「中華人民共和国」は全部日本語

山田:先ほど(対談の第2回参照)沖縄の話を伺いました。中国人が史実として間違えてないのに、日本人には暴論に聞こえてしまう。ここの部分をもう少し掘り下げて教えていただきたいのですが。

岡本:私は、翻訳概念という形で自分の研究をやっているんです。例えば西洋と東アジアが交錯してきたときに、日本は非常に鋭敏に反応して、すぐ近代化を進めようとした。ただ、西洋のいろいろな言葉をどう表現したらいいかに苦労した。その時に基本的には漢字でそれを言い表すようなことをやったわけです。

 それが例えば、中国とか東アジアで流布しているような言葉を、西洋の翻訳語だとしたときに、意味の重なり合いというか、にじみ合いというのが出てくるというプロセスが、明治時代にはあった。一番分かりやすい例では、「国家」という言葉がありますが、日本人は「ネーション」とか「ステート」の意味で使うわけですが、同じ時代に中国では国家といったら、それはただの王朝の意味でしかない。

 内閣もそうですよね。我々は普通に安倍内閣など、「キャビネット」の意味で使うんですけど、もともとは「内」は宮内庁の「内」、宮中の意味で、「閣」というのは学問所の意味なんです。いわば天皇の家庭教師と、そういう意味なんですよね。要するに天皇のご相談役みたいな家庭教師。そういう歴史を日本人は知っているから、内閣というのをキャビネットの翻訳語にしたんだろうと思います。それが今度、中国に逆輸入されて、袁世凱が内閣総理大臣になった。

 沖縄の文脈にもどりますと、中国は伝統的に沖縄は中国の属国だという。もともと属国と言ったら上下関係の下を意味していて、「小さい国だから大きな中国に対して頭を下げて儀礼します」というだけの関係。だから、属国といっても間違えてないんですけど、ただ西洋のカテゴリーの翻訳概念で属国と言ったら、それは「琉球の主権が奪われるんじゃないか」という発想になってしまう。そんな滲み合いが近代史・日中対立のプロセスですね。歴史的事実で「属国」だと言っても、それだけにはとどまらない概念になってくる。

 中国の人も、日本人がそうやって作った翻訳概念というのを大量に中国語に受け入れた。先ほどの「国家」、中国語で発音すれば「グゥオジア」という言葉もそうです。それこそ「社会主義」という言葉も日本人が作った言葉。「社会」という言葉は中国にはなかったんですから。

山田:そうですか。

岡本:「中華人民共和国」というのは全部日本語です。中華と言ったら、昔は文明の中心という意味でチャイナではなかった。チャイナでなくても中華はあったんですね。それがチャイナの意味になったのは、日本人が中国のことを支那と言っていたら、中国人が支那は嫌だから中国と言うんだと言い張って、初めてチャイナが中国になったんです。それが「中華」です。「共和」という言葉が「republic」の意味になったのは日本人がそうしたんです。これはいつも笑い話で言うネタです。

山田:中国文学者の高島俊男さんは、支那は本当に悪い言葉だろうか? とおっしゃっていましたね。

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