この事件の一報を読んで、気は重かったが、気の置けない何人かの中国人の友人に事件のことを聞いてみた。全員、事件のことを知っていた。そして、「シナ」及び「シナ人」という言葉が本来、必ずしも差別的な意味で使われたものではなかったが、日中戦争につながる一連の時代の中で、日本人が中国及び中国人の呼称として使ったことで、差別的にとらえられるようになった、ということを、やはり全員が知っていた。そして、そういう経緯は分かっているが、「シナ」「シナ人」と目にし、耳にすれば、それは不快だと、やはり全員が口を揃えた。

 先の機動隊員が、「差別的な意図はなかった」と話しているということ、それについては信じたい。ただ彼らが故意でなくても、気分を害した人が大勢いた。それは伝えておきたい。

心に染みた濁音のない日本語

 今回、中国人の友人の1人に、沖縄の「シナ人」の件で話を聞きたいと頼んだら、「職場の近くに安くてうまい広東料理の土鍋ご飯の店ができたので、そこで食事をしながら話をしよう」と誘ってくれた。「ぼくが払います」「いや、話を聞かせてもらうんだから当然オレが」の押し問答の末、年下の彼に押し切られてしまった。

 豚肉の甘みとうまみがたっぷり詰まった中国華南地方のソーセージとキャベツが乗り、広東独特の甘い醤油でできたおこげが香ばしい土鍋ご飯は確かにうまかった。話もあらたか聞き終わり、食べ終わって席を立ち店を出ようとすると、背後から、

 「いらっしゃいませー」

という日本語が聞こえた。常連の日本人客でも来店したのかと入り口に目をやったが誰もいない。不思議に思って後ろを振り返ると、店のおかみさんが私のことを見て笑っていた。注文の際、どちらが払うかの押し問答を聞き、私が日本人だと知ったおかみさんが、知っている日本語で、送り出してくれようとしたのだ。

 それを聞いた日本語の堪能な彼が、「おかみさん、間違ってるよ。お客が帰るときは、『ありがとうございましたー』と言うんだよ」と教えた。おかみさんは、「あ? そうなの?」と言い、

「ありかとこちゃいましたー」

と言い直した。

 やはり、見事に濁音がなかった。

 濁音のない日本語が心に染みた。この店に来るまで重く感じていた足取りが、帰り道には少しだけ軽くなったような気がした。