中国の歴史学者として著名な岡本隆司・京都府立大学文学部歴史学科教授をお招きして、中国との付き合い方について考察する第3回。今回は、中国を理解するための歴史の重大性などについてご教示いただいた。
(前々回の記事「西洋の物差しで中国を測るから見誤る」から読む、
前回の記事「『自分が上に行きたい』中国人との付き合い方」から読む)

京都府立大学文学部教授。1965年京都市生まれ。神戸大学大学院文学研究科修士課程修了、京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(文学)。専門は近代アジア史。多言語の史料を駆使した精緻な考証で、現代の問題にもつながる新たな歴史像を解き明かす。
著書に『近代日本の中国観』(講談社選書メチエ)や『歴史で読む中国の不可解』(日経プレミアシリーズ)など。
山田:こと中国を見るために、こういうことを勉強したらいいよとか、基本的にこういうものを押さえておいた方がいいよ、みたいなことはありますか。先生の著書を読むのはもちろんなんですけど。
岡本:中国といっても、世界のうちの1つですので、やはりほかの世界のものと比べられるような構えを付けておくことはとても重要だろうなと思います。それは歴史で言えば、日本史でも西洋史でもいいんですけど、やっぱり両方を見ることをぜひやってほしいです。
西洋の近代史でもいいですし、中世史でもいいです。勉強をすると中国史の展開とどう違うかというのがよく分かります。歴史の研究は、やはり1つのことに没入することで非常に精密な研究ができるので、決して否定はしません。ただ細かいトリビアが分かったから、じゃあどうなの、という話にどうしてもなります。
大きな文脈で、どのように位置づけられるのかを常に考えるためには、大きな範囲で見ないといけない。じゃないと、中国がどういう位置付けにあるかとか、日本がどういう位置付けにあるかというのが分からない。日本だけで日本を語るというのは、日本を知ったことにはならないと思います。
山田:そうですね。日本に来た外国人に、何で日本に来たの、日本の何を見に来たの、といったことを聞くテレビ番組が人気だったりしますけれども。
岡本:外国の教育体系だとか、社会状況があって、そういうことを分かった上で、日本に来た外国人に聞いているんだったらそれでいいと思うんですよ。単に日本に来た外国人に、何で日本に来たんですかと聞いただけでは意味ないですよね。
山田:それだと、自信をなくしているから単に褒めてほしいだけになりますね。
岡本:昔は自信があったんでしょうね。ですから、韓国とか中国に対して日本人はすごく鷹揚でしたから。ただ、間違った自信の持ち方をしていたのが最近分かってきて、今度は嫌韓、嫌中となる。日本人はちょっと短絡的だなというのは分かりますね。
山田:短絡的。本当ですね。
岡本:向こうの人たちはたぶん変わってないんですよ。日本に対する見方も、自分たちのスタンスの取り方も。
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