「結婚すれば給料を払わずに、私をタダで使えるから?」

<その2>妻の家事労働は愛情表現であり、無償で当然という価値観から抜け出す。

 こうして奇妙な契約結婚が始まった。その後、次第に愛情が芽生えて…といった恋愛コメディが展開するが、それは今回の本題ではないので、一気に最終回に飛ぶ。契約結婚をやめ籍を入れて正式に結婚しようと申し出た津崎に、みくりはこう言う。

「結婚すれば給料を払わずに、私をタダで使えるから?」
「それは好きの搾取です」
「愛情の搾取に断固として反対します」

 結婚すれば、有償労働が無償労働になってしまうのか。愛情があれば家事を担うのは当然と思っているの?という問いなのだ。

 とまあ、妙に理屈をこねることもなく「逃げ恥」は、

「家事も評価されるべき労働である」
「家事は妻が無償で担う愛情表現とも限らない」
「場合によっては、家事代行という形でアウトソーシングすることもできる」

ことを、コミカルに描いて見せた。そして、なんとなく「主婦の役割って何だろう。家族愛ゆえ何でもやってくれて当然なの?」という疑問をかすかに芽生えさせ、さらには「家事を家族以外の人に頼んでもいいんだなあ」という意識を多くの人にふんわりと植え付けたようだ。

 さかのぼってみると、専業主婦のいる家庭が「標準世帯」となってからの歴史は、意外と浅い。戦後に会社勤めをする世帯主が増え、一家を支えるだけの収入が得られるようになると、専業主婦が増えていった。

 勤め人の夫が大黒柱となり、専業主婦の妻が家事育児を引き受け、子供は二人――こうした家庭が「標準」となったのは、1970年代のこと。一橋大学の木本喜美子教授は、こうして確立した性別役割分業の中で「家事=愛という神話」が生まれることで、女性には母性愛があるはずだとして、家事や育児の手抜きが行われれば、ただちに「愛」という名の下で裁かれるようになったという。

 こうした専業主婦の母の手で育てられた20代、30代の女性には、家事は女性の仕事であり、かつ愛情表現であるという意識が根強い。当然ながら、無償労働で当然という考えだ。

 「働き方改革」は、職場だけで済む話ではない。長時間労働の背景にある性別役割分業意識を変えましょう、という提案でもある。家事育児は妻がひとり無償で担って当然という思い込みから抜け出して、夫と分担する、必要に応じてアウトソーシングするといった発想も必要だろう。「逃げ恥」はこれまでの固定概念に、少し風穴を開けたともいえる。

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