「フィンテック」 ~ 技術革新による金融サービスのデジタル化 ~ という言葉が、昨今の銀行業界を語るのに欠かせないキーワードになっている。米国シリコンバレーを中心に、技術力を駆使したベンチャーが革新的で利便性の高い金融サービスを開発して、銀行業界に参入している。
ユーザーは「銀行」の存在さえ意識しないまま、便利な金融関連サービスを受けられる可能性が高まる。銀行業界が対応を誤ると、ただ利用され、迂回され、最後は分解されて、市場からの撤退を余儀なくされることになろう。
あなたも使う?「銀行」以外の金融サービス
預金、貸付、送金、決済。これらは銀行が提供する基本的なサービスだが、銀行だけが提供できるサービスだと思ったら大間違いである。まずは、日本に既にある「フィンテック」の事例を紹介する。
2015年8月24日に1日の利用者が10億人を超えたフェイスブック。そのメッセンジャーアプリを利用して、ユーザー間でお金のやり取りができるようになっている(米国内では米国の銀行が発行したデビットカードの登録が必要)。
例えば、ランチの割り勘代金を友人に支払ったり、個人間のモノの売り買いの決済手段として使ったり、こまごまとしたお金のやり取りを、メッセージを送るような手軽さで可能にしている。しかも送金手数料は無料だ。日本国内では、楽天銀行の「かんたん振込」サービスと連携している(手数料がかかる場合もある)。
こうした個人対個人の取引を可能にするサービスのことを、P2P(Peer to Peer)サービスと呼ぶ。これまでは1回ごとの取り扱い金額が少ないうえ、送金する金額に比して手数料が高いなどのハードルがあった。LINE Payも、LINEでつながっている相手ならば、銀行口座の情報を知らなくても、送金することができる。
米国でさらにユニークなのが、eToroというサイトだ。eToroは、投資に特化したSNS(交流サイト)だ。だが、「いいね」や「フォロー」「シェア」をするのは、投資先や投資ポートフォリオである。しかも、投資先や投資ポートフォリオを提供しているのは、プロの投資家ではない。
個人投資家のポートフォリオに「いいね!」
個人投資家が自分の投資状況をコミュニティ内で公開しており、メンバーは一定の手数料を払うことで、コミュニティ内で最も成功している個人投資家のマネをできる仕組みだ。金融機関がやれば「投資顧問」というれっきとしたサービスだが、同社はSocial Investment Network(ソーシャル投資ネットワーク)と呼んでおり、すでに世界170カ国に450万人以上のユーザーがいるという。
個人向けだけではない。今や、書籍だけでなくありとあらゆる商品のEコマースとなったアマゾンは、商品を提供している日本国内を含む中小企業に「アマゾン・レンディング」いうローンを提供している。返済はアマゾンでの売り上げの一部を充てられる。中小企業向けの融資となると与信管理がポイントだが、アマゾンは独自のアルゴリズムを使って手間を省きつつ、リスクを管理している。
このように、デジタル技術を駆使した金融分野のサービスをフィンテック(FinanceとTechnologyを合わせた造語)と呼ぶ。[図表1]は、マッキンゼーが注目する主なフィンテック企業とそのサービス内容だ。日本でもおなじみのブランドが複数ある中、耳慣れない企業名も多いことだろう。
ベンチャー、異業種が主役
マッキンゼーの最近の調査では、2015年8月現在、世界中に1万2000社を超えるフィンテック企業があり、その数は日々、増えこそすれ減ることはない。もちろん、欧米中心に既存の銀行など金融機関がフィンテックに取り組んでいる例もある。だが、大半はベンチャー企業か、フェイスブックやグーグルのような異業種の企業だ。
彼らの狙いは、ズバリ、2014年に初めて合計1兆ドルを超えた、世界の金融機関の利益(税引き後)だ。金融業界では、特有の様々な規制が各国で新規参入を妨げ、競争を阻害してきた。
このため、他業界で起こっているデジタルテクノロジーを生かしたイノベーションは、金融業界にとっては「異国の出来事」に近かった。だが、イノベーションの大波が今、押し寄せている。その証拠に、マッキンゼーの調査では2013年~14年にかけてフィンテックへのベンチャーキャピタル投資は40億ドルから122億ドルに急増した。
[図表2]は、マッキンゼーが分析した世界のフィンテックの活動分布だ。すでに、個人向けのリテールビジネスを中心に、あらゆる種類の金融機関の主要サービス分野に浸透し始めているのが分かる。
「でも、フィンテック企業が『銀行業』そのものをしているわけじゃないから、影響は少ないはず」と考える読者もおられるだろう。我々の答えは「だからこそ厄介」なのだ。
確かに、上述のP2Pサービスの例は、銀行から口座を奪っているわけではない。銀行の中核ビジネスである個人向けの預金、貸付、当座預金口座は厳しい規制があるため、入りたくても入りにくい。だがあえて言えば、入る必要もない。
むしろ口座がないにもかかわらず、何百もの新規参入企業が、消費者ローンや住宅ローン、預金、為替、その他基本的な銀行のサービスを提供している。ほとんどの場合、その企業が自前でそのサービスを用意するのではなく、銀行やクレジットカード会社、為替ブローカーが持つ機能を「利用」しているのだ。
実は、フィンテック企業の目的は、「顧客との関係」を手に入れ、自分たちの主要サービスを強化することだから、それでよい。膨大な顧客基盤を抱えるフェイスブックその他の「プラットフォーム」企業は、顧客の支払いデータがもたらす商機を狙っている。
もし彼らが、「フィンテックで儲けなくても、他のサービスの利益向上に貢献すればよい」と考えたらどうなるか。アマゾンがアマゾン・レンディングで儲けられなくても、融資した中小企業が新製品を開発して品揃えが増えた結果、取引が増えればそれでよい、と割り切ったらどうだろう。恐らく、低価格攻勢で既存金融機関のマージンが低下するだろう。銀行が顧客の支払いデータを手に入れられなければ、高マージンのクロスセルの機会も失う。
つまり既存金融機関は、フィンテックに利用され、顧客に迂回されてしまう危険があるのだ。破壊的な技術を持つ新興のフィンテック企業は、決してフルラインアップの金融サービスを提供しようなどとは思っていない。重装備の軍隊にゲリラ戦を挑むように、特定のサービスに狙いをつけて参入する。顧客がそれを利用すれば、金融機関と顧客との関係を弱め、金融機関の機能を徐々に分解してしまうことになろう。
金融業界の未来は、米国新聞業界の今
このストーリーはどこかで聞いたことがある。そう、インターネットの影響をまともに受けて、先進各国で一様に苦しんでいる新聞業界、特に米国の新聞社の物語だ。連邦逓信委員会(FCC)が2011年に公表した報告書「The Information Needs of Communities」は、その背景をunbundling(バラバラにする)とcross-subsidy(内部補助)というキーワードを使って説明している。その中身を、日本的に翻訳すればこうだ。
「インターネット以前は、新聞に掲載されるコンテンツのほんの一部しか読まなくても(例えばテレビ番組欄)、その情報を手に入れる手段が他になかったので、新聞を買っていた。だが、ネット上に、それまで新聞に掲載されている様々なカテゴリーの情報を専門で提供するサイトが現れた。結果として、読者は新聞を買う必要がなくなった。テレビ欄しか読まない読者も、実質的には国会担当の記者の給料を支えていたが、それがなくなった」。報告書はこう書いている。
The bundle is broken―and so is the cross-subsidy.
これを、銀行業界向けに翻訳し直せば、「預金口座を持っているからといって、給与振り込みや公共料金の支払い、ローンもその銀行に頼むとは限らない。便利でお得なサービスがあれば、サービス別に使い分け、最終的には口座ごとそちらに移ることさえある」ということになる。
自前の金融サービスを持たないフィンテック企業が、既存金融機関のサービスを集約する様子は、ポータルサイトなどが多くの新聞社やテレビ局のニュースを買い、あるいは彼らのサイトへトラフィックを流す見返りに、自社サイトのユーザーの満足度を高めて、ビジネスの成功に結びつけようとしている様と瓜二つだ。
重い腰を上げようとしている国内銀行
では、既存金融機関はただ手をこまねいているだけだろうか?[図表3]は、欧米の金融機関がいかに対応を進めているかを、マッキンゼーが調査、分析した結果を整理したものだ。
欧米の先進的な銀行は、すでに行内の体制作りは終え、自前での開発の道も残しつつ、フィンテック企業による破壊的なサービスが出現した際の対応を定めている。銀行だけでなく、ベンチャー企業、規制当局や法律家などの専門家がプレーヤーとして関わるため、網羅的かつ懐が深い内容だ。
[図表4]は、マッキンゼーが調査した欧米銀行の戦略オプションの一覧だ。「模倣、買収、サプライヤとして利用、提携、反撃、無視、ビジネスから撤退」と、フィンテック企業による新サービスのインパクト、自身の戦略的重点分野やケーパビリティに応じて、是々非々で対応する構えを整えている。
翻って、日本の金融機関はどうだろうか?残念ながら、我々の知る限り、[図表3]の「スピード1」の段階にさえ達していない企業がほとんどだ。背景には、日本の多くの金融機関が高齢者や退職者層をメインの顧客層として位置付けており(実際の収益上も最重要のセグメント)、また、住宅ローンを利用するような中齢消費層は給与振り込み口座で「がっちり」抑えてきた、という事情がある。
それゆえ、「若者的」に見える新たなテクノロジーやフィンテックに、まともに向き合ってこなかった金融機関が多い。また、さらに高まる個人情報保護の問題やネットバンキングにおけるセキュリティ問題などもある中で、技術を使った金融を「危ないもの」として捉える傾向もある。
確かに、フィンテック先進国の欧米では、起業家に加え、トップクラスの技術者、金融当局、金融機関が一体となって迅速に事業化を進めるため、出来上がったサービスの質・安心感は高い。日本においても、関連分野のトップクラスの人材が国・金融機関と一体となり、フィンテックを推進すべきだ。起業家だけで頑張るのは限界がある。
折しも、2015年12月16日に出された金融審議会(首相の諮問機関)の「金融グループをめぐる制度のあり方に関するワーキング・グループ」報告書が、金融グループがIT(情報技術)ベンチャーに出資する際は、従来の一律の出資規制を緩和して、個別認可とする方針を打ち出した。今後、こうした制度面での整備が進むことで、金融機関側の自助努力が求められた結果、積極的に取り組む金融機関とそうでない金融機関との差が拡大する恐れがある。
「銀行」を意識しない近未来はすぐそこ
[図表5]は、我々が描く近未来のある会社員の1日だ。それぞれの機能はすべて現時点で実現されており、もちろんモバイルでも可能だ。もしかしたら、①から⑩までの作業は、銀行の窓口に行くこともなく、朝の通勤電車内の1時間で済んでしまうかもしれない。
それも、何かのサービスに登録している一つのIDだけを使い、口座番号やクレジットカード番号を一度も入力することなく、手続きが完了している可能性さえある。それだけでなく、口座を開設した「銀行」は、従来、目にしている銀行ではないかもしれないのだ。
様々な分野でのデジタル化がユーザーにもたらす恩恵は、常に場所や時間の制約を取り払い、選択肢を増やすという、ストレスフリーな環境だ(もちろん、デジタルゆえのセキュリティの脅威は存在するし、高まる可能性はある)。だが、大規模な支店網、大量の人員を抱える従来型の金融機関にとっては、ストレスが増す時代になることは間違いない。
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