筆者を育ててくれた季風書店の「当代中国問題」の棚

 私は今年、上海で育ての親を亡くした。

 と言っても死んだのは人間ではない。「季風書園」という名前の書店である。閉店は2018年1月31日なので、正確に言えばまだ死んではいない。今年の4月、店舗の貸し主である上海図書館から余命10カ月の宣告を受けた、すなわち契約を更新しないことを通知されたと公表してしばらくは、この店ならではの在庫をいまのうちに求めようという常連客が連日駆けつけたため、見舞客が大勢訪れる病室のような明るさのようなものも残っていた。ただ、本よりも空間の方が本棚に目立ち始めるにつれ見舞客ならぬ常連客も1人減り2人減りし、私が最後に訪れた12月初旬の店内にもはや生気はなく、命の焔が燃え尽きる前の華やぎのようなものも既に残ってはいなかった。

 季風書園は1997年、中国政府のシンクタンクである社会科学院で哲学の研究をしていた厳搏非氏が同院を辞め上海で立ち上げた。中国では全土が大混乱に陥った文化大革命(1967~77年)の期間中、大学入試が行われなかったが、厳氏は入試再開後に大学生になった第1期生である。

 創業時からのモットーは、「何者からも独立した文化の立ち位置」と「自由な思想の表現」。当時、中国の書店と言えば中国最大の国有書店グループ「新華書店」ほぼ一色で、どの書店を覗いても代わり映えしない品揃えが当たり前だった。こうした時代にあって、季風書店の独特な品揃え、とりわけ哲学、政治、思想の分野の充実ぶりは、上海の知識人の間でたちまち話題になり、ピーク時には上海市内に8店舗を構えるまでになった。紙の書籍の危機が言われたネット時代の到来にもいち早く対応し、他に先駆けて開いたネット小説家のサイン会を成功裏に終えるなど、ネットの脅威を逆手に取る才覚も見せた。書店が作家や学者を招いて開く公開講座のさきがけでもある。季風書園はこのころには上海の知のシンボル的存在だと言われるようになっていた。

 私もこの書店の本棚に育てられた人間の一人だ。

 2001年から上海に暮らし始めた私は、食事をしたり散歩したりという日常生活の中で、「どうして上海には安徽省の農村出身者がここまで多いのか?」ということに疑問を抱くようになる。そうして私は、農村からの出稼ぎ労働者「農民工」の存在を知る。その後、農民工との交流を深める中で、中国がとてつもない格差を抱えた社会であり、そのことが、中国の安定を揺るがしかねない問題に発展する恐れもありそうだと思い至る。

 そして、この問題についてさらに知りたいと上海の書店に向かうのだが、日本で言えば八重洲ブックセンターやジュンク堂、丸善本店といったような規模の大型書店でも、農民工の問題を扱った書籍は散発的に置いてある程度で、参考になりそうな本を見つけることはできなかった。

習近平体制を揺さぶる怒れる農民工たちのノンフィクション
3億人の中国農民工 食いつめものブルース

貧しくても、学歴がなくても、田舎者でも、希望を胸に生きてきた。
けれど、繁栄から取り残された――。
磐石の習近平政権を、絶望した3億人の農民工たちが揺さぶろうとしている。
これは、今まで誰も描くことのなかった、『中国版ヒルビリー・エレジー』だ。
本コラムの著者、山田泰司氏だけが知っている農民工の姿をこの1冊で。

●米国在住のエッセイスト 渡辺由佳里氏によるレビュー
繁栄に取り残される中国の『ヒルビリー』とは?

●調達・購買コンサルタント/講演家 坂口孝則氏によるレビュー
年収3万の農民に未婚の母、中国貧民の向かう先