新技術「SKYACTIV-VEHICLE DYNAMICS」について説明する「藤原大明神」ことマツダ専務執行役員の藤原清志氏
フェルディナント・ヤマグチ氏の人気コラム「走りながら考える」でお馴染みの「藤原大明神」ことマツダ専務執行役員の藤原清志氏が開口一番「今日の発表は地味ですから」と説明を始めた。マツダの新世代技術「SKYACTIV」の最新の成果の発表なのだが、まだ商品化の時期も、搭載車種も公開されていない段階で報道関係者に試乗させるというのは異例である。
開発したマツダも、この技術をどうアピールするかについて思案しているようなのだ。というのも、「SKYACTIV-VEHICLE DYNAMICS」と呼ばれる今回の技術は、これまでのSKYACTIV技術のような新型エンジンや新型変速機、新開発ボディと違って実体がない。ハードウエアはそのまま、制御だけでクルマの走りを大幅に進化させるという技術なのだ。
しかも興味深いことに、エンジンを制御することで動力性能を向上させるのではなく、クルマのハンドリング性能を向上させるという。その原理も、聞いてみればコロンブスの卵的な、非常に単純なもの。どうして今まで、世界の自動車エンジニアたちがこれに気づかなかったのか、どうして実現しなかったのかと思いたくなるような技術なのだ。
その中身をお伝えする前に、この技術を搭載したクルマに今回は先に乗ってしまおう。試乗会の会場になったのは、栃木県にある部品メーカーのテストコースで、一般にも貸し出しされているものだ。マツダはこれまでにも販売店向けの研修などで使ってきたという。
あまり違いが分からない
まず説明会場で、新技術の簡単な説明を受ける。ここでは技術の詳しい説明はなく、どちらかというと、マツダの操縦安定性に対する考え方をメインに説明される。その後、テストコースへ。最初に乗った試乗車は「アクセラ」だった。ハードウエアはなにも変えず、制御にだけ新技術を取り入れたものだ。1周数分程度の短い周回路を、時速30km以下の低速で走る。ここで、新技術の「あり」「なし」を、助手席に同乗するマツダのエンジニアがスイッチで切り替えてくれるのだが、この段階でははっきり言って、あまり違いが分からない。
ずらりと並ぶ試乗車。どれも新制御技術を搭載した試験車両である
次に、砂利道を走行する。ここで少し「おや?」と思ったのが、ステアリングの切り始めが、なんとなく軽く感じることだ。1周数百m程度のコースを何周かしてみるが、やはりわずかにステアリングの切り始めが軽い感じがする。ただそれ以外は、正直にいって、あまり違いはよく分からなかった。砂利道でもボディがガタピシしない、アクセラのボディ剛性の高さに改めて感心した程度だ。
今度は外周の高速周回路に出る。バンクのついたカーブを、今回は時速50km程度で、一番下のレーンをゆっくりと走る。お恥ずかしい話だが、ここでもあまり違いは分からない。同乗したエンジニアから「すごく丁寧にステアリング操作されていたので分かりにくかったかもしれませんね。私も最初、よく分からなかったんですよ」などとフォローしていただく。
ところが、違いがはっきり分かるシチュエーションが現れた。高速周回路の直線部分で、急なレーンチェンジを試みたときだ。ここで「あれ?」と思ったのは、新技術を「オフ」にしているときよりも「オン」にしているときのほうが滑らかにレーンチェンジできることだ。ステアリングを切り始めると、クルマがすっと向きを変え、レーンチェンジ後のふらつきもすぐに収まる。でもなぜなのか、その理由が分からない。後席に座っている女性の広報担当者は、その違いを筆者よりも、もっとはっきり感じるらしい。
クルマの応答性が向上
ここまでの試乗を終えて、さきほどの説明会場に戻る。ここで初めて、今回の新技術の詳細な説明があったのだが、その「種明かし」は後にして、その後に試乗した感想について先に説明しよう。
まず直進していて横から急に障害物が出てきた状況を想定して、時速50kmで直進し、障害物を左に避けるようにステアリングを切り、再び右にステアリングを戻す、という操作をしてみる。やはり先ほどのレーンチェンジと同じように、切り始めのクルマの応答がよく、またステアリングを戻した時の、車体姿勢の収まりもいいので、システム「オフ」の場合に比べて余裕を持ってステアリングを操作できる。有り体にいえば「ラク」に操作できるのである。
次に半径の小さい、急なカーブが続く短い周回路を走ってみた。こういうステアリングを頻繁に切る必要のある状況でも、システム「オン」のほうがラクに運転できる。ステアリングに対する車両の応答が良く、自分の操作の結果がすぐに分かるので、結果としてステアリングの切り過ぎや、切り足りない場合の修正が少なくて済むからだ。人間の身体は順応性が高いので、すぐにシステムの有り難みに慣れてしまうのだが、システムを「オフ」にして再び同じコースを走ってみると、明らかに車両の応答性が低下して、システム「オン」の有り難みが分かる。
では「オン」と「オフ」でいったい何が違うのか。いよいよ「種明かし」をしよう。今回の技術を理解するためには、クルマのタイヤがどんな仕事をしているかをまず理解しなければならない。当たり前のことだが、ドライバーはステアリングを操作してタイヤの向きを変えることで、車両を旋回させる。同時にタイヤは、クルマを前に進める「駆動」という仕事も担っている。この「操舵」と「駆動」という仕事はどちらも、タイヤと路面の間の摩擦力によって実現している。
タイヤは路面との摩擦力によって「駆動」と「操舵」という仕事を果たす
当たり前のことだが、タイヤと路面の間の摩擦力は、路面にタイヤを強く押し付けるほど高まる。マツダも今回の発表会で例えに使っていたのだが、消しゴムを紙に強く押し付けるほど、よく消えるのと同じことだ。いくらタイヤに強い駆動力を加えても、タイヤを路面に押し付ける力が不十分だと、タイヤは空回りするばかりである。これは駆動力だけでなく操舵力も同じことで、クルマの向きを変えるための力も、やはりタイヤを路面に強く押し付けるほど強まる。
さて、ここからがこのシステムの核心なのだが、今回マツダが開発したシステムの仕組みはいたって簡単である。ドライバーがステアリングを切り始めると、前輪の摩擦力を増やしてやるのだ。すると、前輪で発生する操舵力が増し、クルマの向きを変える力が増加する。ステアリングの動きに対するクルマの応答性が向上するのはこのためだ。
一方で、ステアリングを切り終えると、今度は後輪の荷重を増やすことによって、直進しようとする後輪の駆動力を増し、走行の安定性を向上させる。レーンチェンジ後にすっと車体のふらつきが収まるのは、車両の安定性が高まるからである。
コーナリングの始めはわずかに減速することで前輪荷重を増し、応答性を上げる。コーナリングが終了すると、わずかに加速することで後輪荷重を増し、安定性を上げる
エンジンの出力だけで制御
今回のシステムの特徴は、この前輪および後輪の荷重を増すという操作を、エンジンの出力を制御するだけで実現していることだ。具体的には、ステアリングを切り始めると、素早くエンジンの出力を絞り、最大0.05G(1Gは重力加速度)というわずかな減速度を発生させる。これはつまり、軽くブレーキをかけているのと同じだから、クルマは前のめりになり、その分、前輪にかかる荷重が増える。この結果、前輪の摩擦力が増え、クルマの向きを変える力が強くなるという仕組みだ。
もっとも、この0.05Gという減速度は、エンジンブレーキのさらに半分程度のわずかな減速だから、ドライバーや同乗者にはまず分からない。もちろん、前のめりになるといっても、感じ取れないくらいわずかな量である。それでいて、ステアリングを切ったときのクルマの応答は、はっきりと分かるくらい向上するのだから不思議だ。逆に、ステアリングの切り終わりでは、エンジンの出力をわずかに増す。今度はクルマが加速することになって、後輪の荷重が増えるから、後輪の摩擦力が強くなり、クルマの挙動を安定させる。
最初にこれを聞いたとき、筆者はちょっと驚いた。というのも、クルマの操縦安定性を向上させようとする場合、まず考えるのはエンジンの制御ではなく、シャシー周りの制御だからだ。実際、クルマの操縦安定性を向上させる技術としては、後輪を操舵する、旋回しているクルマの外輪の駆動力を増す、あるいは内輪を軽く制動するなどの技術が従来から開発されてきた。
この理由として、操縦安定性を向上させるのはシャシー技術者の担当という意識が強く、操縦安定性を向上させるのにエンジン制御を利用するという発想が従来生まれにくかったというのがまずある。別に縄張りがあるわけではないのだが、「エンジン」「ボディ」などといった担当分野の枠を超えての技術開発というのは、実は意外と難しい。技術的に高度かどうかという以前に、技術者の発想が、担当分野を超えて広がっていきにくいからだ。
そこへいくとマツダは、会社の規模がそれほど大きくないという特徴を生かし、SKYACTIVの開発では、エンジン、ボディ、シャシーといった担当分野の枠を超えて車両の「全体最適」を追求するという経験を多くの技術者が積んだ。今回の開発も、そうした担当分野の枠を超えた発想が生み出したといえるだろう。
従来はシャシーとパワートレーンの制御は別々に開発されてきたが、今回の新技術ではエンジンとステアリングの制御を連携させるという新しい発想を取り入れた
SKYACTIVだからこそ
後輪を操舵したり、旋回時の外輪を増速したりするのはそのための機構を追加しなければならないから、筆者だったら同じ効果を得るのに、前輪や後輪に軽くブレーキをかけることをまず考えるだろう。しかし、今回のエンジンを使う方法はブレーキを使うシステムよりも優れているという。
その理由は、エンジンのほうがブレーキよりも応答が速いということだ。今回のシステムは、ステアリングを切り始めてから5ms(msは1000分の1秒)程度でエンジンの出力を絞るのだが、この応答は、ブレーキよりも一桁速いという。エンジンの場合、ディーゼルエンジンなら燃料の噴射量を減らす、ガソリンエンジンならスロットルバルブを戻す、あるいは点火時期を遅らせるなどの操作によって瞬時に出力を落とせるが、ブレーキの場合、油圧の立ち上がりや、ブレーキパッドがディスクをつかみに行くための遅れ時間があるからだ。ブレーキよりもエンジンのほうが応答が速いというのも筆者には意外だった。
もっとも、これだけ高速の制御が可能なのは「SKYACTIVだからこそ」だと技術者は説明する。SKYACTIVエンジンでは、精緻なエンジン制御が必要なため、制御のスピードを従来の2倍に上げている。高速のエンジン制御という基盤があって、初めて今回の制御が可能になっているのだ。
今回の技術をマツダは「G-Vectoring Control」と呼んでいる。「G」すなわち加速度や減速度によって「Vector」すなわちクルマの方向を制御する技術という意味だ。ただ、正直にいって、この名称は、一般の人には分かりにくいと思う。一方で、クルマに詳しい人から見ると、従来からある「トルクベクタリング」と呼ばれる技術とまぎらわしい感じがする。これは左右輪に加えるトルクを変えて、クルマの向きを変える力を発生させるもので、マツダの今回の技術とは原理が全く異なる。
ネーミングに加え、ディーラーの店頭で、この技術をユーザーにどうアピールするかも課題だろう。このシステムのメリットは、システムの「オン」と「オフ」で乗り比べてみないと分からない。しかし、商品化の段階では「オフ」モードは搭載されないと予想される。かといって、すべてのディーラーで「搭載車」と「搭載していない旧型車」を用意して比較試乗をするというのも大変だ。
だから、マツダの広報担当者には、一般の人にも分かりやすいように、運転がラクになるという意味を込めて「SKY楽TIV」というネーミングはどうですか? と提案したのだが、軽くスルーされてしまった。絶対にこっちのほうがいいと思うのだが…。
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