筆者が子供のころの記憶だからうろ覚えなのだが、当時、ドイツ人の自動車エンジニアは「いいクルマは鉄とガラスとゴムで造るものだ」という哲学を持っていると聞いたことがある。つまり、シリコン(電子制御)なんかをクルマに取り入れるのは邪道だというニュアンスが、この哲学には含まれているわけで、当時電子制御を取り入れ始めていた日本車を揶揄するような意味合いもあっただろう。
やや専門的になるのだが、日産自動車が1970年代中盤に、排ガス規制対策のためガソリンエンジンに独ボッシュの「Lジェトロニク」という電子制御燃料噴射装置の搭載を始めた当時も、当時の独メルセデス・ベンツ(現在のダイムラー)はディーゼルエンジンの燃料噴射装置として純機械式の「Kジェトロニク」という方式を採用していた。当時小学生だった筆者も、電子制御というものを信用していなかった当時のドイツ人エンジニア気質をうっすらと感じていた。
だから、最近のドイツ車の電子制御への傾倒ぶりは、まさに隔世の感がある。それでもごく最近まで、電子制御技術は日本の完成車メーカーや部品メーカーのお家芸で、自動ブレーキの実用化でも日本メーカーが世界初だったのだが、足元を見ると、ドイツ車のほうが新技術の取り込みにはアグレッシブと言わざるをえない。
その象徴が、独アウディが7月11日に発表(発売は今秋)した最高級車の新型「A8」だ。そのつい1週間ほど前の7月3日には、トヨタ自動車が2017年末に発売する予定の最高級車の新型「レクサスLS」を日本で公開したばかりだが、トヨタの最新技術をてんこ盛りにしたLSと比べても、A8の新技術の取り込みようは際立っている。
初めて「レベル3」の自動運転を実用化
その新型アウディA8の目玉機能が「レベル3」の自動運転機能を世界で初めて搭載することだ。自動運転のレベルというのはすでにこの連載の第66回でも説明しているのだが、改めて紹介しておこう。一昔前はレベル0からレベル4までの5段階に分けた米運輸省道路交通安全局(NHTSA)の定義がポピュラーだったのだが、現在では、これに1段階を加えてレベル5までの6段階とした、SAE(自動車技術会)インターナショナルという団体の定義を使うことが多くなっている。
この定義によれば、それぞれのレベルの定義は以下のようになる。
- レベル0(自動化なし)
- レベル1(部分的な自動化):自動ブレーキ、車線維持支援機能など、単独の運転支援機能を搭載。
- レベル2(複合機能の搭載):AEB、ACC、LKS、ハンドル操作の自動化など、複数の機能を組み合わせて、例えば高速道路で同じ車線を走り続けるなど、限定した条件の自動運転を実現する段階。人間は常にシステムの動作状況を監視する必要がある。
- レベル3(条件付き自動化):人間の監視・運転操作は不要だが、システムが機能限界に達した場合には、人間に運転を移譲する段階。
- レベル4(高度な自動化):「いくつかの運転モード」で人間の監視・操作が不要で、安全の最終的な確認も機械に任せている段階。
- レベル5(完全な自動化):「すべての走行モード」で人間の監視・操作が不要で、安全の最終的な確認も機械に任せている段階。
自動運転のレベル。従来はレベル0~4に分けたNHTSA(米運輸省道路交通安全局)の定義が主流だったが、最近はSAE(自動車技術会)インターナショナルの定めたレベル0~5の分類を使うことが多くなっている(
出典:国土交通省)
これまで実用化されてきた自動運転機能は、前回のこのコラムで紹介した日産自動車の「セレナ」や独ダイムラー「Eクラス クーペ」に搭載されていたシステムのように、人間が常にシステムの動作状況や、外界を監視する必要がある「レベル2」だった。これに対して、アウディA8の搭載している「レベル3」のシステムは人間の監視が不要なのが大きな違いだ。
なお、今回のレベル3の自動運転機能は、発売時点では利用できる状態で出荷されるものの、ドイツの規格審査当局の承認を待っている状況で、この承認が下りなければ利用できない。実際にレベル3の自動運転機能をユーザーが利用できるようになるのは2018年になるという観測もある。
使える条件は限定的
レベル2でもレベル3でも、運転操作がほとんど不要という点では大きな違いはない。違いは監視が必要かどうかということだけだ。しかし、これは大きな違いである。監視が不要ということであれば、人間のドライバーは他のことをしていていいということになるからだ。将来の、無人運転につながる技術として、重要な一歩だ。
ただし、今回アウディが実用化したレベル3の自動運転技術は、まだ非常に限定的なものだ。主に想定されているのは渋滞中の高速道路における自動運転である。速度は60km/h以下で、単一車線に限られている。しかも、ドライバーに監視の義務はないものの、「車両が要求した場合には、運転操縦を遅滞なく引き受けること」が求められている。このため、車載ディスプレイでテレビを見たり、メールをチェックしたりすることは可能だが、スマートフォンを見たり、コーヒーを飲んだり、新聞を読んだりといった作業は禁止されている。
以前から、自動運転のレベル3については、その是非が議論されてきた。通常は人間がシステムや外部環境を監視する義務がないのに、車両が対応できないような状況になって、人間に運転を代わってくれるように要求した場合、人間が速やかに運転を引き受けなくてはならないという状況は、非現実的ではないか、というのである。実際、人間が運転をクルマに任せ、本を読んだり、コーヒーを飲んだりしてくつろいでいるときに、いきなりクルマに運転を代わってくれと言われたら、それに即座に対応するのは難しいだろう。
今回の速度は60km/h以下、ドライバーがしてもいい運転以外の作業は車載ディスプレイの画面でできること、という制限は、いずれもクルマから人間へのスムーズな運転の移譲を想定したものだ。アウディはクルマから人間への運転の移譲に要する時間を10秒程度と想定している。10秒というと短いように思えるが、60km/hで走行している場合、クルマが166mの距離を走る時間だ。現在の自動運転システムは監視している危険は200~250m先程度までなので、これ以上速度が上がると、人間への運転の移譲が間に合わない恐れがある。
実際には、ドイツの高速道路であるアウトバーンで速度60km/h以下で走っているということは、渋滞走行していることを意味しており、これよりも大幅に低い速度で走っているケースが大半だろ想定しているのだろう。また、人間が車載ディスプレイを見ていれば、危険が迫っていることを、クルマが人間に確実に伝えることができる。高速道路の渋滞走行中であれば、基本的には追突しないかどうかだけを配慮していればよく、人間が監視していなくても危険度は低いとアウディは判断したのだろう。
高性能LiDARを搭載
すでにこのコラムの第85回でお伝えしたように、ホンダも2020年に実用化する車両で、渋滞時のレベル3の自動運転技術の実用化を目指している。これに比べるとアウディの実用化時期は2年ほど早い。また高速道路の単一車線におけるステアリング、アクセル、ブレーキの操作を自動化したレベル2の自動運転技術は、すでに国内メーカーでは日産自動車が実用化し、この7月に部分改良したスバルの「レヴォーグ」が改良版「アイサイト」でも実現しているが、トヨタ自動車は、2017年秋に発売を予定するレクサスLSで同様の機能を同社としては初めて実用化する予定だ。
海外の高級車メーカーでは、アウディ、ダイムラー、BMWのドイツ御三家は同様の機能をすでに搭載済みで、トヨタの姿勢は慎重に見える。さらにトヨタはレベル3機能の搭載時期について明示しておらず、レクサスLSはほぼ同時期に発売されるA8に安全装備では差をつけられている格好だ。
今回アウディが実用化するレベル3の自動運転技術は非常に限定されたものであり、実用的に意味があるのかという声もあるが、筆者は一定の価値はあると思う。というのも、現在の自動運転機能では、渋滞時の操作で煩わしさを感じるからだ。現在の自動運転機能では通常、停止してから発進するのに、3秒程度までの停止なら自動的に再発進してくれるが、それ以上の停止時間になると、アクセルを軽く踏むか、スイッチを押すなどの操作が必要になる。これが度重なると、けっこう面倒に感じるようになる。今回アウディが実用化する技術では、この渋滞再発進の操作が自動化されるので、高速道路上でのドライバーの操作がほとんどなくなり、運転の負担は軽減されるだろう。
一方、技術的な観点から今回のレベル3の自動運転技術で注目できるのは、高性能LiDAR(レーザーレーダー)を搭載したことだ。LiDARについてはこのコラムでも第75回で紹介しているが、電波を使って周囲の物体の位置や物体との距離を検知するミリ波レーダーと異なり、レーザー光を物体に照射し、その反射光から物体の位置や物体との距離を計測するセンサーだ。
新型A8が積んでいるセンサー群。LiDARはフロントバンパー部分に内蔵されている(写真:アウディ)
レーザー光は電波よりも指向性が高く、ビームを細く絞り込むことができるので、ミリ波レーダーよりも格段に物体の位置を精度よく検知することができる。反面、物体の検知に光を使うので、電波を使うミリ波レーダーに比べて雨や雪など悪天候の影響を受けやすいという難点がある。従来の自動運転技術では、カメラだけ、あるいはミリ波レーダーとカメラを組み合わせる手法が多かったが、これにLiDARを組み合わせることで、より信頼性の高いシステムを構築できる。
アウディが今回搭載したLiDARは、仏ヴァレオ製の「SCALA」というタイプだ。これは、内部に回転する鏡を搭載しており、レーザー光をこの鏡で反射することで水平方向に3.2度、垂直方向に145度スキャンする。LiDARから発射された光は、物体に当たって反射し、その光をLiDARに内蔵した受光素子で検知し、光を発射してから戻ってくるまでの時間と、光が反射してきた方向から、物体との距離と物体の方向を検知するという原理だ。
LiDARの構造。左上のレーザー素子から右方向に出た光を回転する鏡に反射させて前方に発射し、戻ってきた光を鏡に反射させて受光素子(左下)で検知する(写真:アウディ)
LiDARはより小型化・低コスト化することが求められており、この「回転する鏡」というメカ部分がその妨げになっている。このため、この鏡を半導体プロセスで製造する微小な鏡に置き換えたり、まったく鏡なしでレーザー光をスキャンする方式や、検知領域全体にレーザー光を一度に照射する方法などが検討されているが、まだ実用化には時間がかかる。
ヴァレオのLiDARは機構的な新味はないのだが、こうした高性能なLiDARは今後、レベル4やレベル5といったより高度な自動運転や、高速道路だけでなく、一般道路での自動運転には不可欠とされており、量産車に搭載して市場で実際に使われ、その信頼性や耐久性が評価される意味は大きい。アウディは他社に先駆けてLiDARの使いこなしのノウハウを蓄積することになる。
すべての車種がハイブリッドに
新型アウディA8では、このレベル3の自動運転がクローズアップされているのだが、隠れた注目点はパワートレーンだ。新型A8は、排気量3.0Lおよび4.0Lのガソリンおよびディーゼルエンジンを搭載しているのだが(将来的には12気筒の6.0Lのエンジンが追加される予定)、その4種類のエンジンすべてに「マイルドハイブリッドシステム」が組み合わされているのだ。トヨタ自動車の「プリウス」などが採用しているような本格的なハイブリッドシステムとは異なる、より小規模なハイブリッドシステムだが、すべてのエンジンに電動化システムを組み合わせたのは欧州のメーカーとしては異例だ。
新型A8のマイルドハイブリッドシステムで注目されるのは、電源に48Vシステムを採用したことである。読者の皆さんもご存知のように、クルマのバッテリーの電圧は12Vである。新型A8は、エンジンを始動する「スターター」と、エンジンの駆動力で発電する「オルタネーター」を一体化した装置〔ベルトで駆動するのでベルト・オルタネーター・スターター(BAS)とアウディは呼んでいる〕を搭載しているのだが、このBASはさらに、エンジンの駆動力を補助する役割も果たす。
オルタネーターの機能とスターターの機能を一体化し、駆動力補助の機能も持たせたBAS(ベルト・オルタネーター・スターター)(写真:アウディ)
同様に、スターター/オルタネーターを強化してハイブリッド的な機能を持たせたシステムとしては、日産自動車がセレナに搭載している「S-HYBRID」や、スズキがワゴンRなどに搭載しているマイルドハイブリッドなどがあるが、日産はそのために専用の12Vバッテリー、スズキは専用のリチウムイオン電池を組み合わせている。これに対してアウディの48Vシステムでは、通常の12Vの鉛電池に加えて、電圧を48Vに高めたリチウムイオン電池を搭載することで、通常の12Vバッテリーよりもスターター/オルタネーターの出力を高めたものだ。
欧州では現在、低コストの電動化手法として48Vシステムが注目されているのだが、その理由は、大容量の電池と大出力のモーターを組み合わせた本格的なハイブリッドシステムに比べて小規模なシステムであることに加え、メーカーの垣根を超えて共通の電源システムを採用することで、大幅な低コスト化が図れること。もちろんそのぶん、燃費向上効果も限定的なのだが、費用対効果に厳しい欧州のユーザーでも受け入れやすい電動化システムとして、今後欧州のメーカーは積極的に48Vシステムを取り入れようとしている。もちろん、簡易的なハイブリッドシステムだけでなく、新型A8にはプラグインハイブリッドシステムを搭載した車種も用意される。
レベル3の自動運転機能は、日本ではまだ道路交通法で認められていない。このため、新型A8が国内に輸入されても、当面はこの機能を利用できない状態が続く。冒頭で、これまで電子制御義技術の採用で先行してきた日本メーカーが、ここにきて欧州メーカーに、むしろリードを許していると書いたが、その背景には各国政府の姿勢も影響を与えているだろう。自動運転技術の開発は、企業レベルを超えた、国レベルの競争になりつつある。
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