提携発表で握手する日産自動車のカルロス・ゴーン社長(左)と、三菱自動車工業の益子修会長(写真:ロイター/アフロ)
カルロス・ゴーンという経営者の能力に、背筋が寒くなるほどの凄みを感じた。今回の三菱自動車との電撃提携についてだ。この発表があった5月12日の2~3日前でさえ、筆者の周囲では「三菱商事主導で再建が進むらしい」「いや、やはり三菱重工主導になったようだ」といった話が、まことしやかにささやかれていた。しかし、日産自動車が三菱を救済するという予想はまったく耳にすることがなかった。むしろ、沈みかかる船からいかに上手に逃げ出すか、というような観測がもっぱらだった。そこへ、今回の提携発表である。
筆者自身、日産が救済の手を差し伸べるとはまったく予想していなかった。あったとしても、軽自動車の部門だけを切り離して部分的に買収する程度だろうと思っていた。今となっては不明を恥じるばかりである。筆者が、日産が三菱を救済しないと考えていた最大の理由は、日産にとってのメリットが見えなかったことだ。
2004年に発覚した最初のリコール隠し以来、三菱自動車は後ろ向きの対策にばかり追われてきた。この結果、技術開発の沈滞は深刻だった。例えば、今回の不正の発端となった燃費技術で遅れているのは、軽自動車だけではない。他社からは、新開発のハイブリッドシステムや、ダウンサイジングエンジン、マツダの「SKYACTIV」のような新コンセプトの低燃費エンジンが相次いで投入される中で、三菱自動車はこうした新技術を盛り込んだエンジンを商品化できなかった。このため、排気量を2.0Lから1.8L~に縮小し、合わせて車体の基本構造を変えずにできるだけ軽くするなど、技術開発を伴わない対策にとどまっていた。
同様のことは安全技術についてもいえる。自動ブレーキを始めとする先進安全装備の搭載で遅れがちだったうえ、現在話題になっている自動運転技術についても、目立った動きは見られない。さらに、強みとされる4輪駆動技術や電動化技術も、最近では必ずしも他社に対して優位とは言えなくなってきている。
例えば電動化技術1つをとってみても、三菱の最新のプラグインハイブリッド車「アウトランダーPHEV」のパワートレーンの構成は、ホンダの「アコードハイブリッド」や「オデッセイハイブリッド」と非常に似通っているのだが、ホンダはモーターの効率を向上させたり、モーターを駆動する回路の小型化を進めたりといった改良を着実に進めているのに対して、三菱はこうした動きに追いつけていない。
このコラムの第33回でもアウトランダーPHEVを取り上げたのだが、その走りは基本設計の古さをあまり感じさせず、乗り心地と操縦安定性のバランスのとれた気持ちの良いものだった。だから、三菱自動車の技術陣のクルマづくりの基本的な能力は、決して他社に劣るものではないと思うのだが、このコラムの第52回でも指摘したように、研究開発費の不足はいかんともしがたいものがある。
一方で日産は電気自動車(EV)の「リーフ」を商品化しており、電動車両の技術でも業界では先頭グループに位置する。「三菱自動車に学ぶことはあるのだろうか?」というのが筆者の疑問だった。さらにいえば、少子高齢化が進む国内市場は、これから縮小していくのが確実である。三菱自動車を買収して、国内に余計な生産能力を抱え込むことはおろかな選択に思えた。
こう考えてくると、3度の不祥事でブランド価値の失墜した三菱自動車を救済することに、リスクこそあれ、メリットは見いだせなかったのだ。だから、たとえ三菱に救済の手が差し伸べられたとしても、それは三菱グループ内か、あるいは三菱の技術力に魅力を感じる新興国メーカーだろう、というのが筆者の見立てだった。しかし、カルロス・ゴーン氏の見立ては全く違っていた。
まずは販売を支援
ベストセラーとなった経営書「ストーリーとしての経営戦略」の著者である一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授の楠木建氏は、優れた戦略の条件の一つとして「一見して不合理に見える戦略を組み込むこと」を挙げている。同氏はこれを「キラーパスを組み込む」と表現する。誰が見ても合理的と思われる戦略は、すぐに競合他社に真似されてしまい、競争優位が失われてしまう。これに対して、一見不合理な打ち手は、容易には真似されない。そして他社がその意味に気づいたときには、すでに追いつけないくらい引き離されてしまう。
この有名な例の一つは、米アマゾン・ドット・コムである。ネット通販では、在庫を圧縮できることが経営の効率化につながる重要なメリットだと考えられていた時代に巨大な倉庫を建設し、経済アナリストなどから酷評されたが、その巨大倉庫によって他社が追随できない短納期を実現したことが、躍進の原動力の一つになった。
三菱を救済するという、一見不合理に見える戦略が、実は考え抜かれた鮮やかな打ち手であることが分かるにつれ、筆者は冒頭で触れたように、背筋が寒くなるような思いを味わった。まさに常人の及ばぬところに、ゴーン氏の着眼点はあった。筆者が見落としていたのは、三菱自動車の技術力とは無関係のシナジー効果が、目をこらせば、実は多く存在するということだ。
即効性のあるシナジー効果は、三菱自動車の販売網を活用できることだろう。筆者も調べてみて驚いたのだが、三菱自動車の国内販売台数は日産の57万3000台(2015年度)に対して10万2000台と約1/6に過ぎないにもかかわらず、販売店の数は日産の約2100店舗に対して、三菱は約700店舗と、日産の1/3もある。単純に考えて、三菱の販売店1店舗当たりの販売台数は日産の半分ということになる。
今後日産は三菱に対して、まずはOEM(相手先ブランドによる生産)供給する車種を増やすだろう。これは日産にとっては、販売店の数がいきなり1.3倍に増えることを意味する。同時にこのことは、三菱の販売店にとっても大きなメリットをもたらす。三菱の国内販売の約6割は軽自動車が占めているにもかかわらず、今回の不正で軽自動車の生産・販売はストップしたままで、販売再開のめどは立っていない。また、たとえ販売を再開したとしても、燃費偽装のいわくつきで、しかも燃費の数値自体も他社に劣る商品の売れ行きは、従来よりも鈍ると考えるのが自然だ。
しかし、軽自動車に代わる「売れるタマ」が今の三菱の販売店にはない。現在、日本の市場では軽自動車が約4割を占め、残りの6割も、ホンダ「フィット」に代表されるようなコンパクトカーや、日産の「セレナ」に代表されるようなミニバンが多くの比率を占めている。また、コンパクトカーやミニバンも含めてハイブリッド車の比率が急上昇している。しかしそのどれも、三菱の商品ラインアップにないのだ。
いや、正確にいえばコンパクトカーでは「ミラージュ」、ミニバンについては「デリカD:5」があるのだが、ミラージュは排気量が1.0Lで売れ筋の1.3~1.5Lより小さいうえ、もともと主に新興国市場向けを想定して開発されたため、国内市場では内装の質感などが見劣りすることから、販売は伸びていない。一方のデリカD:5も、すでに発売から9年が経過し、古さが否めないうえに、車体サイズが3ナンバーであることも、同じクラスのミニバンでは5ナンバーが主流の国内市場では不利だ。
従って、日産のコンパクトカー「ノート」や、今夏に全面改良が予定されているミニバンのセレナを三菱の販売店に供給すれば、即効性のあるカンフル剤になり得る。この他にも、OEM供給できる車種はあるだろうが、まずはこの2車種が候補になるはずだ。実際、軽自動車の商品力の回復には時間がかかるだろうから、こうしたカンフル剤がないと三菱の販売店が持たないだろう。ここがまずはゴーン社長の言う「ウイン・ウイン」の関係になる。
プラットフォーム共通化のメリットは大
こうした販売面での支援が短期的なシナジー効果だとすれば、中長期的に、より大きなシナジーを生み出すのが、ゴーン社長が記者会見でも触れていたプラットフォームの共通化だ。日産は現在、CMF(コモン・モジュール・ファミリー)と呼ぶモジュール構造を備えた新世代のプラットフォームへの切り替えを進めている。第一弾となるC/Dセグメント向けの「CMF C/D」が2013年から「エクストレイル」「ローグ(北米向け車種)」「キャシュカイ(欧州向け車種)」などのSUV(多目的スポーツ車)に採用され始めたほか、仏ルノーの車種でも採用が始まっている。
自動車専門の調査会社であるIHSオートモーティブの予測によれば、ルノー・日産グループの2020年の世界生産台数は、三菱との提携を前提としなくても約1000万台に達し、このうち250万台以上が、CMF C/Dを採用した車種になると見込まれている。
一方で、三菱の世界生産台数は約120万台(2014年)で、このうち最も販売台数の多い車種は小型SUVの「RVR」で20万台、2位がピックアップトラックの「トライトン」(国内未発売)で17万5000台、3位がアウトランダー(PHEV含む)の14万6000台、4位がミラージュの9万7000台、5位が「ギャランフォルティス」の9万6000台となっている。
実は、生産台数では軽自動車が約24万台で最も多いのだが、日産ブランドでの販売台数が17万台弱と多く、三菱ブランドでの販売台数は7万5000台に過ぎないため、上のランキングには入っていない。上記の5車種と軽自動車で三菱の世界生産台数の約8割を占める。
このうち、RVR、アウトランダー、ギャランフォルティスの3車種はCセグメントの車種で、基本的に同じプラットフォームを使っている。これらの車種のプラットフォームが、将来的には日産のCMF C/Dに統合されていくことになるだろう。三菱のCセグメント車の生産台数の合計は約44万台だから、Cセグメント車で日産と三菱のプラットフォーム統合が2020年までに実現すれば、日産のCMF C/Dプラットフォームの生産台数は2020年には300万台を超え、量産効果を一段と高めることになる。部品調達のコストの引き下げにも貢献するだろう。
三菱は、新型RVRの開発において軽量化に失敗し、2016年に予定していた発売を2019年以降に遅らせたと伝えられている。日産の最新プラットフォームであるCMFが使えることになれば、開発コストの圧縮と商品力の向上にも貢献するだろう。
同様のことはミラージュにもいえる。日産は2016年から、「マーチ」「ノート」などのコンパクトカーに使っている「Vプラットフォーム」や、「ジューク」「シルフィ」などに使っている「Bプラットフォーム」に代わる「CMF B」と呼ぶ新世代プラットフォームを採用した車種を発売し始める計画だ。
CMF Bを採用した車種は、IHSオートモーティブの予測では2020年に350万台に達し、ルノー日産グループで最も生産台数の多いプラットフォームになる。ミラージュの生産台数は、コスト削減が強く求められるコンパクトカーとしては少ないのだが、日産のプラットフォームを活用できれば、その量産効果を生かしてコスト競争力と商品力の大幅な向上が可能になるはずだ。
BセグメントやCセグメントといった量産車種のプラットフォーム開発を日産に任せられるようになれば、三菱は、アジアで同社が高い競争力を誇るピックアップトラックの開発や、現在はモデルが古くなっている「パジェロ」のような大型SUVの開発に力が割けるようになる。ゴーン体制の下で日産が「フェアレディZ」や「GT-R」のような象徴的なスポーツ車を復活させたように、惜しまれながら生産を終えた「ランサーエボリューション」を復活させる余力も生まれるかもしれない。
最小のリスクで「底値買い」
プラットフォーム共通化のほかにも、世界の生産・販売拠点の相互活用など、販売面、開発面で両社のシナジー効果は大きい。ゴーン社長自身「既にわかっているだけでも、22億ドル(2370億円)もの出資を正当化できる十分なシナジー効果が期待できる」と語ったと伝えられている。恐らくシナジーはこれにとどまらないはずだ。これまでに日産は、三菱との関係を通して様々な可能性について検討してきたとゴーン社長は記者会見で語っていた。こうした下準備があったから、今回のような電撃的な提携を決断できたのだろう。
この2370億円という出資額の決め方にも筆者は刮目した。今回の提携では三菱が第三者割当増資する株式を引き受けるのだが、33.4%の株主比率になるのに必要な5億660万株の三菱自動車株を、一株当たり468円52銭で取得するのだが、この価格は、2016年4月21日~2016年5月11日までの期間の出来高加重平均なのだ。三菱が今回の不正を発表した日の翌日から、今回の提携発表の前日までの株価の平均で、日産は三菱株を取得するのである。
この事件が発覚するまで、三菱の株価は概ね800円を超える水準で推移していた。日産の取得額はその6割程度に過ぎず、しかも提携が発表された5月12日の株価は575円のストップ高を付けた。日産はまさに最小のリスクで三菱の株式を「底値買い」した。投資額の約2割を、すでに1日で取り戻した計算になる。
しかも、こうした危機的な状況で手を差し伸べたからこそ、三菱関係者の反発を招くこともなく、むしろ非常に好意的に受け止められている。「底値で手に入れながら、相手から感謝される」という離れ業をゴーン社長はやってのけた。
けなしているのではない。むしろその逆である。こうした提携での最大のポイントは「救済される側の心理」だ。いかに相手のモチベーションを保ちつつ、征服者と被征服者ではないウイン・ウインの関係を築いていくか。そこに、自動車業界では数少ない提携の成功例と言われるルノーと日産の関係を築いた「ゴーン・マジック」の真骨頂があると筆者は思っている。
筆者はこれからの三菱の再建を楽観視している。この連載の第52回で触れたように、今回の三菱の不正の根本原因は、身の丈に合わない経営が社内に生み出した歪みだと筆者は考えている。今回の提携で、三菱は背伸びをする必要がなくなった。経営資源を得意分野に集中し、足りない部分は日産に補ってもらえるのだから、研究開発活動は「集中と選択」ができるようになる。もちろん、開発体制や生産体制の再構築の過程で、リストラや拠点閉鎖などはあり得る。しかしそれは、今回のような不正がなくても、いずれ通らなければならなかった道だろう。
3度も不正をしているのだから、これは三菱自動車の「体質」であり、付ける薬がないと評する向きがある。どんなに状況が厳しくても、やってはいけないことはやってはいけないのだと断ずる向きもある。しかし、筆者が会ったことのある三菱自動車のエンジニアは、誰もみな生真面目で仕事熱心な人ばかりだった。
「チェック体制」の整備はもちろん大事だ。しかし、それをいくら整備しても、人がやっていることだから、抜け道はある。やはり、不正を生じさせている原因を取り除いてやらないと、根本的な解決にはならないと筆者は思う。今回の提携が、三菱自動車の、真の体質改革につながることを期待したい。
この記事はシリーズ「クルマのうんテク」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?