昨年TBS系列で放映されたテレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」、略して「逃げ恥」。恋愛下手な男性と、就職できない女性が、なんと「契約結婚」…と突拍子もない設定のコミカルな恋愛ドラマは、番組最後の「恋ダンス」がユーチューブで話題を呼んだこともあり、最終回は視聴率20%を超える大ヒットとなった。実はこのドラマは、いま議論が盛り上がる「働き方改革」を考える上でも、多くのヒントを秘めている。
「恋ダンス」人気もあり、大ヒットとなったテレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」、こと「逃げ恥」。実はこのドラマの内容は、「働き方改革」に通じる。
こういうと「なんだそりゃ」と思う人も多いだろう。幅広い世代が純粋に楽しんだエンターテインメントを理屈っぽく分析するのも無粋だが、「逃げ恥」からは、いま話題の働き方改革につながる重要な視点が読み取れる。
これまで日本企業の長時間労働を支えてきたのは、夫婦の性別役割分業でもあった。残業をいとわず働く夫と、家事育児を一手に引き受ける妻――。妻が家事育児を担ってきたからこそ、男性社員は残業をいとわず働くことができた。
だが、もうこうした働き方では会社も家庭も回らないから見直そう、となったとき、育児や介護も含めて家事を誰がどう担うのか。
「逃げ恥」から、解決策を考える3つのヒントを挙げてみたい。
<その1>「家事」は立派な労働であり、年収300万円ほどの価値がある。
「逃げ恥」を初回から楽しんだ方は、「契約結婚」の約束を交わすシーンが記憶にあるだろう。高学歴で恋愛経験ゼロの津崎(35歳)と、大学院を出ても就職できないまま家事代行のアルバイトを始めたみくり(25歳)が、ひょんなことから契約結婚をすることになる。
「家事労働の平均は年間2199時間……」
「年収にすると304.1万円」
契約結婚の条件を取り決めるにあたり、二人はこんなやりとりをする。家事を年収換算なんてできないだろう、と違和感を覚える人もいるかもしれないが、実はこの数字には、根拠がある。内閣府が5年毎に行う「家事活動等の評価について」という調査によるもので、家事や育児・介護といった「無償労働」を金額に換算したデータである。
2013年に発表された直近の調査では、専業主婦(無業有配偶)の無償労働は、年2199時間で304.1万円。一方共働きの女性(有業有配偶)の場合は年1540時間で223.4万円とされた。ちなみに、働いている既婚男性の無償労働は、年250時間で51.7万円に相当するという。つまり、ドラマの中では専業主婦の無償労働の推計値が引用されたことになる。
給料をもらう、あるいは稼ぎを生み出す有償労働に比べると、無償労働は見えにくいし、評価もされない。そこで「シャドウ・ワーク」と呼ばれることもある。その価値を、金額として「見える化」したのが、内閣府の調査である。
理論派の津崎は、1日7時間労働として月給19万円を払い、そこから同居する部屋の家賃や光熱費を折半するとして手取り額を試算した結果、「主婦として雇用することは、僕にとっても有意義であるという結論に達した」と提案する。失業中のみくりもまた、ひとつの就職先として「主婦として雇用される」ことに合意する。
「逃げ恥」は、家事は対価を得るのにふさわしい立派な労働であることを示したともいえる。ドラマの人気で、家事代行という仕事がにわかに人気を集めているとも聞く。
「結婚すれば給料を払わずに、私をタダで使えるから?」
<その2>妻の家事労働は愛情表現であり、無償で当然という価値観から抜け出す。
こうして奇妙な契約結婚が始まった。その後、次第に愛情が芽生えて…といった恋愛コメディが展開するが、それは今回の本題ではないので、一気に最終回に飛ぶ。契約結婚をやめ籍を入れて正式に結婚しようと申し出た津崎に、みくりはこう言う。
「結婚すれば給料を払わずに、私をタダで使えるから?」
「それは好きの搾取です」
「愛情の搾取に断固として反対します」
結婚すれば、有償労働が無償労働になってしまうのか。愛情があれば家事を担うのは当然と思っているの?という問いなのだ。
とまあ、妙に理屈をこねることもなく「逃げ恥」は、
「家事も評価されるべき労働である」
「家事は妻が無償で担う愛情表現とも限らない」
「場合によっては、家事代行という形でアウトソーシングすることもできる」
ことを、コミカルに描いて見せた。そして、なんとなく「主婦の役割って何だろう。家族愛ゆえ何でもやってくれて当然なの?」という疑問をかすかに芽生えさせ、さらには「家事を家族以外の人に頼んでもいいんだなあ」という意識を多くの人にふんわりと植え付けたようだ。
さかのぼってみると、専業主婦のいる家庭が「標準世帯」となってからの歴史は、意外と浅い。戦後に会社勤めをする世帯主が増え、一家を支えるだけの収入が得られるようになると、専業主婦が増えていった。
勤め人の夫が大黒柱となり、専業主婦の妻が家事育児を引き受け、子供は二人――こうした家庭が「標準」となったのは、1970年代のこと。一橋大学の木本喜美子教授は、こうして確立した性別役割分業の中で「家事=愛という神話」が生まれることで、女性には母性愛があるはずだとして、家事や育児の手抜きが行われれば、ただちに「愛」という名の下で裁かれるようになったという。
こうした専業主婦の母の手で育てられた20代、30代の女性には、家事は女性の仕事であり、かつ愛情表現であるという意識が根強い。当然ながら、無償労働で当然という考えだ。
「働き方改革」は、職場だけで済む話ではない。長時間労働の背景にある性別役割分業意識を変えましょう、という提案でもある。家事育児は妻がひとり無償で担って当然という思い込みから抜け出して、夫と分担する、必要に応じてアウトソーシングするといった発想も必要だろう。「逃げ恥」はこれまでの固定概念に、少し風穴を開けたともいえる。
男性より長時間労働の日本人女性
<その3>共働き夫婦は、単なる「家事分担」だけではうまくいかない。
「逃げ恥」はドラマ終盤、正式な結婚を約束した二人が、家事分担をめぐって「夫も妻も共同経営責任者である」として、話し合いを行う。
IT企業で優秀なSEだった津崎はリストラを告げられて転職活動中。家計は厳しくなることが予想される。一方、みくりは地元商店街の「青空市」のコーディネーターという「副業」を始めており、さらにはタウン誌のライターの仕事をしたいという。「給料を外から引っ張る作戦」だ。しかし家事に充てられる時間は減る。
さて、どうするかという「家事の合戦」が始まった。共働きとして、新たなシステムを構築していくという。
どこの共働き家庭でもそうであるように、二人の家事分担もまた、すんなりとは決まらない。しかし二人が、最初に家事労働にかかる時間を見積もり、経済的価値を評価して、共通認識として持っていることは大きいだろう。
ここで、下図をご覧いただきたい。先進国の中でも日本人の女性は、無償労働と有償労働を足し合わせると、最も長時間働いていることがわかる。睡眠時間も、先進国の女性のなかで一番短い。
夫婦のバランスでみると、日本人は妻の無償労働時間が際立って長く、一方、夫の有償労働時間が極めて長い。日本人男性は働き過ぎとよくいわれるが、家事育児の時間も考えると、日本人女性もまた働き過ぎといえそうだ。
労働時間は、稼ぎを得る仕事だけでは測れない。夫婦それぞれの家事労働を「見える化」することで、初めて負担のバランスが見えてくる。実際に、共働きカップル、それも子育てに忙しい夫婦に聞くと、分担の話し合いは家事の「見える化」が出発点になるという。
「子供と向き合うのは幸せだが、家事は好きでやっているわけではない」
乳幼児を育てる共働きの女性4人に話を聞いた席のこと。週刊誌「AERA」が紹介する、夫婦の家事分担チェック表が実に役立つという話で盛り上がった。
夫と妻、それぞれが担当する家事、育児の分担を色分けしてみると、妻の色でほぼ染まるという。夫は、朝保育園に子供を送っていくことで、「イクメン」を自認するものの、そのほかは妻の分担が大半であることが一目瞭然となる。「共同経営責任者」の話し合いでは、家事分担の偏りを示す、重要な会議資料となる。
また、忙しい夫婦ではスケジュールを共有するスマホアプリが必須だという。互いのスケジュールを共有することで、保育園の送り迎えといった予定が調整できる。
最後は、根気よく「対話」を続けることが、何より大切だという。
ある女性は、子育てをしながら経理のプロとしてばりばり働いてきたが、二人目を出産した後、思いつめてしまった。SEの夫は、残業続きでほぼ毎晩終電帰り。「私一人で子育てをしながら仕事を続けるのはもう限界だ」と思ったのだ。深夜に帰宅する夫をつかまえては、諦めずに話し合いをした。
ある時、「子供と向き合うのは幸せだが、家事は好きでやっているわけではない」と言ったところ、夫は驚いた表情を浮かべた。夫の母親は専業主婦だったせいか「家事は女性がやるもの」と思い込んでいたという。夫婦二人で子育てしながら仕事を続けるにはどうしたらいいか――。対話を重ねて、夫は子育てと仕事が両立できる会社への転職を決意したという。
仕事の「見える化」と、スケジュール共有、そして何より大切なのが夫婦の「対話」―-。もし前回の記事「働き方改革は、信頼に根差した『対話力』革命」をお読みいただいているとしたら、すでにお気づきだろう。家庭においても、職場で「働き方改革」を進める上でのポイントがそのまま当てはまるのだ。
こうしてみると「逃げ恥」は、これからの働き方、夫婦の在り方を考える上でも示唆に富む。エンターテインメントとして楽しめるだけではなく、今という時代を映した社会性という点でもヒット作といえるのではないか。「小賢しく」分析するなら、そんな評価もできるだろう。
『女性に伝えたい 未来が変わる働き方』(野村浩子著、KADOKAWA刊)
元『日経WOMAN』編集長が提案する、二極化時代の新しい生き方、働き方
働きにくさ、生きづらさを変えるためのヒント。
男女雇用機会均等法の施行から30年が経ち、女性たちの働く環境はどう変わったか。多様化する時代の中で、自分らしく働くためにはどうすればよいか。豊富な事例から、新しい時代の「働き方」「生き方」を探る。
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