民芸運動が見いだした日用雑器の美

昼夜問わず唐臼の音が響く、のどかな田園風景を残す小鹿田焼の里(画像提供:公益社団法人ツーリズムおおいた)

 森さんが注目するやきものの産地として挙げたのが、「小鹿田焼の里」です。大分県日田市の最北端、福岡県との県境に位置するやきものの里は、地元で採取した土で陶土づくりを行うところから登り窯での焼成まで、全工程を手作業で行う数少ない窯です。現代においても、電動ろくろもガスや電気窯も使わず、土は天日干し。陶土を粉砕する唐臼は樹齢50年以上の赤松を使用し、動力は河川の水流。窯焼きの燃料には周辺で産出される杉材を用いるなど、300年以上変わらない方法でやきものを作り続けています。

 窯元は10軒のみで、いずれも開窯以来、一子相伝の慣習を守り続けています。独特な意匠を作り上げる金属製の道具によって施される細かい連続紋「飛び鉋(とびかんな)」や、菊の花びらを思わせる「打ち刷毛目」等の陶芸技法は、1995年に国の重要無形文化財に指定されています。ブランドは窯元共通のもので、器に個人の名入れをすることはなく、窯に序列はありません。

 小鹿田焼の里では豊かな水や土、森林等の資源を巧みに生かした生活・生業が営まれてきました。昼夜問わず動き続ける唐臼の音は絶えることはなく、石積みの棚田など、のどかな田園風景を現代に残しています。その景観は2008年、国の重要文化的景観(2005年の文化財保護法改正により誕生した新たな文化財)に選ばれました。

 小鹿田焼の開窯は1705年、文禄・慶長の役の後、九州に渡来した技術が小石原焼(福岡県)より小鹿田にもたらされたと伝えられます。その名が全国に知れ渡ったのは1931年、民芸運動の創始者、柳宗悦が小鹿田を訪れて「豊後に残るこの匿れた窯こそは世にも不思議な存在」と紹介してから。1954年には英国の陶芸家、バーナード・リーチが浜田庄司や河井寛次郎らとともに訪れて三週間に渡り滞在。作陶や飛び鉋などを研究する一方、他の産地に見られない取っ手付きの水差しが小鹿田では古くから作られているのを見て、英国式の取っ手の技法を伝えました。

 1926年に、柳が浜田庄司や河井寛次郎らと提唱した「美術工芸の歴史で見過ごされてきた無名の職人によって作られた生活雑器の美に留め、その美を広める」民芸運動は1950年代にブームを巻き起こし、小鹿田焼など日本の古民芸の復興に寄与しました。その精神は「名もなき工人によって作られたものには殆ど作為の傷がない。自然であり、無心であり、健康であり自由である。そこに純日本の世界がある」というものでした。

 インバウンドの活況によって日本の価値が見直されている中、こうしたムーブメントは再び起こるのでしょうか。

小鹿田焼の里(画像提供:公益社団法人ツーリズムおおいた)

 インバウンドでは、茶の湯などの日本文化の体験も人気です。ただ、日本生産性本部発行の「レジャー白書」によると、「陶芸」への参加人口は2009年の470万人から2015年は200万人へ、「お茶」は2009年の420万人から230万人へと、この数年で半減。市場規模は縮小の一途をたどっています。陶芸や侘茶もある種「モノ化」し、文化という「コトの本質」を失っているように感じます。

 例えば、器は料理を載せて完成するもの。「美しい器を使うことで生活が豊かになる等の提案や体験など、日本文化の足元を今一度見直し、価値創造をしていく必要があるのではないか」と森さんはいいます。

 波佐見(長崎県)では器の魅力を知ってもらうため、器に料理を盛り付ける講座を開催。瀬戸本業窯(愛知県)では「窯横カフェ」を開業し、自らの器で料理を提供して豊かな生活を体験してもらう場にしています。佐賀県唐津市の「唐津焼」では唐津やきもん祭り「食と器の縁結び」で、唐津の食材をいかした美食と唐津焼とのマリアージュをうたい、食と地酒、器のコラボなどに取り組んでいます。

 しかし、こうした取り組みも一部の産地や業者に限られ、一過性のイベントに止まりがちです。業界全体での気づきや変革を促す動きは今後出てくるのか。民芸運動からそろそろ100年、平成の柳は現れるのか。日本のやきものの復活を強く望むものです。

参考書籍
有田焼継承プロジェクト編「有田焼百景」(ラピュータ刊)、「明治有田超絶の美」(世界文化社)、「小鹿田焼」(美術書出版 芸艸堂)、「日本の博物館2 民芸の美」(講談社)、「柳宗悦と朝鮮」(明石書店)