昨年の話で恐縮だが、2015年10月21日がどんな日だったかご存じだろうか。有名人の誕生日?何かの出来事の何周年?いや、日経ビジネスオンラインの読者であれば、1989年に公開された映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー Ⅱ」で主人公がタイムスリップした日だということに気付くかもしれない。
そこに描かれていた自動で履ける靴、ゴミで走る車など「未来の世界」がどこまで実現されていたか、世界中の映画ファンを中心に大きな話題になった。さて、このシリーズ最終回となる今回ご紹介するのは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー Ⅱ」では残念ながら描かれていなかったが、我々の日常生活から企業活動まで、大きなインパクトをもたらしつつあるIoT(モノのインターネット)から見える「未来の世界」だ。
IoTって何?という方は、とりあえず「センサー、送信機、アンテナ、ネット接続などの機能を持った超小型端末が、あらゆるモノに付属して、データをやり取りすること」程度に理解して、読み進めて欲しい。
あなた自身が「端末」になるメリット
「ウエアラブル端末を身につけてジョギングすると、距離や心拍数が記録される」という話は、今やどこにでも転がっている。スマホのアプリを介して記録が自分のアカウントに送られ、フェイスブックなどのSNS(交流サイト)で公開、という仕組みも人によっては新規性を感じないはずだ。
だが、その端末があなたのバイタルデータを時々刻々収集、記録して送信すると、あなたのデータはおろか、何万人もの関連データと比較、対照し、必要であれば医学的見地からの指示を送信してくれる、となるとどうだろう。
フランスのベンチャー企業、Withingsが今年から展開している「Hy-Result」というサービスはまさにこれを実現している。同社のWireless Blood Monitorなどを使って血圧を記録、スマホ経由で送信するユーザに対して、血圧を下げるための対処法を推奨するサービスだ。
その対処法は、同社が独自に開発したアルゴリズムが決定する。決定の基になるのは、ユーザのデータと欧州高血圧学会(European Society of Hypertension)が持つ、高血圧治療に関するデータだ。同社はこのサービスを始めるに当たり、実際に医師が患者に指示する方法とアルゴリズムが決めた対処法を比較した。結果は95.4%の確率で、医師の判断とアルゴリズムの判断が一致したという。
冒頭に「センサー、送信機、アンテナ、ネット接続などの機能を持った超小型端末が、あらゆるモノに付属して、データをやり取りすること」と書いたが、ここまでで終わるのはIoTの本当の姿ではない。「あらゆるモノに付属して、データをやり取り」した結果、集まるのはいわゆる「ビッグデータ」だ。これを分析して次のアクションに利用してこそ、「あなたが端末になった」メリットを享受できる。
ウエアラブル端末市場で世界トップの米Fitbitは、「企業向けウェルネス事業」を拡大している。同社の端末を大量購入して、社員に配布する企業が増加しているからだ。なぜか? 例えば、石油大手のBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)は、社員の日々の歩数を記録して、翌年の健康保険料引き下げの判断に利用している。
Fitbitは昨年9月、HIPAA(米国医療保険の相互運用性と説明責任に関する法律)の認証を取得した。同法は医療機関などに、患者のデータの機密保持のための手続きを定めることを義務付けている。端末を通じて集まるビッグデータの使い道を考えれば、Fitbitにとっては当たり前の手順と言えそうだ。
「経験や勘」よりリアルタイム分析
プロスポーツの世界で、「経験と勘」だけを頼りにした指導、トレーニング、ゲームプランの検討が時代遅れなのは当たり前だ。一方、野球のようにゲームが度々中断する形式のスポーツの場合、投手の配球データなどを参考に、その場でデータを使った判断が可能だ。
では、サッカーのように途中で度々中断せず、ピッチ上にいる選手全員が激しく動き回るスポーツで、リアルタイムのデータ収集と分析は可能だろうか?
独ブンデスリーガのTSG1899ホフェンハイムは既にそれを実行している。選手のすね当てやボールそのものにもセンサーを取り付け、練習や試合中に動いた方向、距離やスピードを計測できる。データを収集し、各選手にアバターを割り当てれば、今、目の前で見ていた試合をロールプレイングゲームの画面を見るかのように再現することさえ可能だ。
3D画面を見ながら「あの局面では、相手DFとの距離の取り方が中途半端だったために、出したパスを奪われた」「君の試合中の最高速は1カ月前より5%改善した」というようなアドバイスや、「攻撃だけでなく、守備も献身的だった」という評価も、データに基づいてすることができる。今やブンデスリーガやJリーグにおいても試合中の様々なデータが収集・公開されるようになった。
「予測」と「リモート」で2025年に11兆ドル市場に
マッキンゼーは、昨年6月に公表したレポート「The Internet of Things : Mapping The Value beyond The Hype」の中で、IoT関連市場は2025年までに11兆ドルを超える可能性があることを明らかにした。[図1]はその全体像を示したものだ。実は、最も恩恵を受けるのは工場のオペレーションであるし、上記に示したようなB2C市場よりもB2B市場の方が倍の価値を生み出す可能性がある。
実例を示しながら説明しよう。工場へのIoT技術の適用で最も成功した例の一つはハーレーダビッドソンだ。ハーレーのオートバイは、顧客の好みに応じてカスタマイズして提供するのが特徴で、一台一台を違った部品の組み合わせで生産する必要があり、工場でのオペレーションは複雑だ。
米国ペンシルベニア州にある同社のヨーク工場は、老朽化したために2011年に改築し、最新鋭の「スマートファクトリー」となった。以前の広さは約15万平方メートルだったが、それが6.5万平方メートルになり、従業員も半分になった。それなのに、顧客に納品するリードタイムは2~3週間も短縮し、8~10日分必要だった部品在庫はなんと3時間分で済むようになった。
同工場では、すべての製造・工作機械や部品を載せて動き回る機器などにセンサーが取り付けられており、それらの稼働状態や「今、どこに何があるか」といった状態が、リアルタイムでモニターできる。
顧客からの注文が入ると、必要な部品が手配され、工場内の機械の稼働率をにらみながら生産計画に組み込まれる仕組みだ。加えて、組み立て作業手順は標準化されており、3D画像でも確認できるので、熟練の正社員でなくても作業ができるようになった。
その結果が、前述のリードタイムなどの改善だ。こうした生産方式は「マス・カスタマイゼーション(個別大量生産)」と呼ばれる。それを可能にするのがIoTを核としたデジタル技術であり、インダストリー4.0と呼ばれている。
ここで忘れがちなのが、機械の不具合などによる工場のダウンタイムだ。すべての機械に取り付けたセンサーが、ここでも威力を発揮する。機械の状態をリアルタイムで把握できるので、不具合が発生する前であることはもちろん、定期点検のスケジュールとは関係なく、「摩耗が進んだから先回りして交換した方がよい」というような判断でメンテナンスができる。客観的なデータに基づいた「予測」で、思わぬダウンタイムを回避できるのだ。
さらに、データそのものはインターネット経由で送信されるので、工場にいなくても確認できる。ということは、中東に建設した油田プラントの稼働状況を本国で確認して、メンテナンスの指示を出すということも可能だ。つまり「リモート」だ。
これらの変化は、さまざまなコスト削減につながるだけではなく、我々の仕事の仕方に大きな変化をもたらす。たとえば宇宙開発の分野では、宇宙ステーションで必要な工具は、これまでなら地球から実際に運ぶわけだが、3Dプリンターを設置することで、瞬時に現地調達をすることが可能だ。サプライチェーンにおけるさまざまな既成概念が大きく変わる一例だ。
メーカーがソフトウエア産業、サービス産業に
ここまで読んで、賢明な読者であればお気づきになることがあるだろう。Withingsのようなサービスを、メーカーが顧客に売った自社製品について提供したらよいのでは?
それを実行に移しつつあるのが米ゼネラル・エレクトリック(GE)だ。同社のジェフリー・イメルトCEO(最高経営責任者)は、GEを「分析とソフトウエアの会社にする」方針を明らかにしている。
IoTの技術を使えば、同社が製造する航空機や発電設備など、製品やプラントを構成する各部品や機器にセンサーを取り付け、稼働状態をリアルタイムでモニターすることは可能だ。ハーレーのような「予測」メンテも可能であるし、効率的な運航方法などを提案することさえ可能だ。
あらゆる製品、部品にセンサーを取り付け、データ収集と分析を可能にすれば、製品を顧客に納入したら終わりではなく、ソフトウエアをテコにしたサービスを提供することができる。企業で、自社内向けに作業をしていたメンテナンス部門やIT部門が、一転してB2B市場の収益部門に変身するわけだ。
利用されているデータはたったの1%の例も
こうした動きは今後、ますます加速するはずだ。なぜなら、IoTを支える要素技術のコストは劇的に下がり続けているからだ。半導体の価格は過去3年で半減し、MEMSセンサーは35%減、RFIDタグは1個15セントが5セントになった。クラウド上で1ギガバイトのデータを保存するコストは、2010年の25セントから2014年には0.24セントと100分の1になった。
一方で、せっかくのビッグデータも「宝の持ち腐れ」となっているケースも多い。[図2]は、ある油田プラントの事例だ。油田のリグに3万個ものセンサーが取り付けられているのに、収集したデータの99%は担当責任者に届く前に失われていた。
上記は極端な例だが、IoTのインパクトを最大化するためには、業界全体、行政が取り組むべき課題がいくつかある[図3]。第一に、相互運用性の確保が不可欠だ。センサーが発信するデータのフォーマットやデータを送信するプロトコルは標準化されておらず、お決まりの乱立とデファクト獲得競争に陥る恐れがある。
B2C市場では、膨大な個人情報をどう取り扱うかのルール作りが必要だろう。行政やユーザも巻き込んで、ガイドラインを策定するのも手だ。各企業は、IoTを前提とした戦略作りが欠かせない。なぜなら、前述のように、IoTにより間接部門としてのIT部門が収益部門に躍り出る可能性を秘めている。データに基づく意思決定プロセスの構築が必要となり、社員に求めるスキルセット、人材確保の方法が変化するからだ。
IoTのメリットを享受する我々ユーザ側にもいくつかの心構えが必要だ。第一に、新たな技術やサービスを試して、実際に使ったユーザがより多くのメリットを享受することになるという点だ。メリット享受の格差が、サービスを試すユーザと使わず嫌い・知らないユーザとの間で拡がっていく。ユーザとして新たな技術・サービスに対してのアンテナを張っておくことが大事だ。
2001年宇宙の旅が間違った点
一方で、個人情報に対して、プライバシー保護の観点でさらなる注意をユーザ自身が持つことが求められる。特に新たなサービスにサインアップする際に、サービスプロバイダが要求する個人情報へのアクセス権の内容については確認すべきだ。政策による個人情報保護の動きはあるが、個人個人が持つ責任は大きくなるだろう。
さて、映画で始めたこの回なので、最後も映画の話で締めようと思う。スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」は、キューブリックが当時のベル研究所の協力を得て「2001年にコンピューターはどうなっているか」を予測して制作したものだ。
この映画についてのあるエピソードを、私の知人が90年代末の米シリコンバレー、それもゼロックスのパロアルト研究所で開かれたセミナーで聞いた話として披露してくれた。
セミナーの講演者は「HAL伝説」の編者のデイヴィッド・ストーク氏で、「2001年宇宙の旅で描かれたコンピューター技術は、AIや読唇術などすでに実現されているものばかり。ただ、一つだけコンピューターの将来について間違った点がある。それは何か」と会場に問いかけたそうだ。
読者のみなさんはお分かりだろうか? ストーク氏の種明かしは「コンピューターが大きくなると予測した点」だった。予想に反してコンピューターは、どんどん小さくなったが、そのおかげでIoTという技術が生まれたのだから、文句は言えないだろう。
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