星野:1984年です。当時は日本から個人旅行ができなかったので、ツアーで行きました。上海から入って、蘇州、杭州、北京を回るというとても一般的なルートでした。
できれば中国にもっと長く行きたいと思っていたところ、私の通っていた大学で香港と交換留学のシステムがあるということが分かり、じゃあ、香港でいいかなみたいな感じで、1986年に香港に留学したんですね。そのときは1年弱香港にいました。
日本に帰ってきてからは、大学を卒業して一般の企業に勤めました。ただ、香港が中国へ返還するのを見たくて、その10年後に再び、香港に渡って、2年間を香港で過ごしました。
ベトナム難民キャンプがぼこぼこあった香港

山田:そうですか。では、私たちが知り合ったのは、星野さんが初めて香港に渡ってから、10年後だったんですね。
星野:そうなんです。だから私の香港観の基本というのは返還時じゃないんです。80年代の香港。だから山田さんとはちょっとずれがあるんです。私の中では80年代の香港が最高の香港だと思っています。まだ香港にベトナム難民のキャンプがぼこぼこあったんです。
山田:ぼこぼこですか。
星野:そうです。文革のときには、私の留学先の大学があった近くの道路を、中国から逃れてきた人たちがぞろぞろと歩いていて、大学の学生寮にその人たちを収容したという話が、ついこの間のことみたいな感じで語られていたんですよね。香港の友達が九龍城(注1)生まれとか、文革でいとこが逃げてきたけど国境で捕まって身代金を要求されているとか、そういう話が生きていたころです。
だから返還の際に訪れたときは、私のイメージする香港はすでに変わっていたんです。私が求める香港はすでになくなっていた。
山田:求めているというのは?
星野:混沌とした80年代の香港がもうなかったんです。ベトナム難民キャンプもないし、バラックも相当なくなっていたし。
私は、中国大陸には旅行者としてしか行っていません。80年代の中国に住まなかったのは一生の後悔ですけど、まだ諦めてはいない。
山田:旅行とかでは行かれてました?
星野:90年代は頻繁に行っていたんですけど、最後に行ったのは2005年。その時点でもう中国に疲れました。
山田:その疲れるというのが面白いですね。
星野:私はやっぱり社会主義国家中国が好きなので、資本主義国家中国は疲れるんです。
山田:何に疲れたんですか。
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