ただ「来てくれ」じゃない!JAがこだわった地域貢献への思い

写真左:学校は地元にとって特別な場所。JAなめがたは小学校らしさを残すことにこだわり、門扉もそのまま残された。 右:もう一つのこだわりが、単なる工場ではなく体験ができる場所にすることだった

 白ハト食品工業は大阪府守口市に本社を置く食品メーカーです。さつまいも菓子店「らぽっぽ」など、「いも・たこ・なんきん」をモチーフにしたスイーツやたこ焼き店で知られ、大学芋の国内販売ではシェア8割を誇ります。

 1947年創業時は白ハト商店として白ハト印のオリジナルアイスの製造販売を行っていましたが、1970年スイートポテトを開発、芋菓子専門店を初出店。その後、1987年「らぽっぽ」1号店をオープン、1990年にはらぽっぽの代名詞ともなっているポテトアップルパイを開発。2000年農業生産法人育みの里しろはとを設立し、原材料となるさつまいもの栽培を開始。2005年には宮崎工場を建設、産地から集めたさつまいもを宮崎工場で一次加工をした後、神戸工場に送り、そこで商品として加工出荷するようになりました。

 また、白ハト食品工業ではこの頃、関東に1つ工場を持つことを考えはじめていました。健康ブームもあり、さつまいも菓子の市場は今後も成長が見込まれますが、農家の減少や高齢化は年々深刻さを増していました。白ハト食品工業は市場が求める優れた商品や製造技術や販路を持っていますが、高品質の原料の安定確保ができなければ、企業としての発展は望めません。

なめがたファーマーズ・ヴィレッジ(農業生産法人、株式会社なめがたしろはとファーム)年表

 JAなめがたとは2005年、白ハト食品工業が行っていた契約農園の「おいも株オーナー制度」をきっかけに出会いました。当初は市場に出せない規格外商品の取引が中心で、JAは白ハト食品工業が何をやっている会社かも知らなかったといいます。しかし、宮崎や神戸の工場を見に行き、さつまいもの菓子製造をしている会社だと知り、産地である行方での工場建設を提案しました。

 JAなめがたは農業王国茨城県で鉾田市に次ぐ、さつまいもの一大産地ですが、農業の就業人口の減少と高齢化は深刻で、なんとか地元の若者の働く場を創りたい、農業の後継者を育てたいという思いがありました。ただ行方への工場誘致の話が出た2008年からしばらくは目立った動きはありませんでした。白ハト食品工業では行方以外にも候補地の検討をしており、その時点では行方は候補地の1つに過ぎませんでした。

 事態が動くきっかけとなったのは皮肉にも茨城県にも大きな被害をもたらした2011年の東日本大震災でした。特に大きな打撃となったのが原発事故による風評被害でした。産地はどん底だったといいます。

 震災後、白ハト食品工業では様々な復興支援の取り組みを行っていましたが、2012年のスカイツリーの開業に合わせ、JAなめがたの全面協力の下、スカイツリータウンに「ソラマチファーム」を開設。このプロジェクトを機に、白ハト食品工業とJAなめがたの信頼関係と絆は非常に強固なものになったといいます。

 同時期、行方市では学校の統廃合計画が持ちあがっていました。JAなめがたでは統廃合が予定されている18校を全て廻り、候補地を2つに絞り込み、それを白ハト食品工業に見てもらいました。最終選考の決め手となったのは周辺に民家がないこと、耕作放棄地、そして近くに県の施設「白浜少年自然の家」と「レイクエコー」があることでした。

 誘致に当たり、JAなめがたは幾つか強いこだわりを持っていました。それは、単なるさつまいもの加工工場にしないことであり、体験型の農業ができるようにすることでした。県の施設には宿泊施設や各種体験・研修施設などがあり、これを一体として活用できれば、観光、教育、交流などの事業に生かせるため、地域の活性化にも結び付きます。

 もう一つが地元の人にとって愛着ある学校への思いを大切にすることでした。整備計画では学校の面影を残したものにして欲しいという要望を伝えました。こうした施設の誘致をする場合、計画は企業主導で、地元は来てくれればいいというスタンスになりがちですが、JAなめがたが最もこだわったのがこれが地域のためになる、地域貢献の視点でした。

 また、このプロジェクトを成功させるため、地元で4回に渡り説明会を開催、行政の協力や農家の理解を得る取り組みを行いました。これにより事業へ東京ドーム7個分、10万坪の耕作放棄地の提供、300名に及ぶ農家からの出資を取り付けることにも成功したのです。