(後輪の前)、そしてかつてのスバルサンバーは同じ荷室の下でも後輪よりも後ろ、という具合である。こういうレイアウトを採用していたのは、商用車の場合「トラクション性能」が重視されるからだ。
トラクションとは、駆動輪と路面の間で生じる摩擦力を指す。これが小さいと、いくら駆動輪に駆動力をかけても、路面でタイヤがスリップしてしまい、クルマが前に進まない。後輪を駆動するレイアウトの場合、積む荷物が重くなるほど、後輪にかかる荷重が大きくなり、タイヤと路面の間の摩擦力が増して駆動力が有効に路面に伝わる。これが、FFになってしまうと、駆動力は前輪に伝わるので、荷物が増えた場合のトラクションが十分か、ということが不安視されてしまうわけだ。
そして、エンジンを床下にレイアウトするもう一つの利点は、荷室の長さを確保しやすいことである。エンジンが車体の前部にないので、運転席を車体の前端に配置でき、荷室を長くできる。軽バンの荷室に要求される代表的な指標として「コンパネ」をどのくらい積めるか、というのがあるという。このコンパネというのは建築現場でコンクリートを打設する際の型枠に使う合板パネルのことで、サイズは概ね長さ1800×幅900mm程度だ。これを積める長さの荷室を確保するには、荷室の下にエンジンを搭載するレイアウトを採用するしかなかった。例えば代表的な軽バンであるダイハツ工業の「ハイゼットカーゴ」の荷室寸法は長さ1860×幅1315(2人乗車時)×1115(標準ルーフ)mmで、コンパネを搭載できるスペースを確保している。
人と荷物を両方重視
一方、センターピラーレスはなぜこれまで商用車に採用されなかったのか。商用車の車体には乗用車以上の耐久性や信頼性が要求され、しかも乗用車よりも大きな荷重に耐えなければならない。センターピラーのない車体構造はそのぶん車体の強度が落ちるため、耐久性や信頼性の面で不利だ。逆に、これを補強しようとすれば、そのぶん重量がかさみ、燃費の悪化やコストの上昇につながる。
ダイハツ工業の背高ワゴン「タント」のように、乗用車系の車種で助手席側の乗降性を向上させるためにセンターピラーレスの構造を採用した軽自動車はあるが、商用車でセンターピラーレスというのは採用例がない。この「FFレイアウト」と「センターピラーレス」という、軽バンではいわば「常識破り」の構造を、N-VANではなぜ採用したのだろうか。
「従来モデルのアクティバンが登場した19年前、軽バンで重視されるのはどれだけ荷物を運べるか、という性能であり、運転する人間のことは二の次だった」と語るのは会場で取材した担当デザイナーだ。ところが今回N-VANの開発のために、改めて軽バンが使われる現場でヒアリングして明らかになったのは、軽バンの使われ方が19年前とは様変わりしていることだった。ネイルサロンやペットをトリムするサロンとして使ったり、弁当販売や過疎地の移動スーパーといった移動店舗に活用したり、宅配業者が利用するなど、使われ方が大幅に多様化していたのだ。併せて、運転する人には女性や高齢者も増えていた。
従来の軽バンで一般的だった荷室や運転席の下にエンジンをレイアウトする構造では、運転席は車体の前端に押しやられるため、足元にはタイヤハウスが大きく張り出し、運転姿勢は不自然になる。フロアが高いので、運転席の位置は高くなり、乗り降りもしにくい。このため、特に女性ユーザーからは使いにくい、運転しにくいという声が寄せられていた。そこでN-VANでは従来の軽バンが荷物偏重だったのを改め、荷物と人間を同じくらい重視することを設計思想として掲げた。そこで出てきたのが、FFレイアウトの採用によって自然な運転姿勢・運転感覚を実現することだった。
一方でFFレイアウトを採用すると、運転席の位置は後ろに下がるので、荷室の長さは短くなる。実際、N-VANの荷室の長さは1585mmと、従来のアクティバンに比べて355mmも短い。しかしFFレイアウトには利点もある。それは、荷室の下にエンジンがないので床面を下げられることだ。床面が低いぶん、N-VANの荷室高さ(ハイルーフ仕様)は1365mmと、アクティバンよりも165mmほど大きくできた。このため荷物の積載量で比較すると、2人乗車時でダンボール箱(380×310×280mm)をN-VANは71個積めるのに対し、アクティバンは58個、同様にビールケース(447×364×315mm)は40個に対し36個と、いずれもN-VANのほうが多く積めるという。
N-VANはFFレイアウトを採用することで、低い床面を実現し、従来のアクティバンよりも高い積載性能を実現した(資料:ホンダ)
それでも、長いものが積みたいというニーズに対しては奥の手を用意している。それは折りたたむとフラットな荷室になる「ダイブダウン機構付き助手席」を採用したことだ。後部座席と助手席を折りたたむと、運転席以外のスペースがすべてフラットになり、最大の荷室長は2635mmに達する。これによりコンパネだけでなく、脚立やカーペット、ソファなど長尺の荷物の積み込みに対応できる。
後部座席だけでなく、助手席も折りたたんでフラットに収納することができ、運転席以外のスペースをすべて荷室として活用できる(写真:ホンダ)
センターピラーレスで荷物の出し入れしやすく
N-VANの2番めの常識破りであるセンターピラーレスの構造は、この助手席スペースにまで広がるフラットな荷室を最大限活用するために生まれた。長尺の荷物を後ろのテールゲートだけから出し入れするのは大変だし、車両の後方に長いものを引っ張り出すだけのスペースを確保できないこともある。車道の路肩にクルマを停め、そばを他のクルマが行き交う中で、クルマの後方から荷物を取り出すのは、危険を伴う作業でもある。
これに対し、車両の歩道側にも大きな開口部があれば、長尺ものの荷物も取り出しやすいし、車両の後方にスペースが必要ない。さらに歩道側で作業ができるので安全でもある。長尺ものでなくても、例えば宅配業者なら2人の作業者が二つの開口部から同時に荷物を取り出せるので、作業の効率が上がる。
荷物の出し入れだけがセンターピラーレス構造の利点ではない。大きな開口部を持つことを利用して、移動店舗に使うときには大きな開口部で品物を並べやすく、見せやすくできるし、ネイルサロンなどに使うときにも顧客が車内に乗り込みやすい。さらに、個人が趣味で使う場合には、バイクを積み込みやすいなどの利点もある。車中泊に使う場合にも出入りがしやすいだろう。つまり、助手席がフラットに折り畳める構造と組み合わせることで、初めてセンターピラーレスの構造に大きなメリットが生まれたわけだ。逆にいえば、助手席がフラットにならない乗用車系の車種では採用してもメリットは小さいという考え方だ。
広い開口部は、移動店舗(上)に活用するのにも、車中泊(下)での使い勝手を高めるのにも役に立つ
普通の感覚で運転できる
筆者が今回借り出したのは、最もベーシックなグレードである「G」の6速MT車だ。かつてのサンバーを運転して楽しかった記憶がついMT車を選ばせてしまった。走り出してまず気づいたのは、当たり前だがN-VANは4サイクルエンジンだから2サイクルエンジンのサンバーとは走らせ方が違うということだ。N-VANのエンジンは低速からトルクを発生するから、高回転まで引っ張ってもあまり意味がない。早め早めにシフトアップするのがスムーズに運転するコツだ。時速60km以上では6速が十分使えるから、極端にいえば時速が10km上がるごとにシフトアップするイメージである。
びっくりするのは、ベーシックなグレードであるにもかかわらず、オートエアコンが標準装備されることだ。また運転支援システムの「Honda SENSING」も標準装備されるから、自動ブレーキや車線逸脱警報などの機能を備えている。これらの機能は幸いにも作動することがなかったが、メータの中にカメラが読み取った速度制限の標識が表示されたり、停車時に先行車が発進したのを教えてくれたりしたのには驚いた。
もっともベーシックなグレードである「G」にもオートエアコンが装備される
少なくとも市街地で走っているぶんにはエンジンの出力は十分だ。静粛性は、さすがに乗用車のN-BOXにはかなわないが、ラジオを聞いたり、同乗者と会話を交わすのに十分な静粛性は確保されている。競合する他の軽バンに比べれば、騒音レベルにかなり抑えられている。筆者の好みからいえば、これくらいエンジン音があったほうがクルマを運転している実感があっていい。
最大積載量350kgという商用車だから、足回りは相当硬いのではないかと覚悟していたが、乗り心地は悪くない。道路のつなぎ目を乗り越えても、きちんと角を丸めて伝えてくるから不快感はない。片側のセンターピラーのない構造なのでボディ剛性も気になるポイントだったが、「強固」とはいえないまでも、十分な剛性は確保されている。道路の突起を乗り越えたときのドシンバタンというようなだらしない振動を伝えてくることはない。
ハンドリングは、こういうクルマの特性に合わせ、やや鈍感なセッティングになっている。ステアリングを回し始めてからの車両の反応もゆっくり目だ。重い荷物を積んでいるときに、クルマの急激な姿勢変化は危険だし、このクルマに乗ってカリカリとコーナリングを攻める人もいないだろうから、これはクルマのキャラクターに合ったセッティングだと思う。少なくとも、街中で運転している限り、クルマの挙動は自然で違和感がなく、運転しているうちに、自分が運転しているということがだんだん意識に上らなくなってくる。このくらい自然に運転できるクルマなら、長時間運転しても疲労は少ないだろう。
一方で、高速道路に乗り入れるとやや注文をつけたいところも出てくる。というのも、時速100kmのときには6速MTを駆使してもエンジン回転数は4000rpmに達し、騒音レベルがかなり高まるからだ。この状態でも同乗者との会話が不自由なほどではないが、最近のクルマの静粛性が高まっているのに比べると、うるさいと感じるユーザーは多いだろう。これは、重い荷物を搭載したときのためにギア比が低く設定されているためだ。
例えば同じ時速100km走行でも、兄弟車種のN-BOXなら3500rpm程度に抑えられるから静粛性ではかなり差がある。N-VANにはCVT(無段変速機)仕様も用意されており、そちらがたぶん販売の主力になるだろう。CVT仕様には今回は試乗していないのだが、変速比などを計算するとCVT仕様でも時速100kmで走行時のエンジン回転数は3900rpm程度になるので、エンジン騒音に関しては大差ないと思われる。もっともこれも乗用車と比較しての評価であり、競合する他の軽バンに比べれば、静粛性はずっと高い。
これがN-VANでもターボ仕様になると、時速100km走行時のエンジン回転数は3000rpm程度まで抑えられる。だから、N-VANの自然吸気エンジン仕様でも高速走行ができないというわけではないのだが、高速走行の機会が多い、長距離を移動する、というユーザーはターボ仕様を選んだほうがいいと思う。なにしろターボ仕様は自然吸気仕様より10万円しか高くないバーゲン価格が設定されているのだから。
トヨタ自動車は、2018年1月に開催された世界最大級の家電見本市「CES 2018」で、モビリティ・サービス専用の自動運転EVのコンセプト車「e-Palette Concept」を発表しました。2020年に実証実験を開始することを目指しています。日産自動車も2018年3月に自動運転EVを使ったモビリティ・サービス「Easy Ride」の実証実験を横浜・みなとみらい地区で実施しました。トヨタや日産だけではありません。いま世界の完成車メーカーはこぞって「サービス化」に突き進んでいます。それはなぜなのでしょうか。
「EVと自動運転 クルマをどう変えるか」(岩波新書)は、当コラムの著者である技術ジャーナリストの鶴原吉郎氏が、自動車産業で「いま起こっている変化」だけでなく、流通産業や電機産業で「既に起こった変化」も踏まえて、自動車産業の将来を読み解きます。自動車産業の変化の本質はEVと自動運転が起こす「価値の革新」です。その全貌を、ぜひ書店でご確認ください。
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