(前回の記事から読む)
週35時間制、長時間労働への歯止めがきく
フランス企業で短時間勤務やテレワークといった柔軟な働き方が、さほど大きな抵抗なく受け入れられているのには、理由がある。日本企業のように「長時間労働」が常態化していないのだ。何しろ、「週35時間労働」が基本で、残業を入れても週48時間までに法律で規制されている。
裁量労働制の管理職は週35時間制の対象外となり、年間で労働時間を調整する仕組みになっている。週35時間を超えて働いている管理職には、年5週間の法定有給休暇に上乗せがされ、年6~7週の有給休暇の権利が付与されることが多い。休暇の消化は法律で定められており、8月になると、フランス企業では役員から社員まで3週間は連続してバカンスを取るのが当たり前。日本から連絡を取ろうにも連絡がとれず、仕事がストップしてしまうというぼやきがよく聞かれる。
そもそも週35時間制は、2000年に失業者対策として導入された。労働時間の上限を定めることで仕事を分かち合う、つまりワークシェアリングをしようというものだった。その後、これがワークライフバランスの後押しになるといわれるようになった。
企業側には「経営にはマイナス」との本音も
「35時間制は仕事と子育ての両立にプラスではないか」
経営者や企業人事にこう尋ねたところ、経営者からは「35時間がワークライフバランスに寄与するとは間違ったメッセージだ」と猛反論され、人事からは「国の規制だから従わざるを得ないが」と奥歯にものの挟まった答えが返ってきた。つまり企業側は「経営にはマイナスだ、経済力をそぐもの」として反対なのだ。
35時間労働については毎年のように見直し議論が起こっている。現在出されている労働法改正案のなかにも35時間を超える労働に対する残業代削減、また解雇規制の緩和などが盛り込まれており、3月末にはフランス全土で約39万人が参加する反対デモが起きている。
子育て中の社員に聞くと「社会的には問題があるかもしれないが、個人としては35時間制は助かる」と言う。管理職以外の一般社員にとっては、基本的に35時間以内で働くことになり、家庭との両立を図りやすい。対象外の管理職でも、年間6~7週間のバカンスを家族と過ごすことでメリハリを付けられる。前編で紹介したミリアムさんの家庭では、夏休みは3週間しっかりとって、旅行やキャンプ、カヌー、山登りなどを楽しむ。2週間のクリスマス休暇のうち1週間はスキー旅行、もう1週間は両親など家族とゆっくり過ごすという。
経済・財政・産業省に務めるカップル、マリー・クロード・ギユウさんとパスカル・コランさんの場合は、35時間労働が適用されない管理職のため、有給休暇が追加される。これを使い二人とも多忙な職場でフルタイム勤務のまま、子供の学校が休みとなる水曜日(現在は午後のみ休み)を交代で休んで子供二人の面倒をみてきたという。「やはり35時間という時間規制は子育てにとってありがたい」と実感している。
マリー・クロード・ギユウさんとパスカル・コランさんは、ともに35時間労働が適用されない管理職。追加される有給休暇を子育てに充ててきた
長時間労働の環境のまま、子育て中の社員が短時間勤務といったフレキシブルワークを使うと「子育て社員は特別扱いで、私たちはフォローするばかり」という不満が他の社員に広がってしまう。まずは残業を極力なくして、その上でフレキシブルワークを導入すれば、不満も出ない。子育て中の社員も気がねなく制度を使える。仕事をしながらの子育ても難しくないと思えるという好循環が生まれるのだ。
いまだ残る古い慣習を、女性管理職が変えていく
「フランス企業のシステムは、女性の進出が広がる以前とそう大きくは変わっていない」と指摘する国立行政学院(ENA)校長のナタリー・ロワゾさん
フランス企業の光の側面をずいぶんと紹介してきた。そうはいっても「会社のシステムは、女性が働いていなかった時代からさほど変わっていない」と指摘するのは、国立行政学院(ENA)校長のナタリー・ロワゾさんだ。一昨年『すべてを選びない』という本を著し、仕事も子育ても諦めるなというメッセージを送り話題を呼んだ。外務省からエリート養成校の校長へ、時には「子育てのために諦めたポストもある」というものの、4人の子供を育てながらキャリア街道を歩んできた。
これまで力の及ぶ範囲で「(男性中心の職場の)悪い習慣は変えてきた」という。例えば朝食会は断る。子供と朝食をとり、学校に送っていきながらおしゃべりをするのが大切な時間だからだ。会議は2時間など論外。45分きっかりに収める。19時過ぎの会議も禁止。「19時以降は、子供がいる人もいない人も、自分に栄養を与える大切な時間だ」と説く。
3人の男の子を育てながら働くルノーのローランス・エルツベルグさん
ルノーで商業小型車のマーケティング・ディレクターを務めながら、3人の男の子を育てるローランス・エルツベルグさん(45)もまた「18時半には退社する」と職場で宣言している。先日、遅くまでかかる会議があったときは、冒頭に話をして途中で会議を抜けたという。「19時には帰宅して子供と夕食のテーブルにつく」ことが最優先だからだ。「部下もみな理解してくれている」ときっぱり説明したところで、傍らの広報担当者が「でも15年前だと、そうしたことは出来なかった。やはり改革が必要だった」と小声で付け加えた。
ルノーは日産自動車と同様、CEOのカルロス・ゴーン氏の強力なリーダーシップのもと、女性活躍を進めており、女性管理職比率は既に18%に達し、役員に占める割合も26%に及ぶ。ローランスさんのような子育て中の女性管理職が増えることで、企業風土も変わっていくのだろう。
産み時については「全く考えなかった」
取材を通して、日本との彼我の差を感じたことがある。子育てをする女性社員に「子供を2人、3人と持ちながら仕事を続けることに不安はなかったか」と尋ねたところ、全員、間髪をいれず「ノン」と答えたことだ。
もうひとつ、重ねて質問をした。「仕事の状況も考慮して、産み時を考えたか」というもの。これも9割方「全く考えなかった。自然の流れに任せた」という答えが返ってきた。「子供を産んだら今の仕事が続けられないのではないか」と産み時を考えて立ち止まってしまう日本の女性に比べると、何という違いだろう。
『パリの女は産んでいる』の著書がある中島さおりさん。「専業主婦は肩身が狭い」と話す(写真:松永 学)
フランスで子育てしながら仕事を続けやすい環境が整えられたのは、1980年代のこと。出生率の低下に加えて、70年代に盛んになった男女平等を求めるフェミニズム運動を受けて、「働きながら子供を育てる」世帯への家族政策が促進された。
フランスでは3歳になると保育学校に全員が無料で入れる仕組みとなっている。3歳まで何とか乗り切れば、仕事を続けることもできる。そこで80年代に3歳までの保育体制が整えられたのだ。保育所に対する財政援助を行うと同時に、保育所不足を補うために自宅で子供を預かる保育ママに対する助成を厚くした。さらに育児休業中の収入補償の対象を広げた。
こうした取り組みを受けて90年代半ばに出生率が上昇に転じる。「今の子育て世代にとって、子供を持っても仕事を続けるのは先輩の姿からして当たり前のこと。お金がないから、子供を持つことをためらうという声もほとんど聞かない」と『パリの女は産んでいる』の著書がある、翻訳家でエッセイストの中島さおりさんは言う。
専業主婦は肩身が狭い
いまでは、専業主婦は尊敬されず、肩身の狭い思いをしているとか。「自宅で子供とずっと一緒にいると、退屈する。耐えられないから早く仕事に復帰したい」という台詞を、出産間もない母親はよく口にすると、中島さんは言う。
もし、日本でそうした台詞をもらしたら、どう思われるだろう。「母親失格」といったレッテルが貼られるかもしれない。日本では、自分のことはさておき子供のケアをするのが「いいお母さん」というイメージだが、パリでは働くお母さん像に切り替わっているようだ。
IT企業の事務職、カトリーヌ・スプロールさんは、仏企業においても「男女差はまだ歴然とある」と話す
とはいえ、職場にはまだまだ壁もある。IT企業の事務職、カトリーヌ・スプロールさん(49)は、「今なお職場には男女の差が歴然とある。男性の職業、女性の職業がきれいに分かれている」と感じている。
カトリーヌさんのような事務職やアフターサービスはほぼ全員が女性、一方で技師や開発研究は男性ばかりなのだ。フランスでは87の職業グループのうち12に女性労働者の約半分が集中している。教員や事務職、秘書、看護師や保育士、また清掃員や家事ヘルパーといったものだ。こうした男女の職業の偏りは、実は日本よりも大きい。これが男女の賃金格差にもつながっている。
いまだに「ガラスの天井」もあるという。ルノーの人事担当は「重要なポストを決める場で、彼女は子供が3人、4人いるからやめておこうという話にならないとも限らない。気をつけないといけない」と明かす。フランス全体ではパリテという男女平等をめざす理想を掲げて、政治から経済分野まで、意思決定ポストに女性を増やそうとする施策を進める。女性管理職比率は約4割、女性役員比率も3割に達するが、まだまだというのだ。
「母親のキャリア形成」という問題は残っている
「母親でありながらキャリアを形成していくのはやはり難しい」(大手ガラス素材メーカー、サンゴバンの人事担当役員クレール・ペディーニさん)
大手ガラス素材メーカー、サンゴバンの人事担当役員クレール・ペディーニさん(50)は、「フランスでは母親でも仕事をするという壁は乗り越えた。しかし今もなお、母親でもキャリアを形成するという問題は残っている」と指摘する。
クレールさんが今取り組むのが、「キャリアを積み上げていく上でのフレキシビリティを確保すること」だ。サンゴバンでは一般的に32歳から40歳くらいにかけて昇進するが、女性はその時期にちょうど出産が重なり、足踏みしがちだ。しかし、出産適齢期は変えられない。
そこで「40歳以降でもキャリアをつけられるような昇進昇格の仕組みをつくるべきだ」という。時間・場所にとらわれないフレキシブルな働き方を実現するのはもちろんのこと、キャリア形成のフレキシビリティを実現しないと「母親でもキャリア形成をする」のは難しいというのだ。
さらに問題の根っこにあるのは、実は子供の有無ではなく、女性が責任ある地位に就こうと思うか否かのメンタリティだという。「男性が組織を引っ張ってきた長い歴史がある。女性がキャリアを積もうと思うと、男性以上の努力が必要だ」と後輩らに発破をかける。
死角は、他にもある。家族手当の拠出元である「家族手当金庫」が、失業率の上昇と子供の増加で財源が不足し始めたのだ。まずは高所得層から、家族支援の手当は徐々に削られている。
「家族政策が企業にとって本当にプラスになっているのか、社会としてよい方向に向かっているのか、検証する時期を迎えている」と経済・財政・産業省のマリーさんは指摘する。遡ること30年も前に「働きながら子供を育てる世帯」を支援する仕組みをつくりあげ、出生率の回復と就業率アップを同時に達成したフランス。その後の軌跡、そして光と陰から学べるものは大きい。
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