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岡本:ニワトリと卵じゃないですけど、そっちの方も大きいかなとも思います。中国の印象が悪くなる、嫌いになるから興味が持てない、興味が持てないので、歴史にも興味を持たない。どんどん知らなくなってくる。負のスパイラル的なところがあって、それこそ日中の関係が悪くなったときが、決定的なタイミングだったのかなという気がします。

 一方で、2000年前後に日中関係が悪くなる前までは、中国に対して好意を持っているというような部分も結構あったように思います。日本人って、「あまりよく知らないからこそ憧れる」みたいなところがありますから。ただ、よく見えてくると幻滅する。ちょうど尖閣諸島の件などですごくぶつかり合いがあって。

山田:そうですね。

岡本:何はともあれ、昔だったら「嫌いだ」とか、とにもかくにも意思表示はした。ところが最近は、本当に「興味がない」という感じです。

山田:ただ、隣にいるんだから「興味がない」ではすまないですよね。

岡本:そうなんですよね。非常に厄介な人たちですけれども、だからといって引っ越せないですから。

中国は上下関係で物を見る

山田:でもちょっと極端な言い方をすると、コケにされっぱなしですよね。日本の場合はね。中国にも韓国にも翻弄されているというか。向こうが1枚も2枚も上手です。

岡本:わりと日本がこういうことしかできないというのを、向こうは見切ってやっているという部分もあるのだと思います。確かに日本のほうは、選択肢が少ないんですけれども。ただ山田さんがおっしゃっていたみたいに、日本は本当に一喜一憂というか右往左往という感じですね。

 韓国とかを見ていると、朴槿恵政権と文在寅政権って何が違うの、みたいに感じます。国内的に右派と左派が違うだけで、基本的には日本に対してや、あるいは外に対する姿勢なんていうのは、まったく変わってない。それは中国でも、同じだという気がしています。

山田:本当にそうですね。我々は延々と見誤り続けているわけですけれども、そこで今日は、中国を見る上で、ここだけは押さえておいた方がいいんじゃないか、ということを伺いたいなと思うんです。やっぱり孔子の儒教でしょうか。

岡本:そうですね。儒教はすごく常識的な教えで、それを基盤にして中国は独自の思想、物の考え方、フレームワークをつくってきたのでは、といった感じでとらえています。ほかに表現のしようがないので、儒教的な枠組みという言い方をしているのですが、何か教義というよりは、思考法・発想法というべきでしょうか。人でも集団でも国でも、上下関係で物を見ている。

 人間世界の現実としては当然で、人が違えば腕力も違うし、知能も違います。立場が違えば、上司部下の関係になりますし、歳が違えば、先輩後輩の関係になります。とにかく対等、平等はあり得ないというところから出発をして、じゃあ、その関係はどう円滑にするのかとか、破綻を来さないようにするのかということを、もともと考えたのが儒教の出発点なんだろうと思っています。