「同一労働同一賃金」の目的は格差是正ではない
処遇差の「合理性」とは? 日本での導入が難しい理由
「働き方改革実現会議」で、「長時間労働是正」に向けての議論が進んでいる。争点は、「残業時間の上限規制」と「勤務間インターバル規制」の導入。さらには、「同一労働同一賃金」も注目を集める。非正規従業員の待遇改善を目指し、昨年末には政府ガイドライン案が示されている。今回は、2008年から正社員とパートタイマー社員との間で「同一労働同一賃金」を実現している、りそな銀行に制度導入の目的とその効果を聞いた。
「同一労働同一賃金って何? 僕たち管理職が、派遣社員の人と同じ仕事をするってこと?」
ある大手企業の管理職が、冗談交じりにこうもらした。その内実が分からずに戸惑っていることが見てとれる。よく分からないのは管理職だけではない。ある上場企業の役員は、こうあっさり切り捨てた。
「同一労働同一賃金? だって非正規は、雇用の調整弁ですからねえ。そんな甘いことを言っていたら経営が成り立ちませんよ」
こうした台詞を口にできるのも、もはやこれまで。2016年12月に同一労働同一賃金の政府ガイドライン案が発表され、パートタイム労働法など関連法案の改正が見込まれる。いずれの企業も、否応なく対応を迫られることになる。
目指す賃金水準は「非正規は正規の8割」
同一労働同一賃金とは、ざっくりまとめて言うなら「同じ仕事をしている人には、不合理な差別をすることなく同等の賃金を払いましょう」ということ。
今や働く人の4割を非正規労働者が占める。非正規で働く人のうち、世帯主もしくは単身者は1割を超えている。非正規は主婦パートが中心だから時給が安くても生活には困らないという時代は終わった。非正規であってもその収入で家計を支える人が増え、社会的格差の大きな要因となっている。
安倍晋三首相が「非正規という言葉をなくす」「同一労働同一賃金の実現を」とこぶしを突き上げるのは、単に経済格差の解消のためだけではない。賃金を上げて、消費を底上げして経済を活性化させることが狙いである。
お手本は、欧州にある。EUは1997年のパートタイム労働指令で「同一労働同一賃金」を定めた。日本では、非正規雇用者の賃金は正規の6割弱にとどまるが、欧州各国をみると8割から9割の水準である。日本も同一労働同一賃金を実現して、10年かけて欧州並みの8割の水準に近づけたいというのが政府の狙いである。
日本での導入が難しい理由
ただ、お手本が欧州にあるといっても、日本で実現するのは、極めてハードルが高い。安倍首相が「同一労働同一賃金を実現する」と口にしたとき、多くの人事・雇用の専門家らは耳を疑ったものだ。日本では、なぜ難しいのか。
ひとつには、欧米ではジョブ型雇用であるのに対し、日本ではメンバーシップ型雇用であるためだ。ジョブ型、メンバーシップ型というネーミングは、日本労働政策研究・研修機構の主席統括研究員の濱口桂一郎氏によるネーミングで広く知られているので、耳にしたことがある方も多いだろう。
欧米では「この仕事をしてもらいましょう。このポストに就いてもらいます」と職務を明確にして採用する。対する日本は、採用時にどこに配属されるか、どんな仕事をするかはわからない。いったん採用されたら、企業のメンバーとなり、辞令に従い異動もすれば転勤もする。そのかわり雇用は基本的には定年まで保障されている。年功型賃金のカーブが緩やかになってきたとはいえ、通常は、50歳前後まで給料は少しずつ上がっていく。
一般的に若いころは働きに比べると給料が安すぎるものの、中高年になると貢献度に比して給料をもらい過ぎとみられる人も少なくない。こうした日本のメンバーシップ型雇用の下、「同じ仕事なら、同じ給料にしましょう」という同一労働同一賃金を導入するのは難しい。
もうひとつは、欧州では一般的に産業別労働組合が力を有しており、同じ産業内、職種内で給与水準が決められ、それがフルタイム勤務の正社員以外にも適用されやすい仕組みのため、同じ仕事なら同じ給料と定めやすい。ところが日本は企業内労働組合が中心で、その多くは正社員が対象である。これも同一労働同一賃金の導入を難しくしている。
こうしたハードルがあるなかで、早くも2008年に「同一労働同一賃金」の人事制度を導入した企業がある。グループ全体で正社員約1万7000人のりそな銀行である。導入の目的、そして制度の内容を聞くため、同社の人事部を訪ねてみた。
「同一労働同一賃金は、結果に過ぎない。目的ではない」
「同一労働同一賃金は、結果に過ぎないのです。正規と非正規の処遇差をなくすことを目的に導入したわけではありません」
開口一番、人事担当は少し困惑した表情でこう言った。2003年、経営破たんした同行は、社員の大量退職という事態を迎え、それまでの男性総合職中心の働き方を見直さざるを得なくなった。性別・年齢・雇用形態に関係なく、すべての社員が活躍するような「ダイバーシティマネジメント」を進めないと、会社が回らなくなったのだ。
年齢が上がるとともに給料が上がる年功給の仕組みを廃し、「職能制度」から「職務等級制度」へと切り替えた。正社員、パートタイマー社員に共通の職務等級を導入し、同じ職務グレードならば、職務給(基本給)を時給換算で同額とした。その結果、「同一労働同一賃金」になったというのだ。
実は、りそな銀行の導入経緯は、欧州のそれと近い。日本総合研究所の調査部長である山田久氏は、著書『同一労働同一賃金の衝撃』(日本経済新聞出版社刊)のなかで、日本においては正規と非正規の格差是正のために導入論議がなされているが、欧州では人権保障の概念の下、性別や人種間の格差是正、社会のダイバーシティの尊重により活力を高めることに目的があったと説く。「『同一労働同一賃金』の真の意義は、働くすべての人がその属性にかかわらず、それぞれの持つ個性を生かして能力を発揮することを促すための、報酬面で有効な基準である」とする。
経営破たんを受けて、性別・年齢関係なくすべての人に活躍してもらう必要に迫られたりそな銀行もまた、ダイバーシティ尊重のなかで「同一労働同一賃金」を実現したことになる。
りそな銀行の人事制度は、図1、図2の通り、現在は大きく3つのコースに分かれる。
無期雇用の正社員も、パートナー社員(パートタイム社員)も、同じ職務グレードで仕事をしていれば、時給は同じである。この場合のパートタイム社員はフルタイムを前提に働く人を指す。この他、扶養の枠内で就業調整をする人もいるが、その場合は時給が低くなる。これに2016年4月に「スマート社員」が加わった。やはり、時間あたりの職務給(基本給)は同じだが、残業ゼロか、職務限定かを選ぶことができる。出産・育児や介護といったライフイベントに合わせて、働き方を変えたいという社員が増えたことに対応するものだ。人数でみると、社員が約6割、パートナー社員が約4割、始まったばかりのスマート社員は現在200人ほどといった割合だ。
「全部同じ処遇だと、かえってバランスを欠く」
コース間の行き来もできる。これまでもパートナー社員から正社員への登用は行われていたが、これに加えて2016年春から、スマート社員への転換も始まった。子育てを理由に、正社員からスマート社員に転換した社員は、昨年は100人ほど。またパートナー社員からスマート社員への変更も昨年は100人ほどいた。一時的な職種変更も可能だという。スムーズな移行ができるのは、同じ仕事なら時間当たりの基本給が同じだからだ。どんな雇用形態であっても、どのグレードにいるかで時給が決まるため透明性が高い。
ただし正社員もパートタイマー社員も「全部同じ処遇だと、かえってバランスを欠く。金銭的処遇差も必要だ」と人事担当は語る。正社員には、転勤もあれば、トラブル対応・緊急対応にあたる時間外勤務もある。負う責任も違えば、負担感も違う。その分「金銭的処遇差」をつけないと、社員の納得感は得られない。「公平感」を保つには、金銭的処遇差と非金銭的処遇差の双方をにらみながらバランスをとる必要があるのだ。
そこで、賞与や手当、退職金で差をつけている。例えば、正社員の賞与を100%とするなら、スマート社員は70%、パートナー社員は少額。退職金も、正社員には100%支給されるが、スマート社員は「一部」、パートナー社員は「なし」といった具合だ。手当も、正社員には、住宅手当や子供手当があるが、そのほかの社員にはない。年収換算して比べると、正社員5:スマート社員4:パートナー社員3、といった比率になるという。
これから同一労働同一賃金を導入する企業では、人件費のアップが気になるところだろう。非正規の処遇改善をする分、正社員の賃金引下げも起こりかねない。りそな銀行の場合、2008年に導入して以来、人件費の負担増はなかったのか。
同行の場合、もともとパートナー社員の時給水準が高めで、制度変更前の時給でグレードを決めたため、導入時の人件費のアップはなかったという。ただし、その後は評価に応じて上がるか横ばいのどちらかとなる。そこで少しずつ人件費は膨らんでいったが、コスト増のマイナス面よりも、社員のモチベーションが上がることによるパフォーマンスの向上といったプラス面のほうが大きかったという。
「人件費が膨らんでも、パフォーマンスが向上すれば、総額としてはコントロールできると考えていた」と人事担当。こうした考えにもとづく同一労働同一賃金は、同行の経営立て直しを成功させた故細谷英二会長の置き土産のひとつである。
何が「合理的」な処遇差で、何が「不合理」なのか
現在も議論が進む「働き方改革実現会議」には、同行の人事担当役員も参加している。ここでの議論も踏まえて、昨年末には「同一労働同一賃金」の政府ガイドライン案が示された(図3)。基本給、賞与・手当、福利厚生、教育訓練・安全管理の4分野にわたり、正規と非正規の従業員の間でその差が合理的と認められるか否かの指針を示すものだ。
このガイドラインをみると、欧州の同一労働同一賃金の「運用方法」をモデルとしていることがうかがえる。東京大学の水町勇一郎教授は、『非正規雇用改革』(日本評論社)のなかで、欧州の事例をこう解説する。同じ仕事をしているからといって、賃金をまったく同じにすることは、キャリアコースの違いなどから実際には難しい。そこで手当や福利厚生も含めて同一労働同一賃金に近づけるという運用がなされている。欧州の先例もふまえ「均衡待遇の実現に向けては、賃金のみならず待遇一般を対象とする必要がある」という。
昨年末に開かれた働き方改革実現会議では、人事・雇用の専門家、そして労使の間でも、こうした考え方で概ね一致している。日本政府のガイドライン案は、この議論を踏まえて策定されたものだ。
2011年に厚生労働省が行った有期労働契約に関する調査を見ると、正社員と有期雇用者の間には、家族手当、住宅手当、また福利厚生などで大きな差がある(図4)。基本給以外の手当についても、その差に合理性があるかを問い直す必要がある。
そうした視点で、図3の政府ガイドライン案を今一度見てみよう。
賞与では「同じ貢献なら同一の額を支給すること」とされ、役職手当や時間外手当の割り増し率、通勤手当や単身赴任手当についても同一とするようにと示された。ただし、家族手当や住宅手当については明記されていない。賞与に関しては踏み込んだ指針となっており、役職手当や時間外手当の割り増しについても、均衡待遇への一歩となるだろう。
教育訓練はどうか。職務内容が同じなら、正社員と非正規従業員の教育訓練の機会も同じとすることとされた。もし実現すれば、均衡待遇に近づける後押しとなるはずだ。
もっとも注目される「基本給」については、①職業経験や能力、②業績・成果、③勤続年数――という3つの評価基準が提示された。ただしキャリアコースなどで差をつけることは認められるという。このあたりは企業によって解釈・運用が分かれそうだ。合理的な差とは何か、何が不合理な差なのか、さらなる議論が必要だろう。
今後は、こうした処遇差について企業に説明責任を求めるか否かも焦点となる。実効性をいかに担保するかが重要だ。
同一労働同一賃金は単体で導入してもうまくいかない
懸念されるのが、「法令順守」のために、正規と非正規の「職務分離」が行われることだ。同一労働同一賃金が導入されると、正規と非正規との処遇差に合理的な説明が求められるようになるが、実際には難しい。そこで企業側は「説明ができないから、仕事をはっきり分けてしまえ」となり、職務分離が進むおそれがある。そうなると、非正規従業員はステップアップが難しくなり、正規雇用への道が閉ざされる可能性もある。
働き方改革実現会議に参加したイトーヨーカ堂の人事マネジャーが、「(同一労働同一賃金の導入で)非正規雇用者が定型業務に特化されてしまい、正社員へのキャリアパスを描きにくくなり、今以上に正規、非正規の格差が拡大する懸念がある」と発言したのは、こうした理由からだ。「最も重要なのは、多様な働き方に対応する選択肢を設計して、正社員への登用の機会を設けて実現すること」だという。
目指すべきは、「職務分離」ではなく「職務融合」。正規も非正規も、性別も国籍も関係なくすべての人が持てる力を発揮できる環境を整えて、企業の活力を高める。そのための同一労働同一賃金であるはずが、表面的に法令順守をするための「職務分離」が起こりかねない。そうしたリスクも念頭に置く必要がある。
「同一労働同一賃金は、目的ではなく手段である」
経営改革そして雇用改革に取り組んできたりそな銀行に学ぶなら、それぞれの企業が同一労働同一賃金という「手段」を使って達成しようとする「目的」を、まずは真摯に見定める必要があるだろう。
前出の山田久氏はまた、同一労働同一賃金は単体で導入してもうまくいかないと指摘する。働き方改革、雇用制度改革、そして家族の在り方、社会システムの変革があってこそ真に機能するという。
メンバーシップ型雇用のどこを残して、どこを変えるのか。男性が稼ぎ主というモデルが崩壊しつつあるいま、夫婦の役割分担をどう見直すのか、税制・社会保障制度をライフスタイルに中立な仕組みにどのように変えていくのか。社会全体のパラダイム転換が求められている。同一労働同一賃金の実現は、非正規雇用者の待遇改善という問題にとどまらない、大きな課題を我々に突きつけている。
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