上海に出現した移動式書店
上海に出現した移動式書店
[画像のクリックで拡大表示]

 ところが、季風書園の「当代中国問題」の棚には、中国社会の不平等の根源になっている戸籍制度から、都会で働く農民工の日々の生活を聞き取り調査したルポルタージュ、現金のない農民の困窮につけ込んで出現した高利貸しの実態、都会で働く父母と離れて農村の実家で暮らす子供たち「留守児童」の実情を伝えるもの等々、農民工の問題を考える上で知りたいと思っていたことを書いたものはもちろん、この棚で初めて知った新たな問題を書いた本までが、体系的に網羅的に揃えてあったのだ。

 私の関心は主に現代中国なので、他の棚はそこまで熱心に眺めていないが、季風書園が「上海の知のシンボル」とまで言われるようになったのは、他の分野も同じだったからだろう。季風書園の「当代中国問題」の棚に出会っていなければ、私は農民工をテーマにした『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』を書き上げられた自信がない。

 その季風書園に逆風が吹き始めたのは、北京五輪が開催された2008年である。この年、地下鉄陜西南路駅構内にあった旗艦店が、契約更新の交渉で、大家の上海地下鉄公司から10倍の値上げを突きつけられ、一夜にして存続の危機に立たされた。この時は「上海の文化の火を消すな」と上海の知識人たちが立ち上がって存続運動が起こり、世論に押された地下鉄公司側が、季風書園側が受け入れ可能な価格を提示し、同じ場所での存続が決まった。

 ただ、この年を機に、不動産価格の高騰と、コストの安さを武器に安売りを展開するネット書店の存在に、季風書店は一貫して脅かされることになる。存続が決まった陜西南路駅の旗艦店も、契約終了時の家賃交渉が折り合わず、2013年、地下鉄上海図書館駅構内の店舗への移転を余儀なくされた。

「上からの圧力」で閉鎖

 そして4年後の今年、季風書園は閉鎖を決断した。この4年間で、上海の不動産はさらに高騰した。季風書園のSNSを読むと、家賃高騰とネット販売の脅威は半ば恒久的な問題として抱えていたようだ。ただ、閉鎖の主因は家賃ではない。大家である上海図書館から、立ち退きを求められたからだ。理由として図書館側から、「国有資産の流出を防ぐよう上から通知があったのに伴い、現有資産の見直しを進めた結果、季風書園に賃借している店舗を図書館自身が活用することを決めたため」だとの説明があったと、季風書園は表明している。ただ同時に書園側は、「背後に、もっと深い理由があることを、私たちは感じた。それが何かについて、話すのは差し控えたい」とも話している。

 季風書園のこの説明を、上海の知識層は「上からの圧力があった」と解釈している。「だれからも独立した立ち位置」と「自由な思想」を標榜する同書店の品揃えやセミナーの内容を、当局が問題視した、というわけである。

 しかし、である。季風書店は、禁書を扱っていたわけではない。扱う気になればどの書店でも置くことができる本ばかりだった。

 また、確かに、「自由」「独立」「思想」と、この書店の掲げるモットーは、言論の自由に寛容でない中国共産党の中国とは一見、相性が悪いように思える。ただ、この書店が政権打倒の急先鋒で、独立主義者たちの精神的、思想的後ろ盾になっていたということもなかった。繰り返すが、禁書を扱っていたわけではなく、国内で流通が許される本のみを扱っていたわけだから。

次ページ 「リアル書店復興」の寂しい実態